共依存という名の甘い毒

ぬーん

共依存という名の甘い毒

 クリスマスの夜にこれを書くということは、まだあの恋を引きずっているからなのか。いや、違う。決別するためだ。


 恋愛とはこんなにも複雑で、こんなにも面倒なものだったのかと、今になって思う。


 始まりは、ほんの軽い気持ちだった。

「あなたと話してると、なんだか時間を忘れちゃうんだよね」

そんなふうに私が言うと、彼は少し驚いた顔をした。

「なんで?」と控えめに尋ねる彼に、私は微笑んで答えた。

「楽しいから。もっと話したいって思っちゃう」 その言葉に、彼は少し間を置いて言った。

「それって......普通、好きな人に言うことじゃないの?」

少し戸惑いながら返す彼に、私はわざと軽い調子で言った。

「うん、だから好きだよ?」


 冗談半分で放ったその言葉が、彼の心を揺らした瞬間を、私は確かに感じた。


 そのとき私は気づいてしまった――この人は私の言葉一つで動くのだと。


 彼が私の仕掛けた罠にはまったのは、その瞬間からだった。

これまでの人生で味わったことのない「愛される」という感覚――その甘美な響きに、私はずっと憧れていた。

 必要とされたい。ただそれだけの思いで、私は彼を手のひらで転がし、その隙間に自分の孤独を埋めようとしていた。


 けれど、そんな関係に幸せなどあるはずがなかった。いつから私たちは共依存になっていたのだろう。

 共依存――それは、自分自身を見失う関係のこと。彼に執着すればするほど、私自身が消えていくような感覚が増していった。


 それでも、「愛される」という幻想を追いかけるのをやめられなかった。その憧れは、私の中であまりに大きく膨らみすぎていたのだ。


 彼はいつも遠いところにいた。それは物理的な距離だけではない。心の距離もまた、埋めることのできないほどに離れていた。


 今になって思う。あの関係は、愛ではなく、ただの依存だったのだと。そして、愛されたいという私の欲望が、彼をも私をも苦しめる結果となってしまったのだと。


 やがて、彼から告白された。その瞬間、私は予想通りだと感じた。そこから先は、自分の都合の良いように彼を利用するだけだと決めていた。この恋が永遠に続くとは思っていなかったし、いつか私の方から終わりを告げるつもりだった。


 それなのに――


 いつの間にか、すがりついていたのは私の方だった。


 彼からの連絡を待つ自分がいた。何度もスマホの画面を確認して、返信の一言に一喜一憂する自分が。私はもともと連絡を頻繁にするのが苦手だった。それなのに、変わったのかと思い込もうとしたけれど、実際は無理をしていただけなのだろう。彼に合わせるために、自分を押し殺していただけなのだ。


 罠にかけたつもりだった。自分の孤独を埋めるために、彼を手の中で転がしていたはずだった。それがいつの間にか、私自身がその罠に囚われていたのだ。彼の愛情を求め、それなしでは自分を保てなくなった私がいた。滑稽だった。操っているつもりが、操られているのは私の方だったのだから。


 どうして立場が逆転したのだろう。


 私たちはただ、お互いに空っぽの器を差し出していただけだった。その一瞬だけ、隙間を埋める感覚を共有し、満たされたように錯覚していただけだった。だからこそ、惹かれ合ったのだろう。


 そして、その器を置いて別々の道を歩き出したとき、私たちはまた、元の孤独に戻っていった。空っぽの器だけが、静かにそこに残されて。


 楽しい時期も、確かにあった。笑い合い、未来の話をし、ふざけ合う瞬間もあった。だけど、どこかでいつも何かが欠けていた。心が安定しない日々の中で、心から楽しめた瞬間は驚くほど少なかった。楽しさと不安が交互に押し寄せるその関係は、静かな砂浜に波が打ち寄せては引いていくようだった。美しいけれど、いつまでも立っていられる場所ではなかったのだ。


 異様に返信の早い彼は、自分が私に都合良く使われていることを知っていたのだろうか。私の満たされない心を埋めるため、彼はいつも私の機嫌を取らされていたのだ。でも、それは相手も同じことであったと、今になって気づく。お互いに不完全なまま、相手にその欠けた部分を補ってもらおうとしていただけだった。


 私は、何もかもルールや義務にしないと不安になる人間だ。彼との会話も、電話も、すべてが私の中でマニュアル化されていた。それが私を支える唯一の方法だった。けれど、そんな形式ばかりの関係に、本当に意味があったのだろうか。


