天女が棄てた羽衣⑳

 なんだか冴えないおじいさん。

 失礼ながら、私がツネさんに抱いた率直な第一印象は、それ以上でも以下でもなかった。

 職人特有の気難しさをさほど感じられないのは聞き手としてありがたかったが、覇気というものが全くない。

「『鳴かぬなら諦めましょうホトトギス』。本人の座右の銘ですが、ツネさんを表すいちばんピッタリな言葉ですね」笑いながらみるくが語っていたツネさんの人物評価は、あながち間違いではないように思われた。

 突然立ち入った非礼を詫び、自己紹介といきさつを一通り話し終えた私たちは、単刀直入にゆず葉の件を問い、ツネさんの反応を待った。

「如月ゆず葉?…ええ、覚えています。忘れるはずぁありませんよ」

 テープで養生されたボロボロのキャスター椅子に背を預けながら、ツネさんは腕を組んだ。

 老人特有のかびに似た臭いが毛玉だらけの薄手のセーターから漂っている。

 しかし、やはり触れられたくない事柄に間違いはないのだろう、平静を装いつつもぎこちなく目が泳いでいる。

「30年も前に、ちょっとした事件を起こしたネオアート所属の踊り子です。でも、それが何か?」

「だから、その子が今回の出火事件と関連があるかもしれないの。可能性がある、ってだけだけど。どんな小さなことでも構わない。ツネさん、知ってること、ない?」

 ママは慎重に切り込んだ。だがツネさんは少々手強いようだった。

「さぁ…かなり前のことだし、詳しくは全然…」

 明らかに歯切れの悪い物言いだ。答えたくないことがあるらしい。こめかみに汗が浮かび、顔が僅かに歪んだのを、私は見逃さなかった。

「動揺しているってことは、隠していること、後ろめたい何かがあるのでは?」

 私の直接的な言い方に、ママは戒めるような、ツネさんは睨むような目つきをした。

「ルナ子」

「なんなんですかあんたたち。人の仕事場にずかずか入り込んで。作業の邪魔しねえでもらいてえんだ」

 ツネさんは不快感を露わにすると、右耳に掛けていたボールペンを手に取り、デスク台の方へそっぽを向いた。

 まずい。やはり私はまだまだ、聞き込みの技術が未熟なのだ。ママが慣れた手腕で着々と情報を得ていた様子を見て、人はもれなく尋ねたら答えてくれるものと勘違いしていた。

「ひゃだ、うちの若いのがゴメンナサイね。率直すぎるのは、アタイに似たのかしら。ってアタイはこの子の親じゃないんだけど。ホホホホ」

 ママの誤魔化し笑いにも、ツネさんは反応することなく紙にペンを走らせている。

 やってしまった。私の失態だったのだ。微かな言い方やワードチョイスの差で相手の態度が大きく変わることを痛感させられた。

「すみません…」

 私が続いて謝罪すると、ツネさんはフンと鼻を鳴らしたものの、先ほどまで見せていた不愉快さは影を潜めたようだった。

「機材って、こんなに複雑ですのね。スゴイわぁ、これを一人で全部操作できるなんて。アタイ、ボタンがどれがどれやらわかんなくて目回っちゃいそ」

 空気を振り払うように話題転換したママにつられてデスク台を見やった。

 台の奥半分にはつまみがいくつも付いた機械盤が置かれており、横幅と形状はエレクトーンを彷彿とさせる。

 台の横にはオーディオと思しき機材。人の腰ぐらいの高さがある。

「それ、今でもMDしか流せないんだよ」

 私の視線の先に気付いたツネさんが、いくらか態度を軟化して解説してくれた。

 MDって今の子知らねえか、と軽く一笑すると、ツネさんは説明を続けた。

「MD、つまりミニディスクが普及し始めた頃、全国の劇場はこぞって当時最新だった再生機材を導入した。以降、CDやUSBが台頭してからもしばらくは、踊り子に提出させる音源はMDと決まっていたんだ。まぁさすがに時代遅れも過ぎるってんで、スマホやデータ転送で音を流せる劇場は増えてきたけどな」

 もっとも、劇場の数自体は着々と減ってるが、とツネさんは少し寂しそうに俯く。

「それで、その音源表?みたいなものを書いてらっしゃるのかしら?」

 ママがデスクの上の紙を覗き込む。A4サイズの真っ新なコピー用紙を、本人だけに解読可能であろう走り書きが所狭しと埋め尽くしていた。

「照明も音響も、全部一人でやってるもんで、こうして一枚の紙にまとめておかないとわからなくなるんだ。ここには『板付いたつき』とか『音先おとさき』って書いてあってな」

 ツネさんが指差した部分には、丸で囲った中に、確かにかろうじてそう判別できる崩れた文字があった。

「板付は踊り子がステージにスタンバイしてから音を流すこと。音先は音楽を流してから踊り子が登場することを言うんだ。加えて踊り子には、この曲のこのタイミングで暗転あんてんしてくださいとか、何分何秒のところで照明を赤にしてくださいとか、細かな要望が多くある。俺はそれを出来る限り完璧に近い形で実現する。ショーってのは、言ったら踊り子と技師の共同創造作業なわけだな」

