狩猟者の窮追③

「それで、そんな最悪な彼氏を置いてさっき◯◯ってホテルから出てきたんですけど、」

「待って。◯◯?あそこに行ったの?」

「え?はい」

「何号室よ?」

「たしか、602…」

 沈黙が訪れた。

 私、何か変なこと言っただろうか?

 みんなが真面目な顔になり、意味ありげに目配せしている。

「まさに例の、あそこだよね?」

「噂をすれば、か」

 なんのことかさっぱりわからない。

 ハイボールをぐい、と飲み干して、ママは真剣に聞いてきた。

「アンタ、あそこに行ってなんにもなかった?」

「ん?特に…。彼が素っ気ないなぁってぐらいで」

「ほんとに?」

「は、はい。…どういうことなんですか?さっきから何を」

「一人で、しかもほとんど初めて来たような子にこんな話もしづらいんだけどね…」

 ママは申し訳なさそうな顔をしながら、以下の話を聞かせてくれた。


 ***


 近ごろ、というか一部ではけっこう前から噂になっているホテルがあってね。

 それが例の◯◯なんだけど。

 噂、っていうのはもちろん、悪い噂よ。そう、そっち系の。つまり、霊障ね。


 ちょうど1年くらい前だったかしら。あのホテルで自殺があったのよ。軽くニュースにもなってたから、もしかしたら知ってるかもしれないけど。

 亡くなったのは30代後半の男で、警察が到着した際にはもう息がなかったらしいわ。

 男は、あのホテルからほど近いキャバクラの常連客だったそうなの。そこに、心底惚れちゃったキャバ嬢がいたらしくて。ガチ恋客ってやつ?よくある話よね。

 ただそのキャバ嬢、インフルエンサーっていうの?SNSでもかなり有名で、一般で知ってる人もけっこう多い人気者だったから、他のライバルや太客はいくらでもいた。

 あの手この手でキャバ嬢を落とそうと試みるも、ウワテなキャバ嬢は一向に靡かないワケ。というか、シャンパン開けてくれたら、なんて思わせぶりな態度を取っておきながら本人にまるでその気がないってのが実情だったようだけどね。

 男は発言を真に受けて、言われるがままにシャンパンを卸した。徐々に要求されるシャンパンも高額なものになっていって、最初は持ち金でなんとかやっていた男も、無理して生活費、貯金を切り崩すようになっていき、借金もした挙句に家まで売り払ったらしいの。

 それでも、憧れのキャバ嬢と寝られる幻想だけを夢見て、ネットカフェに寝泊まりしながら給料のほぼ全額を店につぎ込んだ。そこまでなら、ただのバカな男の話で済むんだけど。


 ある日、とうとう男は我慢できなくなってキャバ嬢の酒に薬を投入したのね。酔いの回りが激しくなるタイプのヤツ。ベロベロになって有無を言わせぬ状態になったキャバ嬢を、男はアフターとして店に許可を取って店外に連れ出した。そしてそのまま、あのホテルに運び込んだの。

 彼女をベッドに横たえ、そのまま襲い掛かりたいところを抑えつつシャワーを浴びて出てきた男は驚愕した。彼女の酔いはすっかり覚めていたらしいのよ。

 元々酒が強い体質だったらしくて、更には薬の効き目がごく短時間だったことが男にとっての災いだった。

 はっきり正気に戻った彼女は悲鳴を上げ、急いで部屋を出ようとした。

 けど、それも想定済みだったのか、男も覚悟を決めていたみたい。

 カバンからどこで購入したんだか刃渡15cmほどのサバイバルナイフを取り出すと、彼女に切りかかったの。本気で殺そうとするほどに、彼も追い詰められていたんでしょうけど。

 間一髪、すんでのところでキャバ嬢は部屋を出てドアを閉めると、急いでエレベーターに飛び乗った。幸いなことに、その階で止まっていたらしいわ。フロントに駆け込み、事の次第を伝えて警察を呼んでもらった。その間は事務室に身を隠してもらっていたらしい。

 間もなく到着した警察が防刃チョッキをつけて部屋に押し入ると、そこには臓物がぶちまけられた男の死体が転がっていたそうよ。 それが起きたのがまさに、件の602号室だったってワケ。


 喉元か首筋なら一発だったのに、腹からいったもんだからなかなか死ねずに長いこと苦しんだみたい。その間にも、彼は腸やら何やらを引きずり出して切り刻んでいたっていう痕跡があったみたいよ。切腹のつもりだったのかしら?まったく、映画の見過ぎよね。