 愛はもっと自由で、もっと自然なものだったはずだ。だけど、私はそれを信じることができなかった。自分の手で形を作り上げ、壊れないようにしがみつくことしかできなかった。彼もまた、私と同じように、その器を埋める感覚を必要としていたのだと思いたい。私と同じようにどこかで満たされない心を抱えていたのだと。


 別れを告げるタイミングは、これまで何度もあった。けれど、そのたびに言葉を飲み込んだ。


「会ってみたい」という気持ちが、心のどこかに残っていたからだ。まだ直接会ったことのない彼に会えば、何かが変わるかもしれないと、期待していた。ずっと続く違和感や虚しさが、触れることで解消されると信じたかったのかもしれない。


 そして、ついにその時が来た。

 彼が目の前に立っている。画面越しに見ていた笑顔、知っているはずの声。それは確かに「いつもの彼」だった。話し方も、雰囲気も、想像と大きな違いはなかった。けれど、顔を合わせた瞬間、胸の奥に広がる違和感はどうしようもなかった。


「言葉だけの出会いでなければ、きっと付き合っていない」

 その確信が私の中で静かに芽生えた。けれど、それを認めたくなかった。認めたら、この関係の意味すら否定してしまうようで怖かった。だから、気づかないふりをして「このままでいい」と自分に言い聞かせた。


 それでも、彼と過ごしたその時間は、確かに幸せだった。手をつなぐだけで胸が温かくなるような感覚があった。短い間だけれど、夢の中にいるようなひとときだった。


 駅の改札の向こうには、いつも通りスマホでしか会えない日々が見えた。

「帰りたくない」

 私は小さな声でそう呟いた。でも、その言葉を打ち消すように彼は困ったように微笑んで、私の頭を撫でた。

 渋々改札へと足を運ぶ。振り返って手を振る。彼も笑顔で手を振り返してくれた。その笑顔がだんだんと遠ざかり、視界から消える瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。悲しさと寂しさが、一気に押し寄せてきて、これまで感じたことのないほど、心を揺さぶる感情だった。


 でも、どこかで分かっていた。この瞬間の幸せが、私たちの未来を変えることはないのだと。

 彼と過ごした時間の中で初めて触れた本物の温かさ。それは確かに私の中に刻まれた。でも、その温かさを知ったからこそ、その後の孤独はさらに深く、重く感じられることになったのだ。


 電車に乗り込み、窓の外を眺める。街の灯りが流れるように遠ざかり、まるで彼との距離がそのまま映し出されているかのようだった。スマホを手に取ると、彼からのメッセージが送られていた。

「楽しかったね。また会おう」と。

「私も楽しかった。また会えたらいいね」そう返した。


 もう一度会える気はしなく、こんな返しになってしまった。心がさらに沈む。それでも、あの瞬間の笑顔や手の温もりだけは、今も微かに私の心を支えてくれている気がした。


 けれど、わかっている。この距離を埋める方法はないのだと。家に着く頃には、彼の笑顔や触れた温かさも、遠い夢のようにぼやけてしまうのだろう。それでも、あの一瞬の幸福を否定することだけは、どうしてもできなかった。


 それからは結局、私から別れを切り出すことはできなかった。共依存という名の中毒に深く囚われていた。相手からの連絡を待つ自分。連絡が来なければ不安になり、来た瞬間にホッとして、それでもまた次の不安が押し寄せる。この繰り返しが私の日常になっていた。まるで薬に頼るように、彼との関係に依存していた。

 抜け出したい――そう強く思えば思うほど、その不安定な関係にますます縛られていく自分がいた。


「お前は詐欺師みたいだな」


 友達にそう言われたことがある。確かに、私は詐欺師だったのかもしれない。最初から彼を手のひらで転がそうとしていたのだから。でも、詐欺に引っかかる側の合意の上でその関係に踏み込んでいるのではないかと。彼もまた、私と同じようにこの虚構の愛を望んでいたんじゃない、と。


 彼の優しさ、彼の言葉、彼の仕草。すべてが本物だったのだろうか。それとも、私の心を掴むための策略だったのか。考えれば考えるほど、わからなくなっていく。


 私が詐欺師だとしたら、彼から何を奪えたのだろう。彼の時間?彼の純粋な愛?それとも、そもそも何も奪えなかったのだろうか。もしかしたら、私の方が奪われていたのかもしれない。


 それでも、もし私が彼の中に何かを残せていたのなら。それが痛みでも、怒りでも、かすかな温もりでも。それだけでよかったのかもしれない。たとえ詐欺のような関係だったとしても、あの瞬間だけは確かに本物だったと信じたい。あの愛が、たとえひとときの幻想だったとしても。