 ツネさんは誇らしげだ。ベテランの域に達した技師のプライドというものが、何十年もかけて築き上げられてきた結果なのだろう。自身の仕事について流暢に説明する彼は、先ほどまでとは打って変わってイキイキしているのだ。

 彼の語る流儀に私たちが感心していると、ツネさんは懐古に耽るように遠い目をした。

「それでも、今のショーはある程度決まった形式があるから慣れたもんよ。様式美っつうのかな。大体のテンプレートがあるから微妙なパターン変化に対応するだけでいい。昔はそうはいかなかったぞ。見せ方のバリエーションが遥かに豊富だったからな。『まな板ショー』とか『白黒しろくろショー』って、知ってっか?」

「ええと、単語だけは、なんとなく」

 私はストぺディアで巡覧した単語群の中に、曖昧だが残っていた記憶を手繰りながら答えた。

「まな板ショー、元々生板なまいたショーって呼ばれてたそれは、客を舞台に上げて実際に踊り子との行為に及ばせるもので、白黒ショーはプロ男優と踊り子による絡みの演目だ。他にもタッチショーだとか指ポンショーだとか、取り締まりが厳しくなる前には、こうした観客参加型のショーや過激な見世物はバンバン行われてたよ。

 公安が厳しくなってからはそういったものはなくなったが、花電車はなでんしゃってのがあって」

「ちょ、ちょっと」

 私が遮ったのは、話題があまりに過激だったからではない。(シトロン師匠の『個室』の話で多少は慣れていたし)

 当初の目的である調査の筋から著しくかけ離れていく気がしたからである。そろそろ、なんとか如月ゆず葉に関する情報を聞き出さなければならないのだ。

 ママの手前、私が先頭を切って役に立たなければとの責任感と虚栄心も少しあった。

 ところが、ママは逆にこの話題についてもっと聞きたいようだった。

「いいじゃないよルナ子。ツネさんのその話、詳しく知りたいわ、ツネさん、続けてもらえる?」

「花電車ってのは、踊り子が女性器を使って吹き矢を吹いたり、書き初めしたりする芸当のことだ。『見るだけで乗れない』、つまり踊り子に触れることはないから花電車ってわけだが、この出し物の盛り上がりによってストリップは再び観賞物としての側面を強めていくわけだな」

「書き初め…ってどうやんのよ?」

「要は、女性器に筆を挿して、半紙に跨った状態で腰を動かして色々と書くわけだ。それは新年の抱負だったり、観客の似顔絵だったりする。股の力と絵心が試される演目だな、はは」

「ギョエエ。アタイもお尻でやってみようかしら」

 何でもないことのように軽やかな口調で話すツネさんとは対照的に、慣れてきたとは言え、私は新鮮な驚きを禁じ得なかった。色々な意味で、私には到底できそうもない匠の技だ。(ママの合いの手に対しては二人ともノーコメントだった)

「ただ、花電車ができる踊り子はもはや絶滅危惧種と言ってもいい。アソコから火を吹いたりシャボン玉を飛ばしたりする情景は圧巻なんだがな。俺が最後に見た花電車は秋鹿野あかのもみじの…」

 そこまで言うと、ツネさんは何か思い出したかのように口をつぐんだ。

 気まずそうに下唇を噛み締めている。

「どうしたの?その、もみじさん、って踊り子さんが何か」

 ママの屈託ない問いかけにツネさんは私たちを交互に見やり、そして深くため息をついた。

「墓穴を掘っちまったよ。ここまで言ったら、話すしかねえよなぁ。

 …秋鹿野もみじは、先輩演者として唯一信頼されていた人物だ。…そう、如月ゆず葉に」

 私たちは息を飲んだ。まさか花電車の話から、ゆず葉に関する手がかりに繋がるなんて。ツネさんはこれから、きっと重要なことを明かそうとしている。私が遮ったままだったら、ここには行き着いていなかっただろう。

 私は、己の不甲斐なさにいよいよ辟易し、一瞬落胆した。どんな話でも、漏らさず聞き尽くすことが真相究明に繋がっていくのかもしれない。

 ただの興味、もしくは相手に気持ちよく話させることだけを目的にママは先を促したのだとばかり思っていたが、もしかして、こういった展開も視野に入れての挙動だったのだろうか?

「当時、ゆず葉が自殺騒ぎを起こした例の公演にも、もみじは共演として乗っていた。その回のトリだったよ。事件のショックから随分塞ぎ込んでな、踊り子を引退したよ」

「ツネさんも、その時いたのよね?まさにここ、この二階席に」

「そうだよ。他でもない、俺が照明を当ててた。ゆず葉にも、もみじにもな」

 思い出すのも嫌なんだが…とツネさんは苦悶していたが、やがて語り出した顛末は次のようなものだった。

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