009.聖騎士たちのドキドキ大作戦

 ヴァリクは玄関の扉をゆっくりと閉じた。

 さっきまでそこにいたロベリアの姿が頭にちらつき、ふと自分の手元に目を落とす。あの時、ロベリアが傷の塞がった箇所を何度も触れた指の感触や、無邪気に手のひらを重ねて大きさを比べてきたときの温かさが蘇り、思い出すたびに胸が妙にざわつき、落ち着かなくなる。


「……」


 ヴァリクは無言のまま居間へと歩を進める。どうしてこんなにも胸がざわつくのだろうか。


 居間の扉を開けると、ここを離脱した時と同じ光景だった。ダリオンがユアンを睨みつけて怒りに拳を震わせている。ユアンは忙しなく目をテーブル上で右往左往させている。一方、ダリオンはヴァリクが戻ってくるや否や拳の力を少し抜いて、目を細めてこちらを見た。


「……ヴァリク様。今後の発言にはお気をつけください」


 ダリオンが低い声で告げる。そのままユアンに視線を移し、さらに言葉を続ける。


「ユアン。ヴァリク様を詮索するような質問をした場合は、止めるように伝えたはずだ。以後気を付けるように」

「……申し訳ございませんでした」


 ユアンがガタッと大きく椅子を揺らして立ち上がり、胸に右手を当て左手を腰に下げた剣の柄に添え、目を閉じて軽く頭を下げる。彼にしては珍しく聖騎士らしい真面目な所作に、何故だか悲しくなってくる。

 そんなユアンを一瞥して、ダリオンは小さくため息をついて部屋を出ていった。

 ユアンがゆっくりと目を開ける。


「……嫌な思いさせちゃって、すいませんした」


 ユアンが俺に向かってペコリと頭を下げる。


「い、いや! ユアンは悪くないよ……本当に……俺が悪いんだ。話しにくいことを、うまく受け流すことが出来ないのが悪いんだ……」

「……ヴァリク様、あの……一つ良いですか」


 唇を噛んだユアンが言葉に詰まりながら質問をしてくる。


「あの、オレ、ヴァリク様が騎士の家の出なんて、初めて知ったっす。ヴァリク様のとこに来る前、ヴァリク様は木こりの家の子って聞いてたっす。あの、ノクスリッジ山脈と聖王国の間の森を護る神聖な職業で……とか、なんとかって」


 ……嘘が下手な自分が恨めしい。心臓が早鐘を打つ。木こりの家の出なんて嘘だ。誰が決めたのかもよく解かっていない「カリストリアの守護者」の設定上の話だ。

 答えることに必死になりすぎて、本当の自分のことを話してしまった。幼少期の思い出が走馬灯のように脳裏を過る。見上げる父上の背中は大きかった。記憶の中の父上は、振り返って俺の頭に手を置いてガシガシと乱暴に撫でる。広い庭では弟たちの笑い声が響いており、母上は木陰に置いた椅子に座ってこちらを見ていた──そういう幼少期を過ごしていたのだ。


「ずっと不思議だなって思ってたんすよ。あの、咄嗟に出る仕草もなんか、珍しいというか……」


 ……仕草? どれのことだ?

 早計な自分に歯噛みする。そんなこと、気にして生活してなどいなかった。この家にずっと軟禁状態だったのだ。

 ユアンはそっと顔をあげて、俺を真っ直ぐに見つめてくる。


「……聞いていいっすか? あの、ヴァリク様って、本当は何者なんすか?」


 答えられない。何を言えばいいのか、頭の中で考えが錯綜して、何が何だかわからなくなる。思わずユアンから視線を外す。

 漸く絞り出した返事は、ユアンへの回答にはなっていなかった。


「……世間で、どんな風に言われているのか、正直、あまり把握しては、いない……どうでもいい。本当のことじゃ、ないし。ただ……」


 深呼吸してユアンを見つめ返し、言葉を続ける。


「俺は……俺は、出来る限り、誠実でありたい……ユアンに対しても、ヘンリーにもダリオンにも……ロベリアさんにも」


 情けない自分に、目頭が熱くなる。大の大人が情けないと思っていても、自分ではどうしたらいいのか分からない今の状況に、胸が詰まる。

 ユアンはそんな俺を見て、目を丸くした。


「ちょ、ヴァリク様ぁ?! どどど、どうしよう! ハンカチ……無い!」

「あ、いや! いい、要らない! 泣いてない! 大丈夫だからッ……!」


 バタバタと慌てだすユアンを慌てて止めたせいで溢れそうになった涙が引っ込んだ。

 ユアンが納得したのかどうかは分からないが、ある程度いつもの調子を取り戻したようであった。



 ◆



 二回目の取材から何日か後の夜、居間の片隅で私はユアンとひそひそと話し込んでいた。どちらも妙に真剣な顔つきで、まるで戦場で作戦を練る歴戦の兵士のようだ。

 本日、ダリオン殿は非番。この話をするなら、今日が絶好のチャンスなのである。


「……ヴァリク様について、どう思う?」

「そうっすね……オレの見立てでは……」


 私は、同僚兼友人のユアンの真剣な顔を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。ユアンが続ける。


「緊張とかで頭がヤバいっす。あと多分、ロベリアさんが好きっすね」

「……私も似たような意見だ」


 ヤバいというざっくばらんな言葉ではないが、概ねユアンと同じ考えである。私がヴァリク様の護衛の任に就いたのは約三年前。その間、ヴァリク様は戦場と邸宅を行き来し、庭に出て花を弄って家でぼーっと過ごされて別の部屋でまたぼーっと過ごして、寝て起きて食事をしてまた庭に出て花を弄って庭でぼーっとするような生活をされている。常人には耐えられないような暇人であられるのだ。

