008.英雄ヴァリクの過去
英雄の素顔を追うシリーズ第2弾
「英雄ヴァリクの食卓」
質素な食卓。それが救国の英雄、ヴァリク様の普段の姿だ。
聖騎士たちとの簡素な食事風景は、実に温かみがある。ヴァリク様の不器用な手つきが織りなす日常は、戦場での鋭い剣のイメージとは大きく異なる。しかし、その中にこそ、彼の誠実さや謙虚さが垣間見える。
特に印象的だったのは、ヴァリク様の「作る」という行為への真剣さだ。包丁を握る手はおぼつかないが、その表情は何かを伝えようとする熱意に満ちていた。英雄が手ずから作る食事。その一皿には、誰よりも深い「守る」意思が込められているように思える。
──記者 ロベリア・フィンリー
◆
「……ふぅ」
私は深く息を吐いて、手元の原稿を見つめた。ここ数日かけて書き上げた記事だが、果たしてこれでいいのか、まだ迷いが残る。
「ロベリア、お前まだその記事いじってんのか?」
突然背後から声がして振り返ると、そこには新聞社の先輩記者であるエドガーが立っていた。垂れ目に、適度に乱れていて跳ねた毛先が目立つ。まるで、朝の寝癖をそのまま残したかのような無造作さだが、不思議とそれが彼に似合っている。垂れ目の気怠げな表情と合わせて、飄々としていながらもどこか頼りがいのある雰囲気を醸し出している男だ。
エドガーと言えば約半年前、同じ先輩社員のリリィの案内で何故かトイレにいたところを目撃されて、絹を裂くような悲鳴をあげる羽目になってしまった出来事があった男でもある。ちなみに、何も見えていないし、何も見せていない。
エドガーは口元に薄く笑みを浮かべているが、その目は鋭い。
「記事は書き終えたんですけど、なんか、まだ腑に落ちなくて……」
「見せてみろ」
エドガーは私の手から原稿を取り上げ、目を滑らせるように読み始めた。
「ほう、食卓の記事か。英雄ヴァリクって普通に飯食うんだな」
「はい。ご本人は食べないと思われてたことに戸惑ってましたけど。なんか、思った以上に普通のご飯でした」
「……なるほどな」
エドガーは腕を組み、少し考え込むような表情を見せた。そして、うーんと唸りながら言ってくる。
「しかし、なんか分かりにくい人物って感じはあるよな。なんか、バックグラウンドが見えないみたいな」
「バックグラウンド、ですか?」
「ああ。英雄ヴァリクの出身地って、滅ぼされた村だろ? そいつについて触れれば、記事にもっと厚みが出ると思うがな。そこに対する情とか恋慕的な話とか、そういう話が出てくるのがありがちな記事だろう?」
「たしかにそんな気がしますね。でも、取材では特に村の話は出てこなくて……」
私が答えると、エドガーは肩をすくめ、机に腰掛けた。
「ふむ、そうか。なら俺が少し手伝ってやるよ」
「えっ?」
「お前、まだペーペーの記者だろ? ベテランの手を借りても良いんだぜ? 大体、調べ物の時は人海戦術になることだって多いんだ」
「そんな、ご迷惑じゃ……」
「迷惑なんざ思ってねえよ。むしろ面白そうじゃねぇか。あとはまぁ、一つ理由を上げるなら」
二、三歩こちらに背中を向けて歩いたエドガーが、立ち止まってくるりと回って振り向く。
「取材予定だった飯屋が火事になっちまった。要は暇になった」
エドガーの軽快な調子に、私は思わず「あはは……」と力なく笑った。
◆
翌日、エドガーと私は図書館に向かい、ヴァリク様の村に関する資料を調べることにした。
「英雄の出身地だから、もっと場所とか歴史とか具体的な記録が多少なりあると思ってたが……」
エドガーが資料をめくりながら首をひねる。実際、村に関する記述は「英雄ヴァリクが神の力を得た地」という英雄伝説の一部に過ぎず、地名や住民についての詳細は見つからなかった。
「なんか、そもそもちゃんと実在してたのかすら、よく分からなくなってきますね」
私の言葉に、エドガーさんがうなずく。
「まあ、プロパガンダってのはそういうもんだ。都合のいいところだけ脚色して、あとはぼかす。本当はもうちょっと違う場所の話かもしれないな」
「うーん、そうなんですかね。似たような別の場所の話だとしたら、似たような情報が残っててもいいんじゃないですか? そもそも丸ごと焼かれた村って話自体が見つからないんですけど」
「確かにな。魔獣関連なら、誰が襲ったとか、何が起きたのか、とかな。村が全滅したのは、火災じゃなくて本当は水害だったっていう線もあり得る……か?」
彼の言葉に、私はふと違和感を覚えた。ヴァリク様のこれまでの記事では、燃やされたとか魔獣に蹂躙されたとか、色々な言い方をしていた気がするが、考えてみれば火災が原因というのと魔獣による破壊が原因というのは、出来事としてはかなり異なるものなのではないだろうか? 火災なのか魔獣関連なのかがごちゃごちゃになることって、あり得るのだろうか?
