011.「これで……本当にいいのか……?」
ヴァリクは、鏡の前で硬い表情を浮かべていた。庭師の服を着て、ヘンリーが持ってきた黒毛のかつらをかぶった自分の姿は、どこからどう見ても普段の「ヴァリク」ではない。鏡の中に映るのは、ただの大柄な庭師……いや、どことなく違和感のある庭師だった。
真っ直ぐの長髪のかつらは、耳元や顔を覆うように顔をある程度覆っており、邪魔な後ろ髪だけ一つに括っている。ヘンリーの家の庭師のものを借りたという上着は、いかにも町人といった地味でシンプルなシャツで、手首が若干足りないことに目を瞑れば着心地は悪くない。腹回りはブカブカであるため、ズボンの中に裾を突っ込んでいる。この恰好に、あまり使用しない方の大きなレンズの眼鏡をすれば、見慣れない自分に変身できているような気もしてくる。しかし、しばらく眺めていると小さな不安が頭を
「これで……本当にいいのか……?」
ぼそっと呟く声は、どこか不安げだ。
背後からユアンがぱっと顔を出し、快活な声で返す。
「完璧っすよ! これなら街中歩いても、誰にも気づかれないっす!」
ユアンの軽い調子とは対照的に、鏡の中の自分の眉間には深い皺が寄る。鏡の中の自分をもう一度見つめ直しても、どうしてもこの格好に自信が持てない。
「そうですとも。不自然な恰好であると気にしてしまう方が、よほど不自然です。普段通りに自然にお過ごしください」
ヘンリーがウンウンと頷いて断言する。
「……だが……」
ヴァリクは思わず言葉を濁す。訳の分からない事態に、一挙手一投足の全てがおかしいような気がしてくる。そういえばと思い至り、振り返ってユアンに訊ねる。
「そういえば、俺の何か……仕草が変、といった話を聞いたと思ったのだが」
「……あ! それっすか! これっすよ!」
そう言って、ユアンは直角に近いお辞儀をし、上体を戻してから言葉を続ける。
「これ、最初なんだろうって思ってたっすけど、多分『謝罪』の仕草かなって。なんで地面見てんのかなって思ってたんすけど……まさか、地面見てたわけじゃないっすよね?」
「……あ、ああ! 気が付かなかった……地面を見ているわけじゃないよ」
不覚だった。この
ユアンが困ったような顔をして頭を掻く。
「……詳しくは、聞かないことにしたっす。オレ、ヴァリク様を困らせたいわけじゃないんで」
「私も同じ考えです。我々の為にヴァリク様が今、戦ってくださっているのは事実。そして、ヴァリク様は人が良い方で、権力欲のようなものがあるわけではない。私たち二人は、付き合いこそ数年ですが、ヴァリク様を信用しているのですよ」
二人の反応に、心が温かくなる。こんな得体の知れないであろう俺に、この二人はいつも優しい。理由も聞かずに優しくしてくれることにいつも頭が下がる思いだ。
「で、す、の、で。今日はヴァリク様にはしっかりロベリア殿と楽しくデートをしてきて頂こうと思って、ある程度ご準備させて頂きました!」
ヘンリーのいつも以上の満面の笑みに、自然と肩がびくっと反応する。怖い。
「な、何をさせる気……なんだ……?」
「させるだなんてとんでもない! ご無理なさらないように、少々お口添えしただけですよ。今日はヴァリク様が、植物を買いたいという
「な、なるほど……」
それであれば、自然に話を持っていけそうだし、どこに行けばいいかはロベリアさんに都度訊ねれば良いだろう。
「もし出来そうなら、ローズの花束でもプレゼントしてみるといいっすよ」
「あ! こら、それはまだ早いって!」
「は、花束……」
いかにもデートっぽいアイテムの名前に、一気に緊張が高まる。雑談の中で幾分か落ち着いていたはずの心臓の鼓動が加速していく。
落ち着け、落ち着け自分。まだ何も始まっていないのだから。
腹を抱えて笑うユアンの頭を、ヘンリーは鎧の小手をつけたままピシャリと叩いた。流石に痛かったのか、「ギャッ!」と声を上げてユアンはうずくまる。
「と、とりあえず、今日はあまり変な意識はしないで……外出を……楽しんでみることを意識する、よ。ありがとう」
「いつ振りっすか? まあ、なんとかなるっすよ」
「ははは……な、なんとかなる、かな……?」
すぐに復活して気楽な調子で言葉を返すユアンを尻目に、俺は鏡に視線を戻し、全身を確認する。
