天女が棄てた羽衣⑫

「カンパァ〜イ」

 来週の暴風休業を目前に、ゲイバーLicDicは変わらずの盛況ぶりを見せていた。

 ほとんどのお客さんは本気で一週間の閉店を惜しんでいるわけではなく、もっともらしい理由にかこつけて顔を見せに来ただけのようだが、この店がいかに常連に愛されているのかは一目瞭然で、その多さに私は改めて驚かされた。

 オフィスを終業後、ママは食事と仮眠をとると、すぐにそのまま支度をしてLicDicのオープン作業に向かった。

 ここから朝まで乱痴気騒ぎの営業は続く。昼間は霊障に悩む人のため、夜は賑やかに飲みたい人のために働き続けて、ママはしっかり休めているのだろうかと、疑問に思うと同時に心配になる。

 私はこの日、なんとなくすぐ帰る気になれなくて、そのままリクディクにオープン前から寄留させてもらった。オープンしてからも、ドリンクを1、2杯飲みながらこうして満員のカウンター席の端に座っている。

「そんでさ、この中でどうしても一人選ぶとしたら誰ってそのノンケの客に聞いたら、ワタシの顔を見て猪一番に『君はパス』って言うワケ。もー、チョー失礼!」

「えー、たけのこちゃん可哀想〜」

「ギャハハ、でもあいつの見る目は確かよ。たけのこブスだもん」

「ブスじゃないわよっ!そーゆーりょった、あんたはどーなワケ!?」

「ウチは自他ともに認めるイケメンですから?」

「ねぇ結局その人、誰を選んだの?」

「…グミマル」

「わっはは!二人とも負けてんじゃん」

「やめてよね!ウチもあんな男タイプじゃないわよッ」

「そーよ、ノンケからモテたって仕方ないわ。わたしはホモウケ一本勝負!」

 カウンターは今日も相変わらず、常連客との陽気な歓笑が飛び交っている。

 出勤スタッフはたけのこさんとりょっただ。

 ママは手前側のボックス席で大盤振る舞いの客相手に忙しくしている。

 私は店子と常連のやりとりを拾い聞き、時々笑ったり参加したりしながらも、大半は大人しく過ごしていた。

 何気なくカウンターの奥、冷蔵庫や電子レンジが置いてあるスペース──簡単なお通しを調理する際に使うらしい──に目を向けると、壁上部に短冊形のプレートが貼られているのを発見した。


[食品衛生管理責任者:夏川祥吾なつかわ しょうご


 見たことのない名前だ。

 私が知らないだけで、実は他にもスタッフがいるのだろうか?もしくは過去にいたか。

 それとも、オーナーか店長は別にいるとか?