 最前線でどんな苛烈な戦いをされているのだろうか。そう思って、これまではとにかく過ごしやすい環境をと立ち回ってきたつもりだ。

 それが、約三週間前から変わったのだ。ロベリア殿の出現が原因である。

 ロベリア殿と会話するヴァリク様は、明らかに態度がおかしい。どこからどう見てもどう見ても意識されている。あまりにも意識されている。これはもう、ロベリア殿も察しが付いていることだろうと思っている。


「……ユアンよ。このままでは、ヴァリク様が記者殿とどうこうなる可能性は無いとは思わないか?」


 私が声を潜めて言うと、ユアンは腕を組みながら大きく頷いた。


「っすねぇ……ヴァリク様、どう見ても意識してるっすけどね。自覚はされてなさそうっすけど」

「そうだ。そこで私は考えた」


 ユアンがテーブルに身を乗り出し、深刻そうな顔で私の目を見つめてくる。


「ダリオン殿が非番の日に取材を入れ、ロベリア殿に頼んでヴァリク様とデートに行ってもらうのだ」

「お、おおおお?!」


 ユアンの目が輝き、机を軽く叩いた。

 だが、そこでユアンはふと顔を曇らせる。


「でも、ダリオンさんが察したらヤバくないっすか? あのおっさん、めっちゃ怖いっすよ。それに、どうやって非番の日に回すんすか?」

「フフフ……それはもう対策済みだ。新聞社へ直接出向いて、ロベリア殿に伝えてきた。次回のインタビューの日を前倒しにして、ついでにロベリア殿に街中を散歩してくるように頼んである」

「ヴァリク様が街中で見つかったら? それに、どうやってここを抜け出すんすか?」

「無論、対策済みだ。私の兄上は散歩好きでよく変装をして街中を歩かれている。そのかつらを借りてきた。うちのの庭師の服も借りてきた。少々ズボンの丈が足りぬから、上着だけであるが……うちの庭師は大柄で巨漢であるから、なんとか入るはずだ」


 だんだんとユアンが笑顔になっていく。


「あと、ここを抜け出す際の馬車も、私に至急の帰宅命令が出たという体で馬車が迎えに来ることになっている。私はそれに同乗し、ヴァリク様とロベリア殿を街中まで送り届ける。ユアンはここで、ヴァリク様の不在を悟られぬよう、邸宅に近付く者がないか監視していてほしい」

「いけるじゃないっすか……!」


 私はユアンにさらに告げる。


「ついでに、当日、非番のダリオン殿に兄上経由で雑用を依頼しておいた」

「か、完璧じゃないっすか……!」


 ユアンは目をキラキラと輝かせ、何度も拳を握って肘を直角に曲げて右腕を突き出してきた。私もそれに合わせ、右腕を出してガシッと力強く腕と腕同士を組む。


「……作戦は慎重に行こう」

「了解っす!」




 早速、私とユアンは決戦を迎えるかのような意気込みで、寝室でゆっくり過ごされているヴァリク様に話を持ち掛けることにした。

 ドアをノックし、「はい」と返事があるや否やユアンがバンッとドアを全開にする。私はその後に続いて寝室に入り、びっくりしてベッドから立ち上がりかけたままの姿勢で固まっているヴァリク様に言う。


「ヴァリク様!」

「は、はい……?」


 私の力強い呼びかけに、ヴァリク様の顔には驚きと困惑が浮かぶ。

 私は胸を張り、ユアンと共にヴァリク様の前に立ちはだかった。


「ロベリア殿とデートして、きちんと自分の気持ちを確かめてください!」


 その言葉に、ヴァリクの表情がみるみるうちに赤く染まる。


「デ、デート……? なんで……? ど、どうやって?」


 彼は目を瞬かせながら、一歩後ずさった。


「全て私が手配しておきました。ロベリア殿にも承知頂いております!」

「え、ええ……? いや、しかし……ロ、ロベリアさんに失礼だし、い、意味が分からない……デートは好きな人と行くべきではと、思うんだが」

「好きですよね?」


 私はヴァリク様に一歩詰め寄る。後退ろうとして、ヴァリク様はベッドの縁に足を引っかけてどすんとベッドに腰を落とした。


「い、いや……ふ、普通……だと……」

「好きか嫌いかで言えば好きっすよね?」


 ユアンがヴァリク様にたたみかける。


「いや……でも、嫌いでは……」

「じゃあ好きってことっすよね?!」

「ちが……いや、でも嫌いじゃ……」

「つまり好きなんすよね!」


 冷や汗をだらだらと流すヴァリク様は、ユアンの気迫に気圧されたのか、首を縦にコクコクと動かして肯定する。


「す、好きです。好きでいいですッ!」

「……っしゃあ!」


 私は見事な呼吸の一致で無言でユアンと手をバシンと強くぶつけ合って、互いの功績を称えあう。ヴァリク様はそんな我々を交互に見つめ目を白黒させていた。


「す、好きと言うか、好意的ではあるというだけで……」

「なんなんすかそれ! 好き寄りの好きか、嫌い寄りの好きかで言えばどっちっすか!」

「好き寄り……?」

「じゃあ好き寄りの好き寄りの好きか、嫌い寄りの好き寄りの好きかで言えば」

「ユアン、もういいから」


 訳の分からない問答に入りかけるユアンを制止して、私はヴァリク様に向き直る。


「ヴァリク様、良い気分転換にもなります。作戦も対応済みです。たまの気分転換のつもりで、ご自身の気持ちを確かめて来てください!」

「そうっすよ、オレらががサポートするんで、心配しないでください!」


 ヴァリク様は頬が赤いのに青白いという器用な表情のまま、首を何度もがくがくと動かし、了承してくださった。

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