狩猟者の窮追⑤
外に出て通りを走るママの後を、何度かよろけつつ必死で追う。
「ま、待ってください。どこを目指してるんですか?キャバ嬢さんのおうち?」
「そうよ」
前を見据えたまま、ママは走り続ける。
道の人通りはそこそこ多いが、二人に目を向ける人はいない。
「行っても、おうちにいらっしゃるのかどうか」
「大丈夫よ。気休め程度だけど力を込めた護符を渡して、毎月15日は必ず休みを取って外に出ないよう言ってあるの。引っ越しを却下した彼女も、必死に説得したらそれだけは渋々実施してくれたわ。
今となっては、家に居させることが逆効果になりそうだけど」
「なんで家に居させるようにしたんですか?」
「部屋の中がいちばん安全だと思ったのよォ!まさか霊が彼女の居場所をホントに突き止めるなんて思わないじゃないのォ」
急に頼りない声音になったママは、時々上ずりながら泣き顔を作ってみせた。緊迫したシーンのはずなのに、なんだか間抜けな一面もあるんだなぁ、なんて思った。
「霊がもう到着してる可能性は?」
「どうでしょうね。アナタはマンションの場所を指し示したけれど、それで彼女の場所が完全に判明したわけじゃない。『部屋の番号』が、まだ残ってるでしょ。」
そっか。今度はこっちが間抜けな表情をする番だった。
「アナタにまだ異変が起きてないから、マンションにもまだ来てないとは思うけど。でも仮に、部屋の番号を知ってる人がそれを教えたとしたら…」
そうなったら手遅れだ。彼女は殺されてしまう。質問された人たちと同じように、いやそれ以上に惨いやり方で。その時には既に私も…
「さ、着いたわよ!」
意気込んでエントランスに入ろうとしたママは、私の「あ!」という叫び声で足を止める。
「私が教えたの、このマンションじゃない…」
「はぁッ!?」
ママが目をまん丸にしてポカンとした。
「タイガーズマンションって、これだっけ…?私、逆方向の…あっち、レトゥーラの方指しちゃった」
レトゥーラとは、タイガーズマンションと並び高級タワマンとして知られる大型居住施設だった。あの時焦っていた私はうっかり、そっちと勘違いしていたのだった。
数秒間、無言を貫いたママは、「アナタもたいがい、おバカさんね!」と膝から崩れ落ちた。
えへへ…と誤魔化すように笑う私と、ヘナヘナ座り込むママ。どうにも拍子抜けする二人組だ。
「えへへじゃないわよ!でも、そのおかげでアナタは命拾いしたのかもね。今ごろ彼、まだタイガーズマンションを探して彷徨ってるんでしょうよ。時間稼ぎができて却ってグッジョブだわ」
そうか。私がまだ殺されていない理由は、世紀の天才的大ポカが幸いしてのことだったのね。
「けれど、安心するのは早いわ。もしその方向にタイガーズマンションがないと彼が確信した時には、アナタは終わるかもしれない。急ぎましょう」
一息つく間もなく、ママは再び駆け出した。
「アナタの彼氏さぁ、あ、もう元カレだっけ?まだホテルにいると思う?」
急に話題を転換されて若干戸惑いつつも、「多分」と自信なさげに答えた。
疲れたと言って早々に寝だした。そう記憶している。今も眠りこけているかもしれない。
「今、LINEしてみてよ」
「えっとそれはだから…ブロックしちゃったから…」
ブロックした上で削除したから、もうこのスマホから彼に連絡を取ることはできない。
「んもう!」
ママはわずかに速度を上げて走り続けた。
これは、ホテルへ向かっている。
そうか、朋紀…。「今月15日に602号室を利用したもう一人の人間」の存在を、私は失念していた。それほどまでにどうでもいい存在だったということだ。
ホテルはショート、休憩、ロングとあって、私たちは休憩を選択した。19時から24時まで滞在できるコースだ。
だから、今日という日付に部屋を利用した最後の組が私たち、そして霊の男が尋ねるであろう最後の人間が、朋紀だ。
時刻は23時前だった。彼は終電には帰るだろう。もしかしたら、もう帰っているかもしれない。
ママは、朋紀に会えたら日常と違うことはなかったか、誰かに何か聞かれて答えなかったかを確認するつもりなのだろう。一か八かの賭けだ。
いてほしい、との思いと、いないでほしい、との望みが私の中で葛藤した。
正しい人として、情報取得の可能性は祈るべきものであるだろう。だが元カノとしては、気まずすぎて二度と顔を合わせたくない。
結果、天の運は、元カノとしての私に味方した。
フロントで602号室の客について訊いたママが肩を落としたとき、元カノとしての私は確かに安堵してしまった。