「……これまでの記事って、どなたの担当でしたっけ?」
「あー、それはカミラだな。とは言っても、カミラは聖王国教会から掲載しろって言われた記事の校正しかやってないらしいが。今までの記事は全部、聖王国教会が載せろって言った情報を記事にしてただけのはずだ」
◆
「……で、わたくしにご相談に来たというわけですか」
切れ長の目に銀縁の眼鏡。赤茶色の髪をカチューシャで押さえてオールバックにしている、いかにも神経質そうな女性──カミラは、エドガーと私の顔を交互に見つめながら言う。
「ああ。カミラならなんか知ってるかと思ってな」
「残念ながら存じ上げておりませんね。わたくしは、文芸欄、声欄、読者投稿、投書欄の校正ついでに、英雄コーナーも担当しているだけですので」
こちらの様子を静かに観察しているらしいカミラは、ゆっくりと口を開き言葉を続ける。
「ですが、はっきり言って英雄コーナーの内容は嘘八百と思っておりますよ。記述内容が少しずつ食い違っていますので」
「どういうことですか?」
「たとえばですが、一ヶ月と一週間前のこちらの記事」
そう言って、きっちりと記事がスクラップされている分厚いアルバムを取り出し、パラパラとページをめくって途中に出てきた記事を指差した。
「ここでは『村は一夜にして炎に包まれ、住人たちは逃げる間もなく命を奪われた』と記載されています。ですが、一年と九ヶ月と少し前の記事では『魔獣が暴走し、村全体を炎で包み、周囲を焼き尽くした』と書かれています」
カミラは、さらに別のアルバムを手に取って話を続ける。
「三年と……二ヶ月と三週間前のこちらの記事では『村は突然の炎と魔獣の暴威に襲われ、生き残った者はいなかった』となっていますね。さらに四年前まで遡ると『村人たちは命からがら逃げ出したが、近隣で魔獣に捕らえられ命を落とした』『魔獣の襲撃によって村は壊滅し、住民は抗う間もなく蹂躙された』と、炎の記述が出てこなくなります」
カミラは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、静かな眼差しを向けた。
「ここまで記述がブレるのは、そもそもこの話自体が嘘で、大して重要な情報ではないと判断されているからなのではないかと考えています。今は存在しない村の話であれば、そういう判断になっても不思議とは思いません」
カミラの根拠の説明に、エドガーと私は二人そろってゴクリと唾を飲み込んだ。
理路整然としていたのはもちろんだが──
「カミラさんって、記憶力めちゃくちゃ良いんですね……!」
「わたくしも単なる世間話なら忘れます。取材中の発言とか、読んだ記事とか、そういった情報は自然と残るのですよ。別に、普通のことと思います」
「へぇ! やっぱり記者って記憶力良くないと駄目なんですね。私も頑張ります!」
そう意気込むロベリアから視線を外し、本来取材する予定だった飯屋の名前すら忘れた男、エドガーは、窓の外をぼんやりと眺めることにする。
……今日は天気が良いなぁ。
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