 なんでこんなに詳しく知ってるのかって?キャバ嬢本人から聞いた話だからよ。


 無論602号室はすっかりリニューアルされて、一週間後にはホテルの営業も再開したらしいんだけど、そこから奇妙な噂が立て続けに聞かれるようになるの。


 あの部屋を利用した人間は、数日以内に怪異に見舞われることになる───


 ある人には、翌日メールで「◇◇という店の□□というキャバ嬢を知りませんか?」という文面が届く。

 次の月、またある人には、「□□というキャバ嬢の本名を知りませんか?」という電話がかかってくる。

 さらに次の月以降も、「××という女の住所を知りませんか?」

「△△町▽丁目の居住用の建物を知りませんか?」

「▽丁目◁番地のマンションの名前を知りませんか?」

 と聞かれる。そういった体験をした人が次々に現れたの。

 気が付いた?

 これは噂を聞いた順に並べたものだけど、明らかに男の霊と思しきものは調の。

 生前、SNSなんか一切やってなくて、最初はキャバ嬢の店と源氏名しか知らなかったであろう客の霊が、噂を時系列で整えた限り、着実に核心に近づきつつあるところまで来ている。

 男が突き止めるのも時間の問題だわ。


 そして、怪異はこれだけで終わらないの。

 その質問に答えられなかったり無視したりした人は、数日以内に謎の死に見舞われる。

 聞かれた人が例えたまたま答えを知っていて──ほら、彼女そこそこの有名人だって言ったでしょ?──、そいつがそれぞれの質問の答えに行き着いたであろう時にも、答えた人はお役御免とばかりに死んでる。

 つまり、

 こんな理不尽なことってある?

 彼らの死に様は、どれも男と同じように腹を裂かれて内臓をぶちまけられた、酸鼻を極める凄惨なものだったそうよ。

 ただしね、この怪異が現れるのは、毎月15日に602を使った人だけなの。彼が死んだ日よ。


 ***


「そして、今日がまさしく…」

 スマホで日付を確認した私は、はっとして血の気が引いた。

「…なーんて!冗談冗談。洗礼代わりに、チョット怖い話で脅かしてやろうと思ったの」とママが言ってくれるのを待っていた。のに。そうは言ってくれなかった。

 どうリアクションすればいいのだろう。つまりそれって、私も呪われたってこと?

「こ、怖いですねぇ〜…へへ」

 いまだに要領をつかめない私がおどけた風に返しても、みんな押し黙っている。

 なんなのこの空気。

「ちょうど一ヶ月前、ここに来てその話をしてたミオも逝っちゃったよなぁ。その前の月に来てたサトシも。酷い月なんか、3人も一気にさ…。全部、15日かその少し後ぐらいだった」

 常連客のマルコさんがしんみりと呟く。

 相変わらずワイワイ賑やかなボックス席とは反対に、カウンターエリアは文字通りお通夜のような雰囲気だった。


「ウチらも、アンタが来るちょっと前までその話をして偲んでたのよ。次に犠牲になるのは誰か、って心配も。そしたらアンタが来た。だからおそらく…」

「やめなさい」

 りょったのあまりに失礼な物言いに怒りそうな私より先に、ママがそれを制した。

「来たばかりの子にそんなストレートなこと。でもね、隠して上っ面だけ楽しくやるなんて器用なことはアタイできないから、ついあけすけに喋っちゃったわ。ごめんね」

 なんだこのお店。なんだこの人たち。

 グルになって私をドッキリにかけてハメようっていうの?笑えない。

「そんな話、信じられるわけないですよ。ていうか、なんで死んだ人たちにまつわる話までそこまで詳しいんですか?死んでるんだから伝聞しようがないじゃないですか」

「だから、怪異に遭ってから死ぬまでの間に、何人かうちに相談に来て話を聞かせてくれたのよ。結局、みんな駄目だったけど…。遺体の様子は全部、常連の刑事から聞いたわ。当のキャバ嬢も、元々うちのお客さんだったから、事件に関してはマスコミより先に詳しく聞いてたの」

 顔が広くて常連客が多い、という自慢だろうか?つい穿った考え方をしてしまう。

「な、なんでみんなナツコママに相談しに来るんですか?ただのゲイバーのママなんかに」

 言った直後、失礼な物言いだったと気付くが、徐々にボルテージが上がってきた私にそれを反省する余裕はなかった。

「なんですって!?このメス!」

「りょった、よしなさい」

 気色ばむりょったをよそに、当のママは動じる様子がない。目尻を下げて困ったように微笑んだだけだった。

「ルナちゃん、ママはね、この街、いや、日本一の"オネエ霊媒師"でもあるんだよ」

 マルコさんが穏やかに言う。

「………はぁっ!?」

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