女神の帰還 9
「お、送ってきたぞ。」
その頃、ジャクルの願いも空しく、そしてある意味予測通りに艦載機でデータ収集をしていた艦長が明るく目を輝かせた。
「エネルギー値七百五十か。こちらで調べたのと同じだな。…うんうん、ちゃんと、平原の沈黙してる供給源も調査してる。流石我が艦の乗員だな、質が高い。」
満足げにいって艦より送られて来たデータとこれまで艦載機で得た情報と付き合わせている艦長を隣に、リゲルが嘆息する。
「はやく戻ってやりませんと、またジャクルが全員離艦させる、とかいって騒いでいますぞ。」
「はやくってもなあ、…そういわれても、相手の都合もあるし。それにしても、ジャクルって、どうしてまた、ああ座席に拘るかな?きっとまた、手製の二重コンソール呼び出して使ってるんだぞ?艦長席に座ればもともとあるんだから、呼び出せば済むのにな。その方が簡単なのに。」
「それは私もいいたいですな。操舵席を使いませんと艦の性能は十全に発揮されませんのに、どうしてまた使おうとしないのだか。」
嘆息するリゲルを隣に、付き比べた情報を見ながら艦長が腕組みする。
「だよなあ、便利なのに。使えばいいのになあ。」
ですな、と同意してからリゲルが真面目な顔になる。
「出来るだけ早く戻りましょう。ジャクルが若禿げの危機に晒されているかと思うとあわれです。額の後退を歎いておりましたからな。」
「――禿げるのか?いいじゃないか、別に。すっきりしていいだろ。」
「…そういう問題ではありません。非常にデリケートな問題なんです。」
「そうなのか?いいじゃないか、楽で。私なんか、切ることが出来ないから非常に面倒くさいぞ?第一何でこんなに伸ばしてなきゃいけないんだか。」
「聖典用でしたか?確か。」
「無駄な儀式だ。帝国記念祭が何だっていうんだ。前線の軍人に要求するな。」
「そういわれましても。将軍位にある方が、出席しないわけにもいかないでしょう。」
「だからといって腰まで伸ばしてる必要は無いと思うぞ?いいじゃないか、ジャクル。髪なんて剃ってしまえばすっきりする。」
「――――…ジャクルが聞いたら泣きますぞ。」
「そうか?いいじゃないか、未練たらしく残ってるのとかより、いっそ剃ってしまった方が見た目にも良い。」
「ですからそういう…デリケートな問題だと申しあげたでしょうに。」
ジャクルが聞いたら本当に泣きそうな断言をする艦長にリゲルがいう。そして。
「…――非常に、デリケートな問題な訳だな。」
に、と艦長がデータを見ながら笑みを浮かべた。非常に性質のよくない、見るものを不安に陥れるような笑みだ。尤も、隣で操縦桿を握るリゲルは構っていないが。
「デリケート、ですか。」
嵐の直中を飛ぶ艦載機を、一見何の苦労も無いように操縦しながらリゲルが確認する。
「そう、デリケートな問題だ。…基地司令エンゲスは、生きているのかな?」
「まだ、連絡はありませんか。」
「艦に向けても無いらしいな。指揮系統が全滅したのか。」
「お粗末ですな、それでは。」
「うむ。いまだに指揮系統が方向性を持たない、…。信じられない事態だな。連中、なにをしている?基地司令が例え本当に死亡したって、次席は指定されている。例え上層部が根こそぎ爆破でいなくなったところで順位を辿れば、今頃は誰かを指揮者として、通信も方向性を持つことになるはずだ。」
「指示が集まっていませんか。」
「まるで本当に指揮官不在だ。非常事態に臨時の指揮官を置くことができないほど、上層部が破壊されたならこうもなるかな。」
に、と笑みを刷いていう艦長に、リゲルが疑問を投げる。
「ですが、上層部が総て死んでも、先にいわれた通り、最後の一人まで順位表はあるのですから、それを守れば指揮系統は常に存在するでしょう。何故、仮の指揮官が存在しないのです?」