「ねぇ、たけのこさん、あの夏川祥吾って誰?」

 プレートを指差しながら唐突なタイミングでいた私に、たけのこさんのみならずカウンター全員が会話を止めて私に注目した。

「なにそれ、本気で言ってる?」

「え…だって、知らない人だし」

「ママよ」

 同じく注目していたりょったがこともなげに言った。

「……ええーっ!?」

「何アンタ。…今さら?」

 私は驚きで言葉を失った。

「それ、アタイの本名よ」

 チェイサー用の水を取りにいつの間にかカウンターに来ていたママが、背後から不思議そうに私を見つめた。

「だ、だって、神田川ナツコじゃないの?」

「………」

「………」

「………ギャハハハハハ!」

 りょったがせきを切ったように笑い出すと、カウンター中が爆笑の渦に包まれた。

 混乱する私。

「あんた、いくらなんでも本名ナツコはないと思うわよ?」

「もう、ルナちゃん天然すぎぃ」

「面白い女ね。ウチちょっと見直したわ」

「ていうか今まで知らなかったの?」

 口々に囃し立てる声が聞こえる。

 なつかわって。しょうごって。

 あまりにイメージとかけ離れている。

 ママとは「神田川ナツコ」で会って数週間共にしてきたのだから、私には、やっぱりそっちの名前がしっくり来る。

「ナツコは、苗字が夏川だから、そこから取って昔から呼ばれてるあだ名なの」

 ママが優しくも淡々と添えた。

「じゃあ、なんで神田川なの?」

「昔、寒い時に、赤い手ぬぐいマフラーにしてたからよ」

「…何それ」

「ひゃだ知らないの!?あなたはもう、忘れたかしら〜」

「いやママ、忘れるどころかこの子わかってないから」

「若い子って怖いわぁ〜、いよいよそんな世代が現れたのね」

 結果、私はナツコママの今更すぎる本名と通名由来の露呈に立ち会い、唖然とするばかりなのであった。


 カウンター御一行が帰った直後、入れ替わりのようにしてグループ来店があった。

「ルビーさん!」

 ルビーさんが、二人の男性(片方は支配人だ)を引き連れて訪れたのだった。

「こんばんは」

 ルビーさんは私に微笑みかけると、勧められた奥側のボックス席ではなくカウンター席──私の隣だ──を希望して腰かけた。男性二人も、ならうようにして順に着席する。

「ナツコさんに用があって。それと一つ、思い出したことがあったから」

 それを聞き、ママはボックス接客をたけのこさんとりょったにバトンタッチしてカウンター席に入った。

「いらっしゃいルビーちゃん。調査の結果はルナ子から聞いたわよ。劇場には明日向かう予定。用って何かしら?」

 ママは三人におしぼりを渡しながら訊いた。

「その前に、瑠奈さん、今日は本当にご苦労さまでした。最後、驚かせてしまってごめんなさいね」

「いえ、とんでもない。驚いたのは皆さんも一緒ですし…。それに、怪現象をはっきりこの目で見ることができましたから。あの後大丈夫でした?」

「なんとかみんなで協力して火を消し止めた後は、支配人に報告して、一旦全員退館ということになりました。さすがに凛音姐さんも青ざめて、踊り子の仕業だなんて考えはいくらか手放してくれたみたいです」

「私たちもあれから、オフィスで録音データを聴いて色々考えていたんですけど、やっぱり霊障の可能性でほぼ間違いないだろうって」

「録音データ?」

 私はしまった、と思った。いずれ話そうとは考えていたものの、こんな形で露見させるつもりはなかったのだ。

「す、すみません。実は楽屋に入ってから、証言を残しておこうと思って全て録音していたんです。先に言うべきでしたよね、申し訳ありません」

「そうだったんですか。いえいえ、調査に必要なことでしょうから」

 ルビーさんは気にも留めない様子で容赦してくれた。

 一方支配人は、昼間とは人が変わったように打ちひしがれている。藁をも縋りそうなほど切羽詰まっている様相だ。

「夕方ごろ支配人に、オフィスからメールがあった、すぐにでもナツコさんのところへ連れてけって頼まれたから、こうして来たんです」

 ルビーさんは支配人に名刺を出させて紹介すると、続いて強い調子で言った。

「支配人、それから昼間の不躾な態度、瑠奈さんに謝ってください。これからお世話になる人に、というか大人として、ものすごく失礼でしたよ」

 促された支配人は素直に私に向き直った。

「いやぁその…申し訳ありませんでした」

「お、お気になさらず」

 漬物のように萎びてしまった支配人が、憐れにすら見えたが、それは同時に事態の深刻さを物語っていた。

「それからこちらは、ネオアート従業員の一人、月山つきやまさんです。受付のもぎりや事務作業全般を行なっています」

 月山さんは柔和な笑顔で会釈した。支配人と歳の近そうな、穏やかな雰囲気の痩身の男性だ。

 ドリンクの注文を済ませたルビーさん御一行は、早速本題に入った。

「それで、昼間あんなことがあったから、いよいよ悠長なことは言ってられないと、支配人自ら"劇場の意向として"正式にナツコさんに依頼しようとなって。それで来ました」

 ルビーさんが支配人を小突くと、支配人はまごつきながら怖々頭を下げた。

 …もしかしたらこの人は、ただ対人関係が不器用で口下手な内弁慶なのかもしれない。私は、初対面における彼の感じの悪さを再解釈していた。

「全く。自分の言葉でお願いしてくださいよ。就任したてとはいえ仮にも一つの劇場を任された支配人なんですから。神田川さん、支配人は対策として、劇場の中全体に水をこうとしていたんですよ。そうすれば火も上がりようがないからって」

 月山さんが支配人の代わりを担ってまくし立てた。

 口ぶりと喋りの速さから、穏やかな外見に反してなかなかの辣腕であることが窺える。

「けれどそんなバカみたいな付け焼き刃の処置でなんとかなるとも思えない。第一、劇場には水濡れ厳禁な照明や音響機材がたくさんあるんです。現実的じゃありませんよね。少しは冷静になってもらいたいもんですよ」

