第14話 万国の労働者よ、あべこべなれ

「――誰に言われたか知らないけれど、は遊び場じゃないわよ。ぬべし」


 さっさと帰れと鋭く貫く視線に「はいそうですか」と頷く訳にはいかない。ミエコは同じ入口から入ってきたヒノエに向かって、拳を降ろしながらも睨み返した。


「……やっぱり怪異が原因なのね。ここ金田製作所ウチ神宮司財閥の系列なの。お父様が」

を言ってるんじゃないのよ、

「え……」


 音もなく近づいてくるヒノエのかおは、白熱灯の瞬きに照らされて光陰激しく切り替わり、そのそうぼうの奥に滲む感情など全く見通せない。


「危険な怪異が居るって言ってるの。アナタじゃ何の役にも立たないわ、邪魔なだけよ」


 冷たい言葉――。

 級長の中宮なかみやに言われても何も響かないのに、ヒノエに言われると胸の奥で何かが染みる。抑揚無くとも伝わる意志。それでもミエコは首を振った。


「ごめんなさい。……でもね、私も此処に来なきゃいけなかったのよ」


 ――

 そう言葉にしようとした瞬間。

 天井からぶら下がった白熱球が突然激しく瞬き始めた。バチバチと破裂スパーク音がひっきりなしに工場建屋の中を埋め、ミエコは思わず肩を竦めた。かつて帝劇で見た舞台演芸演出のように、幻想と非現実を綯い交ぜにした光の世界――。


「なッ、なに?」

「――ッ! 危ない!」


 ヒノエが飛び出すように駆け寄り、ミエコの襟首を掴んでぐいっと引き寄せた。「キャッ」と短い悲鳴が漏れた直後、彼女の立っていた場所に何か大きな物体が落ちてきた。

 ガンッ――、と大鐘鳴るが如く、耳をつんざく鈍い金属音が目の前いっぱいに響き渡る。ミエコは蹈鞴たたらを踏みながらも倒れることなく、くるりとヒノエの後ろに身を寄せた。


「……これは」

 ヒノエの肩越しにミエコは見た。


 舞い上がるほこりつちけむりに包まれて。

 横たわっていたのは金属製の

 大きさ5尺150センチにもなる、大の男でも2人がかりで運ぶのがやっとの代物だ。衝撃でぐしゃぐしゃに潰れているものの、靴が散らばっているから間違いない。


「危ないじゃないの、まったく」

 ヒノエが飄々と呟く。

 言葉か――。

 ミエコは拳に力を入れて気を落ち着けた。


「なんで、……なんでこんなものが上から……」

 あるはずがない。

 これは工場のモノだ。

 すべてはに。


 ――ヒヒヒヒヒヒ!

 何処からともなく甲高い声が響き渡った。

 脳髄を錐で抉るような甲高い男の声だ。伊沢のバリトンと対を成すような声色に、ミエコは辺りを思わず見回した。


「だ、誰――ッ!」

『毎日毎日くっせぇ靴ばっか入れられて、俺ぁ空を飛びたくなったぜぇ! ヒヒヒヒヒ!』


 跳ね返ってくるきたない言葉。

 ミエコ眉間が自然と寄ったが、それは無意味だとミエコはすぐに悟った。


 ――

 ――お父様が言っていた、あべこべ現象の原因。


「あんたがこの工場を騒がしている怪異、ね」

 努めて冷静に語調を鎮める。

 舐められぬよう、刺激しないよう慎重に言葉を選んだが、怪異は気遣いなどお構いなしに放言を繰り返した。



ロボット傀儡みてぇな働きモノには休みもヒツヨウ!』

『毎日休暇という名のロウドウ! レッツ・ストライキ!』

『聖戦、停戦、はい敗戦! コーマイなお言葉なんて誰も聞いてねぇぜ!』

『万国のロードーシャよ、バラバラになれ! ――ヒヒヒヒ!』


 何処かで聞きかじったであろうを混ぜ込んだ放言に、ヒノエが錫杖を凜と一振りした。


「聞くに堪えない暴言を吐くのも今のうちよ。大人しく引き籠もる気は無いのね?」


 ――ヒヒヒヒヒヒヒヒ!

 面妖な高笑い。

 その声に呼応するように白熱灯はバチバチと瞬き爆ぜる。2階の窓はビリビリと震え、静まりかえっていたコンベアが、――きっと逆なのだろう、けたたましい音を上げながら動き始めた。

 このホール工場を仕切る演出家は悪趣味極まりない。ミエコは口角を下げながら、ヒノエに小声で尋ねた。


「伊沢さんは?」

「――非番。アナタもさっさと帰って寝た方が良いわよ」

 酷くとげのある一言に言い返そうとした刹那、背後の入口付近から金属音がガンガンと連続して匣中に響き渡った。振り返って見れば――、入口付近に林立していた金属棚が次々と倒れては横に伏せっていく。のか、とミエコは怪異の言葉から連想した。


 ――帰すつもりはないのね。

 そっちがその気なら、こっちも応えてやるまでだ。拳に力を入れ、ヒノエに背中を預けるように肩を寄せた。


「相手は?」

 姿の見えない敵。

 どこから来るか分からない。

 ヒノエはチラリと視線を寄越すと、深い溜息をつきながらも錫杖をくるりと回して虚空に向かって構えた。ミエコの背を守るように、彼女も背中を預けた。


先刻さつきからそれを調べてたのよ。でも、……十中八九、あまのじやね」

「あ――、天邪鬼ゥ?」

 日常の比喩でしか使わない言葉。

 ミエコがとんきような声を上げると、応えるかのように怪異が高笑いしながら叫んだ。


『ヒヒヒヒ! 神も鬼も男も女も、もうどうでも良いぜェ!』

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