女神の帰還 12

「そうか、…そうだな、」

リ・ティア・マクドカル様、と。神殿と広場に良く響くエンゲスの声が、促している。この血を、贖罪の犠にしろと。涙が頬を流れていた。

 声が促している。

 向き合ったリ・クィア・マクドカルに、静かに向けられた若草色の瞳は、冷徹に感情の伺えない色をして振り仰いでいた。

 金の巻毛を無造作に肩から流し式服の白麻に散らし、煌く若草の瞳で見返す少女を、艦長は見詰めていた。

「…おまえは、私の妹なのか。」

問う微笑を、何と思うだろうか。

 リ・ティアが静かに口を開く。

「わたしは、十年前、五才の時に、この惑星に残りました。この神殿で、私はあなたと別れた。」

いう言葉は、帝国標準語ではなく、何とか聞き取れないことも無い、――辺境には多い、帝国古代語の系統にある言語の一つに似ていた。

 これは、おそらく階下に集う民衆達の為に行われている演出だろう。はっきりとさせようというのだ。誰が、誰を殺そうとしているか。

 誰の血で、何を贖うかを。

澄んだ声が、内容さえ忘れれば、聞き惚れても良いような声が聞こえてくる。

「戦の当時、私は幼かった。何も出来なかった。唯生き延びました。教えられていることがある。―――それは、先の戦で、皇国が失われ、帝国にこの惑星が支配されるようになった原因が、私の姉の裏切りにあるということです。」

無表情に、ゆっくりと告げる手に、氷の杖は最早無かった。姿を変えるのだろう、氷の杖は剣に変じ、いまだ細く幼さの残る手に握られていた。

「姉は、神殿に仕える巫女でした。皇位には神の護りが必要です。…裏切った巫女を、神に捧げる必要があります。」

鮮やかな緑の瞳が、無心に見あげている。

「――――わたしの、命が、いるのか。」

微笑していう艦長の言葉は、何れにしても理解されないだろう。帝国古代語の系統を、聞き取ることは出来ても話すことまでは艦長には出来なかった。いや、その上に。

 同じ言葉を話せた処で、同じ処にいられるわけではない。

 言葉が通じても、意味の無いことがある。

「艦長…!」

叫ぶリゲルの声を、邪魔するなよ、と思いながら聞いていた。

「神に、捧げます。」

細い声が告げ、細い手が、握る剣を腹に刺し貫くときも、そんなものだとおもって眺めていた。

―――構わない。

眸を閉じる。

「別にいいんだ、…―――。」

「艦長!」

リゲルが、強引に艦長の身を少女から離すのを、感じていた。

 ちゃんと刺せただろうか、と。

 そんなことばかりが気に掛かった。

「ちゃんと、…刺せた、か?」

「何をばかなこといってるんです…!黙って刺されるばかがありますか!あなたは、――――!」

叫ぶ副官に、小さくいう。

「怒るな、リゲル。」

「何をいってるんですか!そっちも手を離して!抜かないでください!畜生っ、」

倒れる艦長に、反射的に引いた剣先が血を纏い抜けるのにリゲルが怒鳴る。

 血が腹から溢れる。

「結構出るな。」

「喋らないでください!怪我人は!何て非常識な真似をしてくださるんですか!帝国軍人が剣で刺されるですと?何を考えてるんですか!」

「…見逃したろう、」

「それは、本当に刺されるなんてばかな真似をなさるとは思ってなかったからです!シールドを外すなど前代未聞です!何考えてるんですか、あなたは本当に馬鹿ですか、艦長!」

怒鳴りながら手で腹を抑え、手当てを始める副官に情けない顔をする。

「…ばかはひどい。…」

「事実です。」

憤然と血止めをし、応急処置をするリゲルに困ったな、と思う。

「怒らせるつもりは、なかったんだが。」

「あなたはいつもそうおっしゃいますな!」

怒りながら手当てをしている手を、―――留めた。

「…艦長?」

リゲルが、目を見開く。

 氷青の眸が、凝然と見る。

「…艦長、彼女は、」

冷静に剣を構えなおす、若草の瞳。

「…おまえは逃げろ。大丈夫だ、おまえの装備はエンゲスだって手は出せない――いいからいけ、」

現実感がありすぎる副官と話しているとつい忘れるが。舞台は途中だということを、冷徹な若草の瞳が告げていた。立とうとする艦長をリゲルが咎める。

「―――余程あなたは人に怒られたいようですな?」

「手を出すな、」

「――――怒られたいんですか!あなたは!」

怒鳴るリゲルに、笑う。

「…もう怒ってるだろうが。」

「動かないでください、表面は止血しましたが、傷は腹の中までいってるんですよ、―――死ぬ気ですか!」

身を起こして、リゲルを見て、―――艦長が微笑った。

 手で腹を押え、確かに痛いな、と蒼い顔で。

 微笑して、身を起こす。観衆は見ている。舞台は続いている。ならば、最後まで踊るしかないというものだと、そして。

 できれば最後まで。

「けどな、…――わたしは幸運なんだから、このまま希望通りにさせてやってくれないか。」

「…艦長?何が、幸運です?」

リゲルの支えを離れ、若草の瞳に向かって微笑み掛ける。

「だって、幸運じゃないか。妹なんだろう?憶えていないのに、…―――憶えてもいないのに、」

藍色の眸に、柔らかな炯が射す。微笑と共に、一滴の涙が落ちる。

 どうしたって見覚えが無い。憶えていない。

最後まで、演じ通しておきたかった。この幸運が持続するうちに。

「だって、幸運だ。おまえを、わたしは殺すことが無い。―――帝国軍に身を置いて、いつ敵対してもおかしくないと思っていた。いつおまえがわたしの前に来ても、と。だのに、――うらんでいるだろうとおもっていた、だからいつか、出会うかもしれないと、―――リゲル、…邪魔を、しないでくれ。」

肩を支える腕に、リゲルの腕に頭を預け、眉を寄せる。

「痛いな、…。」

「当り前です、―――痛くて当り前でしょう…!」

透明な若草に見詰められて、何とか微笑もうと努力する。

「結構効いた一撃だったようだ。…ティア。」

手を伸べる。無表情な頬へ。

「わたしには、ずっと望みがあった。…贅沢な望みだ、でも、叶うんだな。」

眸を閉じる。随分と良い舞台を整えてくれたと、感謝する。御陰で、たすかったと。

「おまえを、――…殺さないで、すんだ、―――。」

微笑して、そのまま。

「――…艦長?―――っ、…。」

意識を喪う肩を、リゲルが支える。

「残念ながら、私は艦長と意見が違いましてな!」

無表情に向かってくる剣を、シールドで刃を留め、リゲルが片手で掴む。力任せにリゲルが剣を横薙ぎに弾く。

 白麻の式服が広がり、金髪が広がってリ・ティアが床に落ちる。

 転がる剣を手に、無表情に立ち上がる少女を、内心の焦りと共にリゲルが見返していた。シールドは確かに攻撃を弾くだろう。麻痺銃でねむらせるしかないが。

 鋭い斬撃が襲ってくる。艦長を抱えた身では、動きが制限されて避けるだけで手一杯だった。いや。

「っ、…――――、」

力任せに握り締める。肩に、剣が姿を変えた、――氷柱に似た一撃が刺さっていた。少女が切ると見せかけて投擲したものだ。咄嗟に艦長の首を狙って投げられた剣を避けたが。

 氷柱が抜ける。血に塗れたそれを、投げ捨てる。

シールドを張る際に、それが艦長の身体に触れるのに躊躇した。展開値を上げれば投げつけられた剣は防げるが、艦長の身もシールドが異物として弾いてしまう恐れがある。

 少女の手に剣が戻る。

「あんまり、こういった接近戦は、したことがありませんでな、…済みませんな、艦長。処で、取引を申し出てもいいかな?エンゲス殿。」

艦長を抱えて、唐突なリゲルの言葉に舞台の影に隠れていたエンゲスが眉を上げる。

「貴君の聞き捨てに出来ない話ですよ、エンゲス殿。…辺境基地の司令官としてこれまで仕事をして来られて、実は帝国に支配された皇国の復活に心を砕いて来られた、…―――のですな、エンゲス殿。」

「何を申されたいかな。」

「もうすこしこちらへ。序でに攻撃を止めて頂いて、話を聞いて頂けるとありがたいな。これは、私と艦長しかまだ知らないのだが、…――情報解析による結果というのを、この場で公表してもよろしいかな。」

エンゲスがゆっくりと影から出る。

「取引をしないかね、エンゲス殿。」

静かに恫喝する氷青の眸を射抜くように見てエンゲスが動きを留める。リゲル達に向かって歩み出すかと思われた瞬間、踵を返し、かれらとリ・ティアの間に止まり、リ・ティアに額づく。エンゲスが云う。

「よくなさいました、リ・ティア・マクドカル様。さ、留めを。」

「エンゲス卿。」

感情の伺えない声でリ・ティアが口にしていた。

 玲瓏とした、これまでの無表情とは違う、何ものかを押えた美しい面で。

「おまえは、ずっと私達を援助していてくれました。そう、十年前、帝国と私達が雌雄を決した戦いに於いても、資金と武器の援助を常に私達に対して行って来た。」

エンゲスが、言葉の調子に微かに顔を上げる。

「…エンゲス卿。ひとつ、提案があるのです。――――おまえたちの援助を、ずっと私達は受けて来ました。いささか長すぎる。如何です?」

「どう、…なさいましたかな、皇女。」

膝を半ばあげ、中途にして問い掛けるエンゲスに、リ・ティアが云う。滑らかに告げる美しい緑の瞳に、動きを止めて仰ぐ相手に。

「厚意は充分に受け取りました。おまえには、これからおまえの来た処に戻って欲しいと思うのですよ。エンゲス卿。」

「―――皇女。」

「つまりは、――――こういうことだ。」

エンゲスが腰の銃に手を掛けるより速く、背後から麻痺銃を突きつける。鮮やかな藍色の瞳が厳しく見詰めるのを、エンゲスが凝然と見返す。

 リゲルが無言で、エンゲスとリ・ティアの間に身を入れて盾になる。エンゲスに向き直り、その行動を監視する形を取るリゲル。背から武器に手を回し、武装解除していく艦長に逆らわずにいながら、エンゲスがリゲルに向き直った。

 エンゲスの手に在ったのは、麻痺銃では無かった。十分に殺傷能力を持った銃を奪われ、エンゲスが嘆息する。

 厳しく見詰める藍色を見ながら。

「何故動いておられるのですかな。」

艦長が冷たい藍をエンゲスに向ける。

「麻痺銃はあなたの単純な銃より便利でね。人は殺せないが、局所麻酔の代わりになる。髪が長いと便利だろう?影でいろいろするには都合が良いんだ。」

リゲルをエンゲスが見上げる。

「こちらも武装解除が出来ればな。」

「装備が違うだろう。だから、貴君も諦められたのではないのかな。」

「確かに。帝国正規軍の、しかも将官クラスを武装解除できるわけが無い。第一、本人の意思が失われても、武装を解こうとすれば、シールド防御が下手をすれば暴発して周囲を巻き込んで爆発を起こす。―――そんな物騒な防備によく身を任せているものだ。」

「慣れればそんなものですな。」

「―――これは茶番かね?君も演技が上手すぎるな。取引材料があるといったのは嘘かね。いつから、共謀しておられた?」

皇女と、と問い掛けるエンゲスに、まずリゲルが答える。

「本当ですよ。貴君の身分は掴んでいます。――連邦に、そろそろ帰る御積りでしたか、エンゲス殿。」

「共謀はしていない。だが、貴君が連邦の手にあって、この惑星の内政干渉を行っていたことはわかっている。」

静かに、エンゲスの眸がリゲルを見上げた。次に艦長を眺め、周囲を見渡す。

「いつからかね。」

「――だから、遣り過ぎたといったろう。基地のシールドを変調させて、艦のエネルギー補給が必要にしたのもおまえだろう。其処から制御信号を艦に送って、うまくすれば手土産に帝国旗艦を連邦に持ち帰ろうという話だろうが、少し遣り過ぎだ。うちの技術士官が既に突き止めてある。シールドの変調も制御信号を送る為のプログラムも既に解除された。基地司令の権限が無ければ変更できない箇所に隠されていた。何より。」

艦長の冷徹な藍色の眸にエンゲスが無言で対する。

「アドミラルコードは確かに機密を要する際の通信に使われるが、―――エンゲス。」

静かに艦長が云う。

「歓迎会程度に使うのはよくないな。私のアドミラルコードが確かに現行も同じであることを確認したかったのだろうが。以前は、艦を動かす際にこのコードさえあれば、可能だったからな。けれど、エンゲス。もし今回のような危機が起こった場合の対策として、アドミラルコードの認証機能は制限を受けたんだよ。もう、コードだけでは動かせないんだ。そして、それは。――…その情報が、アドミラルコードで起動可能という情報が、連邦の諜報部に渡ってから、制限を受けてね。尤も、一部上級将校しか知らないことだが。いまでも、連邦では、アドミラルコードで艦の制御が可能ということになっているはずだ。エンゲス。貴君を連邦諜報官として身柄を確保させて頂く。」

「…――希望的観測が勝ったな。帝国軍将官を武装解除せずとも、艦を運び込めるならその方がよかったのだが。」

リゲルが片眉を上げる。

「艦長。」

「ち、―――おまえが本気で麻痺銃など使うからだ!」

「知りますか!第一麻痺してなかったら動けないでしょうが!」

「畜生、細かい制御は知らないぞ!」

エンゲスが舌を噛もうというのを、顎を掴んで艦長が留める。

「艦長、離れて下さい!」

「ちっ、―――知らないぞ!」

顎を掴んだまま、艦長がエンゲスの身体を階下に、階段目掛けて放り投げる。広場から逸れるように、弧を描いて投げられた身体は、着地する前に、その小指が光り、―――脱落する。

 閃光が、玉座を、神殿に至る道を、広場を包み込んだ。

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