 月山さんの弁に、支配人はむっとして言い返した。

「冷静でいられるか。いずれは劇場自体が全焼するかもしれないんだぞ!そうでもしなきゃ食い止められんだろう!なぁ神田川さん、早いとこ何とかしてくださいよ」

 ヒートアップしそうな支配人を抑えつつ、ママはルビーさんに問う。

「ところで、思い出したことっていうのは何?」

「はい、客席から出火した日、ツネさん──照明音響技師の藤沢常男さんです──がみるくちゃんに言っていたんです。私、偶然聞いてしまって。『うらみだ』って」

「ゆずは?」

「私が生まれるよりも前、かつてネオアートの舞台に乗っていた踊り子さんらしいんですが、謎の自殺を遂げたらしくて。それも本番中、盆の上で」

「本番中!?」

「ええ、詳しくはわかりませんが。もう30年も昔の話だから、劇場の中でツネさん以外に当時を知る人はいなくて。都市伝説ぐらいの語り草で、噂を大御所の姐さんから聞いたことがある程度なんですけど。

 彼女の死後、共演していた踊り子たちが立て続けに自殺を図るようになったんですって。まるで、彼女に誘われて後を追うみたいに」

「チョット、そんな重大なことなんで黙ってたのよ!?」

 ママがあんぐり口を開けている。

「立ち話を聞いたときは、私も気付かなかったんです。ゆずはって誰だっけ、と思って、すぐまた忘れてしまいました。でもさっき、その踊り子さんの名前と、呪いの噂の内容が頭の中で唐突に繋がって…」

「怨みって何なの?そしてそれが呪いだとしたら、一昔前の踊り子がなんで今になって暴走しだしたのかしら」

「さぁ…自殺の原因は、一説では楽屋でのトラブルだった、って」

「二人はその件知ってた?」

 ママの問いかけに支配人と月山さんは顔を見合わせた。

「死んだ親父が支配人だった頃の話なんで、軽くしか…」

「僕は以前、みるくちゃんから一度だけ聞きました。彼女が生まれる10年以上前ですから、みるくちゃんのお母さんからの又聞きですが」

 ママは腕を組む。

「断定はできないけど、関係してる可能性は大いにありそう。ゆくゆくはそのツネさんって人にも話を聞いて…」

「ゆくゆくじゃ困るんだ!」

 支配人は絶叫した。青ざめながらも顔を赤らめるという高度な芸当をしたため、結果顔面の色は相殺されてさほど変わっていなかったが。

「神田川さんよぉ、今すぐその、お祓いかなんかやってくれませんか。金ならなんぼでも出す。これ以上設備に損害が出る前に、一刻も早く!」

「お金…」

 ママは純粋な善意で動くことが多い一方で、お金が大好きだ。日頃から、「金は多くあるところからいただくに限る」と言っており、無料で依頼者の相談に乗ったりしつつも高額な依頼料を提示されたら何の遠慮もなく受け取ってしまうのだ。

「そ…そうね、じゃあ今から見に行きましょうか」

 私の冷めた目線を遮るように、ママは背を向けてカウンターを脱走し、お手洗い横のクローゼットスペースに荷物を取りに向かった。


「なにィ、また途中退勤?」

 ボックス席の空いたボトルを下げに来て、途中からやりとりを聞いていたりょったがママに投げかけた。ママはしばしば、緊急事態となれば営業中でも霊障現場に足を運ぶことがある。すっかり慣れきった様子のりょったは返事も待たずにボトルをカウンターに置くと、支配人が出していた「薄野雁太郎」の名刺に気付いた。

「…ウスノ?」

 途端、支配人の眉間に皺が寄った。

 だがそれを感知することもなく、りょったは名刺脇、カウンターバーの端を見て呟いた。

「やだ、ここの部分、表面がげてる。誰か熱いもの置いたー?」

 支配人がビクッと体を震わせた。

「ごめん、それワタシ。一昨日、カウンターにソファ掃除用のコロコロ置いたら剥がれちゃって。木の皮薄いから」

 たけのこさんがボックスから答える。支配人はプルプルしだした。

「このカウンターもいい加減取り替えたらいいのにね。すっかり古くなってガサガサじゃない?もっとほら、ツルツルのやつに」

「そうね、でもママ貧乏性だから。上から何か被せて終わりじゃない?」

「これ、確かかつらの木じゃなかった?変なとこに金かけんのよ、ママは」

「りょった、あんたホント抜けてるわね。ママに聞こえるわよ」

「キャッ。ってアンタもよ。退散しましょ。ずらかるわよ〜」

 店子二人の軽妙な会話をよそに、支配人は顔を真っ赤にして何かを耐えている。

 ここで気まずそうに、月山さんがりょったに耳打ちした。

「すみません、支配人の前で、はげてる、薄い、ツルツルなどは禁句で…」

「なんで?」

 りょったはキョトンとした。その間、たけのこさんはママに向かって「そこにいるならお手洗いの補充お願い。もうこんなぐらいしか紙がないのよ〜。ないない。紙が、全然ない!それから鏡のライトが切れてるわ。あれじゃえない」などと無意識に無慈悲な矢を放ち続けていた。

