010.チャンス

 ロベリアは、自分のデスクに戻ると隣の席にいる先輩記者のリリィに声をかけた。


「少しお時間いいですか?」

「ん? 何か面白いことでもあったのかな?」


 リリィは軽く書類をめくりながら顔を上げると、こちらを向いて興味深そうに微笑んだ。

 私は少し躊躇いながらも、真剣な表情で尋ねた。


「実は、森やその近くの町について調べているんですけど、何か情報がありませんか? 特にここ数年の災害や、魔獣絡みの話とか……」


 リリィは眉をひそめ、少し考え込むように視線を泳がせると、引き出しから古びた地図を取り出した。それを机の上に広げながら、指でなぞるように説明を始めた。


「森の近くなら……この辺りにいくつか町があるわよ。最近はあまり災害の話は出てきてないわねぇ。具体的に知りたいなら、私からいくつか問い合わせしてみても良いけれど」


 私は頷きながら地図を覗き込む。手書きのメモが至る所に書き込まれており、リリィがどれだけこの分野に詳しいかが一目でわかる。思わず「おお……」と感嘆の声を漏らす。

 リリィは「でしょ?」と言わんばかりに胸を張ると、椅子に深くもたれかかった。


「なるほど……いや、今はそこまではしなくても大丈夫です。ありがとうございます」

「そう……困ったら声をかけて頂戴ね」


 リリィは紅茶を入れたマグカップを握って、うーんと唸りながら言葉を続ける。


「私も昔、記事を書くために色々回ったけど、あの辺は少し独特な雰囲気があるわねぇ。森と近いせいか、神秘的っていうか、なんていうか……あと、山脈方面へは行くなって忠告を受けたわねぇ」


 その言葉に、私は目を何度か瞬かせた。


「魔獣がいて危ないからですか?」

「それが、違うのよぉ。呪われているからって言われたわ」


 リリィは一度マグカップに口をつけ、首をかしげる。


「『呪いなんて信じてないから大丈夫でーす』って言って、もう少し見てみようと思ったんだけどねぇ。病気になる? 正気を失う? とかで、止められちゃったのよねぇ。無視して行ってみたんだけど、霧が深くなってきて、三日くらい遭難しちゃったから諦めて帰ってきちゃったぁ」


 えへへ、と茶目っ気たっぷりにほほ笑むリリィに、私は思った。

 このお姉さんは、ふわふわとした雰囲気を纏ってはいるが、おそらく結構な度胸の持ち主なのだろうと。



 ◆



 昼下がり、新聞社の入り口方面からエドガーの大きな声が響いた。


「おーい、ロベリア。聖騎士のイケメンが来たぞぉ」


 突然の呼び出しに、新聞社内は一気にざわめき始める。「聖騎士」という単語が出た途端、同僚たちの視線が一斉に私へと向けられた。


「私にですか……?」


 驚きながら立ち上がり、慌てて玄関に向かう。

 そこには、聖騎士のヘンリーが立っていた。今日は鎧姿ではなく、仕立ての良いジャケットを羽織っている。以前会った時は兜までしっかり被っていたため気が付かなかったが、明るい茶色の短めの髪を左右に上品に分けるような髪型をしており、聖騎士の任務に相応しい長さでありながら、貴族らしい気品のある出で立ちをしている。

 ヘンリーはにっこりと笑顔を浮かべ、周囲を気にする素振りもなく立っている。その姿に、同僚達が遠巻きに興味津々に耳を傾けているのが分かる。

 私は冷静を装いながらも内心の緊張を隠せないまま、彼に声をかけた。


「ヘンリーさん、どうされたんですか?」

「やあ、ロベリア殿。ちょっとした変更の連絡と、お願い事で参りまして」


 彼は軽い調子で言うと、私を周囲の視線から遠ざけるように外へと誘導した。

 建物の外に出ると、ヘンリーは肩を軽く回しながら一息ついた。


「いやあ、ちょっと目立ちすぎてしまいましたかね。急に押しかけて、申し訳ないことをしました」


 申し訳ないと言いつつも、何とも思っていないようにテクテクと歩き出す。私はそれを追いかけながらヘンリーに訊ねた。


「いえ、それで……お願い事というのは?」

「はい。まずは、こちらの都合で申し訳ありませんが、日付を一日前倒して頂きたいのです。そして、こちらがメインのお願いですが……」


 ヘンリーは、一度言葉を切ってチラリと私を見てから続ける。


「私は、あの方がいささか窮屈な生活を送られているのが、以前から気になっているのです。そこで、何か行きたい場所ややりたいこと等のご希望はないか、お伺いしました」

「は、はぁ……」


 私が慎重に尋ねると、ヘンリーは少し真剣な表情になり、口を開いた。


「実は、あの方が買い物をご所望されていまして。植物店に行きたいそうなのです」

「植物店、ですか?」

「そうです。しかし、あの方は……立場が特殊ですので、自由に外を歩き回ることができないのです。買い物如きでは、ダリオン殿が上に掛け合うことはしないでしょう。それに、あの方が普通に出歩いたら目立ってしまうし、先日の記事で顔が出てしまっているため、そのまま出てきては気付いてしまう方も出てきてしまうやもしれません。ですので、ロベリア殿には、あの方が途中で迷子等にならぬよう、付き添って頂きたいのです」

「私が……?」


 ヘンリーは笑みを浮かべながら頷く。


「とはいえ、ロベリア殿に丸投げするわけではございません。お二人が出歩いている間、私は少し離れたところから護衛をいたしましょう……おっと、私には所用がございまして、その都合で何人かと交代で護衛いたしますので、すぐ横を歩いていては違和感があります。ですので、離れたところから護衛させて頂くのですよ」


 私は少し戸惑いながらも、心の中では期待が膨らんでいた。ヴァリク様が変装しての外出、それもヴァリク様と二人きり。取材のチャンスでありながら、どこか特別な時間になりそうな予感がしてならない。


「それと……どうせなら植物店だけではなく、お食事にもお付き合い頂けますと幸いです」

「外食、ですか」

「これは、あの方の気分転換になればと、私とユアンで計画して、ロベリア殿を巻き込んでおります。ですので、必要とあらば謝礼をお支払いする準備はしてありますよ」

「しゃ、謝礼はいいです。私としても楽しそうで、嬉しいですし」


(これって……デートみたいなもの?)


 胸が少し高鳴るのを感じたが、それを表に出さないように努めながら、静かに頷いた。


「わかりました。お引き受けします」


 ヘンリーは、その回答を最初から分かっていたとでも言うように、自信満々に微笑んだまま頷いた。



 ◆



 その夜、私は机に向かい、取材ノートを広げていた。手帳には細かく質問が書き込まれている。趣味、日常生活、そして村に関するさりげない質問──すべてを自然な流れで聞き出せるように、どんな順番で会話をするか、脳内でシミュレーションしていた。


(これがヴァリク様と話すチャンス……この機会を逃すわけにはいかない!)


 深呼吸をして気を落ち着けると、ノートを閉じ、数日後の取材備えるべくデスクの上に置いた。デートのような状況に期待する気持ちと、取材に向けた情熱が入り混じり、すぐには寝付けそうになかった。

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