 彼はよく将来の話をしていた。「結婚したら......」「こんな夫婦に憧れる」なんて話を、楽しそうに語る彼。だけど、私は心のどこかで白けていた。なぜそんなに真剣に考えられるのだろう。この先も続くなんて、無理に決まっている

のに。私にとっては、明日のことすら不安だった。彼の話はまるで別の世界の話を聞いているようだった。彼が語る"未来"があまりに非現実的に思えたからこそ、私は現実の"今日"に追われていた。これは年齢差のせいなのだろうか。それとも単に、私たちが住む世界が違っていたのだろうか。


 彼が「ずっと〜」「一生〜」と言うたび、私は内心でうんざりしていた。永遠なんてありえない。それなのに、そんな言葉を口にする彼が気持ち悪くさえ思えた。だけど、彼の言葉には応えなければならないそう自分にルールを課していた私は、結局「私も」と返していた。本当の気持ちは、見ないふりをして。


 彼が思う"永遠"や"未来"――それは、私には到底理解できないものだった。たとえそれがどれだけ美しい理想であっても、私にはただの重荷にしか感じられなかった。


 彼もきっと、それが現実的ではないことくらい分かっていたのだと思う。それでも、あえてそんな言葉を口にしていたのは、私を安心させたかったからなのだろうか。それとも、彼自身が本気で未来を考えていることを示したかったのだろうか。あるいは、何も深く考えず、ただ思いつくままに言葉を並べていたのかもしれない。


けれど、現実主義の私にとって、理想を語ることはできなかった。未来なんて不確かで、変わり続けるものなのだから、永遠を約束する言葉はどれも空虚に思えた。


 本当は、もっと自由でいたかった。もっと自分らしく、気持ちを素直に表現したかったのに。でも、その自由を求めることが、彼に対しての裏切りに感じてしまう自分がいた。だから、知らず知らずのうちに、私は彼にも自分の価値観を押し付けてしまっていたのかもしれない。


 「こうしてほしい」「こうするべきだ」――そんな言葉を口にして、彼に期待することで、自分の不安を埋めようとしていたのだと思う。けれど、その期待は私自身を縛りつけるだけでなく、彼の自由も奪っていた。


 お互いの価値観が違っていたのだと思う。

 彼が望んでいたのは、理想的で永続的な愛。

 私が求めていたのは、もっと現実的で、自由な関係だった。

 その違いに気づきながらも、私は見ないふりをしていた。


「なんで私たち、付き合っているんだっけ?」

 そんな言葉が、私の口からよく漏れていた。好き――その気持ちは確かにあった。だけど、それだけでは埋められない孤独があった。会えない日々が続く中で、寂しさに押しつぶされそうになりながら、私は次第に付き合っている理由を見失っていた。


 それでも、不思議なことに、私はいつの間にか彼との関係に真剣になっていた。

こんな恋に本気になるつもりはなかった。始めから、それだけは決めていたのに。

それでも、気がつけば、彼の存在が私の中で特別なものになっていた。その事実に、私は危機感を覚えた。自己防衛のためにも、本気になってはいけないのに。


 彼が来てくれて、会う機会ができた。彼が手を伸ばして繋いでくれたとき、私は無意識に、指を絡めながらもピンと伸ばしたままだった。それが気になったのだろう。彼は逆の手で私の指を包み込み、ほどけないように纏わせながら、小さく呟いた。

「ちゃんとくっつけてよ」


 その言葉に胸が少し痛んだ。彼の寂しそうな声が心に響いたからだ。


 もしかしたら、彼はこの関係を繋ぎ止めようとしていたのかもしれない。でも、私の無意識の仕草は、この関係から逃れたいと願う心の表れだったのだろうか。

 共依存から抜け出したい――そんな思いを抱きながら、彼の温もりを手放すこともできない自分がいた。


 彼が私を愛おしそうに見つめる目、優しく頬に触れる手、そっと頭を撫でる仕草――そのすべてが、私の胸を温かく満たした。この温もりが永遠に続けばいい。現実感から冷めきっていた私の心に、彼との温もりを感じた。

 あれほど永遠なんて信じないと決めていたのに、なぜだろう。その瞬間だけは、「ずっとこのままでいられたら」と願わずにはいられなかった。


 けれど、前回とは違い、駅の改札で別れるとき、寂しさも悲しさも感じなかった。

長い時間一緒に過ごしたことで心が満たされたのか、それとも疲れてしまったのか。ただ冷静に、『早く帰らなければ』という現実的な考えが頭を占めていた。私たちだけの幻想は、とうとう現実の冷たさに引き戻されていた。もしかすると、その瞬間に私は感覚的に理解していたのかもしれない。

 これが、彼と会う最後になることを。改札を通り抜け、何となく振り返ってみると、彼は下を向いていた。その姿が、言葉にできない静かな悲しみをまとっているように見えたけれど、私はそれ以上深く考えようとしなかった。


 あのとき私たちは確かに、幸せだった。けれど、人間という生き物はなんて傲慢なのだろう。一度"幸せ”を知ってしまうと、その幸せ以下の状態を受け入れられなくなる。あの日、会うことで得た幸福があまりにも強すぎて、その温かさを知ったからこそ、会えなくても楽しかった頃の私たちには戻れなくなっていた。それが、私たちの終わりだった。あの日を超えることはもうなかったから。


 何度も彼を嫌いになろうとしたし、嫌いにさせようともしていた。冷たい言葉を選んでぶつけてみたり、「寂しい」と過剰に伝えてみたりして、彼を突き放そうと試みた。それでも、彼は変わらず優しさを向けてきた。その優しさが、かえって辛かった。


 好きか嫌いか、その二択でしか物事を測れない自分の未熟さに嫌気がさしていた。だからこそ、最終的に彼が別れを切り出してきたとき、これこそが私の計画通りのはずだと思った。


 でも、その時は唐突であった。

 彼が急に「友達に戻りたい」と言い出したからだ。その言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。心の中が言葉でいっぱいになった。なぜ?どうして?あなたが「付き合おう」と言ったのに、今さら「友達」なんて何を言い出すの?そんな中途半端な提案で、私が納得できるとでも思ったの?友達になんて戻れるわけがないのに。


 今になって思えば、彼らしい別れ方だったのかもしれない。物事に白黒をつけることを避け、曖昧なまま終わらせようとする彼の性格そのものだ。別れの原因はただ、性格の違いだったのかもしれない。曖昧が好きな彼とはっきりさせるのが好きな私。ただそれだけのこと。けれど、その「それだけ」が私たちをじわじわと追い詰めていたのだと、今になって思う。

 よく考えればこの別れには前触れがあった。連絡の返信が目に見えて遅くなっていた。それに気づいて、私は無意識に、嫌われるように振る舞っていたのだ。

それも計画通りだったはずだ。


 だけど、いっそ「他に好きな人ができた」とか、「お前のことが嫌いになった」とか、そういう明確な言葉を突きつけてくれたなら、どれだけ楽だっただろう。そしたら私はその瞬間に彼を嫌いになれて、関係を終わらせることができたかもしれない。それなのに、彼は曖昧な言葉ばかりを選び、私の中に中途半端な感情だけが残った。

そのせいで、どうしていいのかわからなくなった。そしてそれは、2人の相性が非常に悪いことを明白に示していたのだと思う。


 だから私は聞いた。「嫌いになったの?」

 彼は首を振り、「いや、まだ好きだよ。ただ冷めただけ」と言った。


 「まだ好きだ」と言われたとき、私は驚いた。好きなのに、「冷めた」という感情がどういうものか、私には全く理解できなかった。彼の中では「冷めた」は「嫌い」とは違うのだろうが、私にとってらそれが曖昧すぎて納得できなかった。むしろ、「冷めた」という言葉の代わりに、早く「嫌い」と言ってほしかった。それならば、こちらも潔く関係を終わらせられたのに。


 こんな気持ちを抱えたのは、私が受け身な姿勢だったからだろう。私からは彼に別れを告げる勇気がなく、彼の気持ちを動かそうとばかりしていた。ただし、それが「好きにさせる」ではなく、「嫌いにさせる」という歪んだ方向で行われていたことに、自分自身でも違和感を覚えざるを得なかった。そして、まだ彼を完全に嫌いになりきれていない自分にも嫌気がさしていた。


 もういっそ、彼の嫌いだった部分を直接暴露して、自分の中で彼を完全嫌いになろうと思った。同時に、彼にも私を嫌いになってほしいとさえ思っていた。そうすればすべてが終わるから。


 最終的には、私の思惑通り彼は私を嫌いになったようだった。

「そんな人だとは思ってなかった」と彼は言い、私たちの距離は完全に断ち切られた。最初は「友達に戻りたい」という中途半端な別れ方を提案してきた彼が最後には「友達にはもう戻れない」とまで言った。


 彼も私も嫌い同士になれた。だから、私の計画は成功したはずだった。けれど、それは思った以上に自分の心を痛めるだけだった。成功したという安堵と別れることへの悲しみ、その両方が入り混じり、心の整理がまったくついていない自分がいた。


