天女が棄てた羽衣㉑
千秋楽、盆の上でベットを終えたゆず葉は、そのままオープンショーのシーンに移る予定だった。段取りとして決まっていたし、その回以前はずっとそうしていたからな。だから俺は照明色を変えようとしたんだが、ゆず葉は突然舞台脇から白いポリタンクみたいなもんを運び出してきたんだ。
打ち合わせにないことするなよな、と一瞬思ったが、かつて踊り子の思いつきによる観客向けのサプライズ演出というのはゼロじゃなかった。だからその手のやつだろうと考えて、照明は変えずにいたわけだ。
ゆず葉は無言でタンクの蓋を開けると、盆の中央で湯浴みでもするかのように液体を全身にかけ始めた。
最初は水だと思ったんだが、何やら油のようなものだった。水にしては粘度があって、ローションにしてはサラサラして見えた。
ちなみに、液体を使ったショー自体は珍しいもんじゃない。聖水ショー──平たく言えば小便だな──や金粉ショー──液体状の金粉を全身に塗るショーだ──なんかはフェチ系の公演でよく用いられていたし、劇場の設備もそれを見越してある程度は耐水・撥水仕様になってるんだ。あくまである程度、だぞ。
ところが次の瞬間、一気に風向きが変わった。
けたたましく力強い怒号が空間を引き裂いたんだ。
普段穏やかな彼女からは考えられないほどの、ゆず葉の叫びだった。
「最後に、わたしの渾身のショーを見せてあげる」
言うや否や、ゆず葉は体内からライターを取り出し──どこから取り出したかは察せるだろ?──それから、ホイール部分を擦って、そのまま着火した。
会場は騒然となった。俺は情けないことに、あまりの出来事に足が竦んじまって、何も動くことができずに唖然とするしかなかった。
その後の香盤は軒並み中止、というかそこからしばらく公演自体が休止になって、劇場は二重の意味での火消しに奔走する羽目になったわけだ。おかげで、忌々しい出来事が外部に漏れることはほぼなかったようだがな。
ゆず葉はデビューしてまだ二年目の新人だった。いじめを苦にして耐えきれなくなった末の自殺だろうな。
当時、新人で気の弱いやつとあらぁ、いじめの地獄を味わずに済むことはまずない。ゆず葉も例外じゃなかったさ。実際、ここで作業している俺のところにもゆず葉は何度か泣きついて来ていた。現状はよく知っていたんだ。
なぜ助けてやれなかったか?それは…俺だって後悔してるさ。たけどな、踊り子はそういう苦難を乗り越えて成長するのが当たり前ってのがその時代、どこの劇場にも風潮としてあったし、何より俺は…ああ、不甲斐ないさ、事なかれ主義なんだよ。ただ話を聞いてやることしかできなかった。
その中においても、秋鹿野もみじはベテランながら、そういったいじめを一切しないことで有名だった。──いじめをしないので有名、ってのは腐った時代だがな──
ゆず葉から聞いた限り、ゆず葉に優しくしていた先輩はもみじただ一人だったそうだ。他は全員、いじめに加担するか、無関心を装い見て見ぬ振りをするか、どちらかだったってよ。もみじ姐さんだけは味方、よくそう言っては涙を拭いて楽屋に戻って行ったよ。
まぁもみじとしても、ゆず葉と同じきっかけ──親がした借金の返済のためだ──でこの業界にデビューしてるから、殊更他人とは思えず可愛がっていた部分もあったんだろう。
ところが最後には、ゆず葉はもみじさえも敵対視して本当の孤軍になってしまった。
誰も救われない、報いのない話だよな。
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