「よし……普段通りに、自然に……」
俺は小さく呟くと、鏡に映るぎこちない自分に何とか納得しようとした。
一方その頃。
ロベリアは自室で、服装を前にして腕を組んでいた。最近購入した服は仕事で使っている地味なものばかりで、ぱっと目を引くようなものはない。しかし、今日はそれでは少し足りない気がした。
「うーん……どうしよう」
目の前の服の山を見つめてため息をつく。かといって、ドレスのような華やかな服を着るほどの場でもない。選択肢をいくつか試しながら、最終的に少しだけおしゃれなブラウスを選んだ。落ち着いた色合いだが、どこか柔らかさが感じられる服装だ。
「これなら……大丈夫、かな」
姿見に映る自分に確認するように呟くが、その声にはまだ少し迷いが残っている。それでも、取材に行く身としてはこれで十分だと自分を納得させるしかない。
バッグに記者の手帳とペン、記録用のメモを詰め込む手はどこかそわそわしている。仕事として準備を整えながらも、ヴァリク様との時間がどうなるのか考えるたびに胸が高鳴るのを感じていた。
「これは取材……そう、取材なんだから」
そう自分に言い聞かせてから、大きく深呼吸をして準備を終えた。
◆
いつも通りの順番で邸宅前まで行くと、ヴァリク様が玄関の前に所在なさげに立っていた。黒髪のかつらを被っているが、その大柄な体形を見れば知り合いなら一発でヴァリク様だと分かるだろう。いかにも平民的な地味なシャツの袖を引っ張って何度も気にしている。その手つきには明らかに落ち着きがない。
(……変装、意外と似合ってるかも。)
ヴァリク様の視線がこちらを向いて、私は慌てて軽く頭を下げた。
「お待たせしました」
「い、いや……俺の方こそ」
ヴァリク様はそう答えるが、声がどこか上擦っている。目を合わせるのが恥ずかしいのか、かつらの位置を気にするふりをして視線をそらしていた。
その後ろから鎧姿のヘンリーが現れ、満足そうに元来た建物へ続く扉を指さした。
「では、向かいましょう。ヴァリク様、ロベリア殿!」
そして、ヘンリーは身体を捩じって邸宅の玄関を見やる。
「ユアン! そちらは任せた!」
「おう! 行ってこい! ヴァリク様、頑張るっすよ!」
グッと拳を握って天に向かって突き上げるユアン。それを見て、ヴァリク様は苦笑いを浮かべている。
ヘンリーに続き扉から入り、長い廊下を歩き、吹き抜けを横切って反対側の扉に出る。そして、既に用意されていた馬車が目に入ったかと思うと、ヘンリーそれを指さして小声で「乗ってください」とヴァリク様と私に告げる。それとほぼ同時に、御者席から飛び出した老紳士といった佇まいの男が、御者席から飛び出して、その勢いのまま馬車の扉を開けた。なんという早業だろうか。その連携技に、素早く動かねばと本能的に察知し、急いで乗り込む。私が乗り込み、続いてヴァリク様もなんとか馬車内に乗り込んだのを確認して、老紳士は素早く扉を閉めた。
それを横目で確認したらしいヘンリーが、扉のすぐ横で一つ咳払いをした。
「あー! なんといことだー! 二番目の兄上が腹痛を起こして寝込んでしまうとはー! これは急いで帰らねばー! ああ、大変だー!」
ヘンリーは、棒読みで叫びながら何やらあたりをきょろきょろと見まわしている。
そこに、教会の関係者と思わしき、揃いの制服の二人が通りかかった。大声で喚いているヘンリーを何事かと足を止めて観察している。
「大変だー! 急いで帰らねば―! 任務中であるというのに、なんということかー! しかし、ユアンがいるから問題ないだろうなぁー! ……シグルド! 馬車を出せ!」
ヘンリーは老紳士に向かって叫ぶと、馬車の扉を開けてサッと素早く乗り込んできた。大慌てで私が奥に詰めると同時に、馬車が走り出す。
そして、扉の小窓から外をしばらく観察したヘンリーは、ようやっと大きなため息を吐いて私とヴァリク様に向き直った。
「……ふう、これで多少、誤魔化しも効きましょう」
にっこりとほほ笑むヘンリーだが、私はあの棒読み役者ぶりで何を誤魔化したのか理解できず、苦笑いするしかなかった。
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