だがそれでもママは諦めない。
「出て行ったのが10分ほど前って言ってたわ。まだ近くにいるかもしれない」
そう言って、ママと私はネオンがより盛んなエリアに向けて足を進めた。
左右を確認しながらそれらしい人影を探しつつも、広いエリアで、それもたった二人で人探しをしたところでそんな都合よく…と思っていたまさにその時、私はギクリとした。
全国展開している大手牛丼チェーン。おそらく牛丼をさっとかき込んで、自動ドアからちょうど出てきた男に釘付けになる。
私の様子に気づいたママが息を切らしながら問いかける。
「あれ?あの子?」
私はママの目をまっすぐに見つめ、そして頷いた。
「行きましょ」
ママは当然かのように私の手を引いて朋紀に近付こうとする。
「待って!」
私は掴まれた手を引き戻して抵抗した。
「どうしたのよ?」
「私…ちょっと気まずい」
この期に及んで何言ってんの、バカじゃないの?と、口には出さなかったがその台詞を語る表情でママが私を見た。そして一つ、ため息をつく。
「わーったわよ。アタイが聞いてくるから。アナタそこにいなさい」
生きるか死ぬかという瀬戸際で、なおも煮え切らない私を放置して、ママは朋紀のもとへ駆け寄って行った。数時間前、全裸にタオルを巻いていたときと同じように立ち尽くしながら、遠目で二人の遭遇を見守る。
ママはやけに明るく親しげに話しかけたかと思うと、朋紀ははじめギョッとしていたものの、質問には答えているようだ。
最終的にママは朋紀の肩を楽しそうに叩き、頬にキスまでして別れた。朋紀は、満更でもなさそうな調子でニヤニヤ愛想笑いを浮かべながら去って行った。
あいつ…。
朋紀の不甲斐なさと、ママの人たらしなコミュ力。どちらについて逡巡したらいいのか迷っているうちに、ママが私のところへ戻ってきた。
朋紀の前で見せていた貼り付けたような笑顔が、一瞬で剥落する。
「来るわ」
それだけを言うと、今や鬼の形相めいてすらいるママが全速力で走り出した。追いつくのに1分ほどはかかったと思う。私も相当頑張って走った。高校の体育の陸上競技以来だろうか。ヒールでなかったことを心底幸運に思った。20代の女性と40代の男性の体力・脚力がほぼ互角であるのを示すかのように並走した私たちは、ともにタイガーズマンションへと向かっていた。
「彼はなんて?」
話しかける余裕などないはずなのに、私はママの横顔に疑問を投げた。
「答えた、って」
ママも、疑問を受ける余裕などおそらくない中で教えてくれる。
「ついさっき、姿ははっきり見てないけど、男の人っぽい何者かに、キャバ嬢の部屋番号を聞かれたらしいわ」
やはり彼のところにも来ていたのか。
「ビンゴよ。悪い意味でね。悪夢のビンゴ。彼、キャバ嬢のマンションも部屋番も知ってたわ」
「なんで!?」
「彼女、たびたび過激な発言で炎上してたから、アンチどもが本名をはじめ住所とマンション、部屋番を割り出して流出させたことがあったんですって。ほとんどのまともな人は本気にしなかったけど、それでも自宅にアポなしで突撃した人とかいたみたい。元カレ君も、実際に行ったことはなかったらしいけど、彼女のSNSをよく見てたファンだから覚えていたみたいよ」
本当にあの男というやつは。しかしさして惚れていたわけでも期待していたわけでもなかったから失望もなかった。あるのは嫌悪だけだ。本当にさよなら、二週間だけのインスタント彼氏。
それにしても、今の話からするとキャバ嬢が頑なにタイガーズマンションから引っ越さない理由がますます不可解に思えた。「生きている人間の怖さ」を、実際に被っているではないか。
「ともあれ」
考えに浸る間もなく、ママが状況を改めて説明する。
「元カレ君の答えによって全てのピースが揃った。男はもうじき部屋までたどり着くわ。質問に答えたのがホテルを出てからすぐの道端だったことから、15分から20分ぐらい前ね。霊の移動速度はまちまちだけど、テレポーテーション使うタイプじゃない限り人間の平均的な歩行速度で向かってるはず。アタイたちが先か、霊が先か。こればっかりは行き当たりばったりの勝負になりそうね」
的確に情報を整理して簡潔に話すママに、私は不思議な感情が芽生えた。
無論それが恋愛感情であるはずはないのだけれど、憧れとか尊敬とか、そのあたりが入り混じった名状しがたいものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます