狩猟者の窮追④
酔いで感情表現がオーバー気味になっていた私は、思わず大声を上げて仰け反った。
「だから、この店の客の半分はママや店子のみんなの面白い人柄に惹かれて飲みに来るけど、あとの半分は、心霊相談をしに来てるようなもんなのよ」
「あとの半分は面白いと思わないワケ!?でもまぁ、大体そんな感じね」
私から見てマルコさんの逆隣にいた常連女性、レミさんとママの説明は、驚きでいっぱいになった私の頭の中にはさして入ってこなかった。
人生で、ゲイバーのおネエさんという人種にもつい最近まで会ったことはなかったが、霊媒師なんてもっと会ったことがなかった。というか、そんな胡散臭い人が現実に存在しているなんて信じられなかった。その二つの激レア要素を併せ持った人間が、いま目の前にいるこの人だと言うの?
「アタイも、早め早めになんとかしようとは思ってたんだけど、なかなか尻尾が掴めなくてね。でもせっかくこうして出会ったルナちゃんも危ない可能性があることを考えると、…いや、確実に危ないってことを考えると、もう動かざるを得ないわ」
ママは何かの決意を固めたようだった。
その表情には、過去に救うことができなかった客たちへの贖罪の気持ちが滲んでいた、ように見えた。
「ルナちゃん、アナタを助けるためにも、できる限り詳しく、正直に答えてね。よく思い出して。ホテルを出た後にいつもと違うことは本当になかった?」
カウンターはいつしか、「霊障事件対策会議」の本部となっていた。
一方、たけのこさんが担当するボックス席、たけのこ軍団は相変わらず四方山話に興じている。
私はまだ、正直半信半疑だ。身に危険が及んでいると脅しておいて、それを解決したフリをして高額な金を請求する霊感商法があるのを知っている。
「先に言っときますけど私、解決してもらっても高いお金とか、払えませんからね。壺とかも」
「なーに言っちゃってんのよアンタ!ママはそんなことしないわ」
りょったが呆れたように吐き捨てる。
「しないわ。人命救助が第一。崖から落ちそうな人の手を引っ張ってあげたからって、その人から謝礼金を無理やりふんだくるような話っておかしいと思わない?」
「じゃ、じゃあ誓ってくださいね。私に変な請求しないって。というか、払いませんから」
「いいわよ」
今にして思えば、この神田川ナツコという類稀なる人間にここまで舐めた口を聞けたのは恐れ知らずというほかないが、彼(彼女?)の力を知らないその時点での私には無理もないことだった。
「じゃ、じゃあ話しますけど。なんでしたっけ、変なこと?うーん、特にはなかったですけどね」
「ホテルを出たあとに、誰かから話しかけられたり」
「ああ、それはあったかも。でも私、よく人に道聞かれるんですよ。だから別段変わったってほどのことじゃ…」
「なんて聞かれた?」
食い気味にナツコが詰問する。
「なんだっけな…。『タイガーズマンションはどこですか?』みたいな」
その瞬間、りょったが悲鳴を上げた。
マルコさんとレミさんも青ざめている。
「答えたの!?アンタ、教えちゃったの!?」
りょったが前のめりで私に顔を近づけてきた。
「えぇ、まぁ。おっきくてキレイな有名タワマンだし、知ってたから」
りょったは再び断末魔のカラスみたいな悲鳴を発した。ママは眉間にシワを寄せて黙り込んでいる。先ほどまでの朗らかな雰囲気が嘘のようだ。
「さっき話したキャバ嬢の住んでるところはね…」
ママの言葉の先が読めた。けれど私にはどうしようもない。
「そのタイガーズマンションよ」
ということは、その男はキャバ嬢の家までたどり着いてしまったのか?でも私はまだ死んでない。
「そいつ、どんな男だった?」
りょったが恐る恐る聞いてくる。
「どんな、って…。よく見えなかったです。暗かったし、後ろから話しかけられたので。わざわざ向き直ったりしなかったし」
りょったは顔を顰めて腕を組んだ。
「それって、地縛霊?とかいうやつなんですか?よく知りませんけど、そういうのって普通、部屋から出られないんじゃ」
「確かに地縛霊ね」
ナツコは緊迫した面持ちのまま答える。
「というか、その可能性が非常に高い、ってだけ。ぶっちゃけ、悪霊だの怨霊だの、人が勝手につけた呼び名は定義が曖昧だから、コレ!って確実に分類することはできないんだけど。それでも、縛られてはいると思う。部屋じゃなく、ホテル周辺の土地の方にね」
つまり、あそこ一帯の、ある程度のエリアであれば移動できるということか。完全には信じていないくせに、冷や汗が一筋、背中を伝った。
「メールや電話なんかもさ、ホテルのすぐ近くにネットカフェあったじゃない?そういうところには出入りできるのかも。もっとも、霊がそんな物理的なもの実際に使ってんのかは謎だけど」
でもちょっと待って。タイガーズマンションは確か────
「あそこって、ホテルからはそこそこ離れた位置にありますよね?3ブロックは距離があったような。さすがにあそこまでは辿り着けないんじゃ」
「着けるわよ」
ママが表情一つ変えずに答える。
「新たな情報を得た霊体は、たとえ地縛霊であってもその土地まで飛来することができる。全てとは言わないけど、可能性は大いにあるの。アタイもそういったケースは何度か目にしてきたわ」
ゴクリ、と唾を飲み込もうとするも、あまりに乾ききった喉頭はポップコーンの殻がへばりついたみたいで、私は思わず咽せた。美味しいとも思わないハイボールを必死に流し込み、アルコールで喉の潤度を戻す。
「そのキャバ嬢さん、無事なんですか?今でもあのマンションに住んでるんですか?」
「今のところ生きてるわ。そうなのよ、こっちも早急に動かないと」
「まだ霊が到着してないといいですけど。かと言って、いつまでも彷徨って質問を繰り返すのだって…」
「そう。そいつがホテルの周辺を今後もぐるぐる徘徊し続けたら、質問を受ける犠牲者も、同じく増え続けるわ。さすがにホテルに直談判して602を利用禁止にしてもらうことはできないだろうけど…でもいずれにせよ黙って見すごすわけにはいかないの」
「そもそも、当の本人はどうして引っ越さなかったんですか?そんな危ない思いして」
「イヤ、アタイも散々忠告したわよ。けど彼女、『死んだ霊より生きてる人間の方がよっぽど怖いから』って、実害がないうちは我が身を案ずる気持ちになれないようなの。事件以降、現時点では彼女に直接的な何かって起きてないし。さっきの話だって、生きてた頃の男にされた怖いこと、についての相談だったからね。だから死んでもなお危害を加えてくる可能性を考えてない。そういうの信じない人なの。タイガーズマンションは職場へのアクセスもいいし、仕事人間の彼女にとって霊の呪いなんていう不確かなものは、引っ越しを決断させる力を持たないのよ」
「信じない?いや、白状すると私もまだ信じてるわけじゃないですけど、その方この店の常連で、ママと仲良しなんですよね?それでも信じてないって…私が言うのも変ですけど」
「疑問はもっともだわ。ただ、ここの常連なら誰しも霊現象を信じてるかと言えばそうではなくて、アタイの霊媒師としての一面を見たことない人だって大勢いる。アタイはそれにとやかく口を挟むつもりはないの」
彼女はもちろん、相手が死んだことにいい気持ちはしないだろうけど、幾ばくか安心はしてるでしょうね、とママは結んだ。
しかし、この話がもし本当だとすれば、彼女の身はいよいよ危ないのではないか。
図らずも、私が居場所を教えてしまったせいで────
自分を責めるのはよそう。その時は何も知らなかったのだし、良かれと思って場所を示しただけだったのだ。
「彼女、今頃大丈夫ですかね」
「正直、五分五分ね」
「じゃあ」
「そうよ。そしてルナちゃん。アナタも」
心臓が凝縮したような気がした。
彼がタイガーズマンションを見つけたら。
私も、時間の問題なのだ。
「アタイ、行ってくるわ。りょった、たけのこ!あとよろしくね」
「おっけ。任せて」
「またいつもの?」
呼ばれた二人はさして驚きもせず、ママの外出を把握した。カウンターの常連客たちも、見送るように手を振っている。こういったイレギュラーな事態はわりと日常なのだろうか?
「ほらルナちゃん、早く!」
急にせき立てられて、酔いが覚めかかっていた私はふぇ?と間抜けな声を出してしまう。
「ついてきてちょうだい。時間がないの!真相が分かってから、なんて悠長なことは言ってられなくなった。今すぐ向かうわよ!」
いつの間にか支度を済ませたママに引っ張られるまま、私もバッグだけ引っ掴み店外へまろび出たのだった。
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