 なぜこうなってしまったのか。私がもっと早くにこの関係を終わらせていれば、こんなふうに彼を傷つけることも、自分が傷つくこともなかったのに。結局、すべては私の弱さが招いた結果だ。


どこかで私は、この不安定な関係に甘えていたのではないか?会えない寂しさを訴える一方で、適度な距離感が心地よいとも感じていた自分がいたのかもしれない。彼に「寂しい」と伝えながら、実際にはその距離を利用して自分の心を守っていたのだと思う。


 私は、この関係を終わらせる勇気もなければ、愛し続ける覚悟も持てなかった。

ただただ彼にその責任を押し付け、自分は何も決断せず、どちらかの形になることを期待していたのだ。そんな自分の未熟さが、この結末を生んだのだろう。


 最後に2人で話したとき、私はめちゃくちゃに泣いた。相手を困らせたかった。振ったことへの罪悪感を抱いてほしかった。そのためだけに泣いて、「ひどい」と言葉をぶつけまくった。自分の方がよっぽどひどい人間だとわかっていながらも。


 彼は「ごめん」と静かに謝った。その声から、彼が私のことを嫌いになりつつも、少しだけまだ好きでいてくれていること、そして罪悪感に苛まれていることが伝わってきた。相手が罪悪感に押しつぶされそうになったところで、電話を切られた。


 その瞬間、私の涙は嘘のように枯れた。今まで泣きじゃくっていたのは、いったいなんだったのだろう。自分でも怖くなる。もしかしたら、全部頭で計算していたのではないか――そんな疑念が胸をよぎる。心と頭が繋がっていないというのは、こういうことを言うのだろう。


 最後まで彼は私の思惑通りになった。けれど、それはただただつまらなく、虚しい結末だった。


 その後、時間が経つにつれ、気づけば私は彼との記憶を消し去ろうとしていた。いや、正確には、消えつつある記憶に無理にしがみつかないようにしていたのかもしれない。もともと記憶力の悪い私は、彼の顔や声をもうはっきりと思い出すことができなかった。


「記憶力がなくてよかった」――そう思うことで、自分を慰めていた。もし鮮明に彼を覚えていられたなら、今頃どれほど苦しんでいただろうか。彼の声を思い出すたびに胸が締めつけられ、彼の笑顔を脳裏に浮かべるたびに戻れない日々を悔やむ。そんな痛みに飲み込まれずに済んだのは、私の曖昧な記憶のおかげだった。


 それでも、完全に消えてしまったわけではない。ふとした瞬間、どこからか彼の温もりや、やり取りの断片が心の奥底から浮かび上がることがある。それは決して鮮明な記憶ではなく、ぼんやりとした残像のようなものだったけれど、その曖昧さが逆に私を少しだけ安心させた。


 忘れることで救われる部分もある。でも、同時に忘れたくないという矛盾した感情がどこかに残っていることに気づく。結局、人の記憶とはそういうものなのかもしれない。そう思えるようになったのは、きっと少しずつ自分の心が前に進んでいる証拠だった。


 振り返っても、あのタイミング、あの別れ方で本当によかったと思う。それは、私を守るためでもあった。もしもっと遅いタイミングで別れていたら、これ以上に複雑で苦しい結果になっていただろう。


 この別れは、私が未来を迎えるための必要な痛みであり、大切な一歩だったのだ。今までの私は、「他人を傷つけたくない」という思いから、すべてを心の中に閉じ込め、消化できないまま日々を過ごしていた。その結果、心が壊れそうになることは彼との関係に限らず、これまでにも何度もあった。


 彼との別れを通して、私はようやく「自分を大切にする」ということの意味を理解し始めた。これまで、他人を傷つけることを恐れるあまり、自分の気持ちや意思を後回しにしてきた。相手の感情に合わせ、譲歩し、無理をしてでも関係を維持しようとしていた。けれど、時には他人を傷つけることになったとしても、自分の心を守ることが必要だと知った。


 彼との日々を通して、私は「愛されること」「愛すること」の本当の感覚を知った。それはもはや憧れではなく、現実として私の中に根づいている。


 だからこそ、彼との時間に感謝しながら、私は前へ進む。

 共依存という甘い毒から解放された心で、自分の人生を、自分の足で歩いていくために。振り返ることがあっても、それは決して過去にすがることではない。あの日の別れを無意味な古傷で終わらせるのではなく、未来に向かって進み続けるための力にする。


 そう宣言する。これは私自身への宣言だ。

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