 りょったがややあって支配人を見つめると、納得したようにゲラゲラ笑い出した。

「ああ!ウスノ、アンタズラなのね?そうなんでしょ!」

 カウンターの空気は一気に凍りついた。私だって途中からとっくに気付いていたものの──最初に抱いた支配人への違和感の正体はこれだった──、絶対に触れてはいけないものとして避けていたのに。りょったは支配人と関わる人たちの暗黙のタブーを、いとも簡単に破り超えた。

「こんなバレバレなズラ、不自然すぎるからダメよぉ。生え際も変だし、誰が見たって一目瞭然じゃない。ていうかなんで前髪だけヤマアラシみたいに白いワケ?わざわざズラ被ってマダラ白髪って意味不明なんだけどー。今はもっとナチュラルなやつもあるんだから、そういうのを」

「ちがぁーう!」

 支配人は憤懣やるかたないといった有様で叫んだ。

「第一、そういう発言は今の時代、モラルハラスメントに該当するんだぞ!不当な差別だ!」

「差別も何も、だって事実じゃない。ウスノ」

「ススキノだっ!」

 りょったは支配人の全力の抗議に物ともしない。(抗議している時点で自爆していることに、支配人本人は気付いていない)

「それに悪いとは言ってないわよ。好きで薄くなったわけじゃないだろうし、外見に気を遣うのは立派なことだと思うわ。スダレやカッパみたいになってる頭を放置せずに、なんとかしようと真面目に悩んで努力した結果でしょ。偉いわよ」

 支配人ははっとして、瞬時に気勢を削がれた。

 もう認めたも同然ではあるが、このような報いの言葉をかけてもらったのが初めてなのか、じんわり感動している様子すらあった。

「だから気にすんなよ、ハゲ」

 しかしりょったはトドメを刺し、支配人は撃沈したのであった。


 これから劇場に向かうこととなった我々は、ルビーさんを通して他の姐さんたちも呼び出してもらうことにした。

 新人二人は、既に劇場内に戻されている。(二人の身の安全よりも、宿泊費を渡して外泊させずに済む節約精神を支配人が優先した結果だ)

 なのでそれ以外の、まずは凛音姐さんに電話を入れてもらった。

「すぐじゃなきゃダメぇ?いま彼氏と一緒にいるんだけどぉ」

 スピーカーモードにしたルビーさんのスマホからは、賑やかな店にでもいるのか、ガヤガヤとした喧騒の中で姐さんの気乗りしない声が聞こえる。(ここもやかましさでは同レベルだが)

「今すぐです。近くにいらっしゃいますよね?お願いします、劇場集合で」

 ルビーさんは煮え切らない姐さんを両断し、有無を言わさず通話を終了した。

「い、いいんですか?凛音姐さん、彼氏さんといるって…」

「大丈夫ですよ。姐さんの言う"彼氏"って、ホストのことですから。ホストクラブは劇場の目と鼻の先なので、10分もかからずに来られると思います」

 続いてたんぽぽ姐さんにも電話をかけたが、偶然今しがた劇場の最寄駅に入っている美容室でヘアメンテが終わったとのことで、すぐ駆けつけてくれることになった。

「それじゃ、あとよろしくね」

 ママはたけのこさんとりょったを店に残すと、私を含むカウンターの全員を率いて劇場へと足を向けた。

 店を出る直前、私は唐突にりょったに引き止められる。

「はい。これ」

「何?」

 りょったは私の手に小さな正方形のチョコを握らせた。やや高級そうなデザインの包み紙だ。

「昨日は、ていうかここ最近アンタにはキツく接しすぎてたかなぁって。いいから持ってって」

「?…ありがと」

 私はりょったのかつてない行動に戸惑いながらも、それを受け取った。

「ホラ、置いてかれるわよ。早く行きなさい」

 そう言うとりょったは私の背中をポンと叩き、ボックス席へと戻った。

 何が何だかわからないまま、私は一行の後を追いかけた。

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