「尤もな疑問だ、シーマス。だがな、例えどれだけよく出来た順位表でも、もしその半分以上が消失したとすれば、実質の効果は期待できないぞ?」
現場が混乱もするだろうさ、という艦長。
「もしそれだけの被害があればですな。艦からは被害はどの程度だと?」
「それが、被害にあってるのは、居住区の中でも、賓客待遇を泊める際の区画だけだ。私達の泊まっていた辺りと、それに調整官殿が泊まっていた区画が丸ごとだな。」
「…丸ごとですか?」
それでは調整官殿は御無事で?と問うリゲルに、何かものを哀れむようなまなざしで艦長が見た。
「艦長?」
眉を寄せてそれにリゲルが問う。
「調整官だぞ?」
「――はい。それが。」
「宿泊区の一区画が全滅したくらいで、あの調整官殿がくたばると思うのか?」
「…言葉遣いが汚いですよ。」
「汚かろうが、丁度良いくらいだ。…実際、爆破くらいであの調整官がくたばるようなら、世の中に苦労は存在しないぞ?」
「爆破ですか。」
「いや、爆破ではない。エネルギーラインの暴走とみる方が辻褄が合うな。だとしたところで、調整官殿が彼の世にいくとは思えないぞ。」
「――暴走ですか?」
操縦桿を握りながら、初めてリゲルが艦長に顔を向けていう。視線をあわせて問う副官に、艦長も逸らさずに答える。
「そう、暴走だ。いま藍氷にも繋がっているエネルギーラインのな。何処かで、何かが起こっているのさ。シールドを不安定にさせ、一区画を吹き飛ばした異常の原因が何処かにあるということだ。」
「…――ですな。」
いうと操作に向き直り、迫る地表を見る副官。艦長も、いわない。それでは、藍氷にも危機があり、いつラインの暴走が起こり、艦を落すかもしれないということについては。
地表が、荒れ狂う白い嵐の中に、その冷たい大地を見せ始めていた。
地上の暴風は、唯風というより動くもの総てを攫って行こうという力に思える。激しく吹く嵐に、機体を降りた途端に見舞われた艦長は、盛大に悪態を吐いた。
「…たく、何だって、こんな処に本拠地何か作るんだ!宇宙にしろ、宇宙に!そうすればこんな暴風に晒されずに済むんだ!」
「…―――理不尽なことをおっしゃらないでください。第一、相手が自分の条件に合わせてくれる場合ばかりでしたら、何も物事が起こらないのと同じことでしょう。」
「いきなり良く解らない哲学的なことをいうな?おまえ、時々そのよくわからん説教癖あるの、どうにかしろ。」
手を差伸べるリゲルにつかまりながら、艦長が身を起こす。艦載機から降りる方法は、降下、つまりは単に地表に着陸せず、ホバリングしている機体から放り出すという方法をとった。白嵐の吹きつける中、降下して当然ながら雪に埋れていた艦長がリゲルの腕に捉りどうにか立ち上がった。
「おまえはどーして平気なんだ、おい。」
「鍛え方が違いますからな。艦員として、いつどのような条件の惑星に降下することとなるかもしれませんので。気象条件が異なる惑星での訓練は必須でしょう。」
真面目な顔をしていう、――尤も、腕を捕まえていられなければ、互いの顔も良く見えない雪嵐の中、それは声からの想像だが――リゲルに、艦長が疑問を露にする。
「それ本当か?そんな訓練他の連中がしてるか?聞いたことないぞ?」
艦長の長い髪は一つに纏めて防護服の中に隠されてある。接近を気付かれない為にシールド制御を一時切っている為、二人は直接風圧と叩き付ける雪氷に身を晒していた。
「奥床しいんでしょう。皆。」
「―――…誰がだ?うちの艦員に、奥床しい―――?そんなの一人でもいたか?」
新たな疑問に思わず顔をゆがめている艦長の腕を掴んだまま、リゲルが歩き始める。機体は、とうに上空に放ち、今頃は軌道周回を始めている処である。
「艦長以下、実に良く艦の気風に馴染んだ連中ばかりですからな。皆、艦長と同じくらいには謙虚かと。」
「…それって、全然謙虚じゃないじゃないか。」
云い切る艦長に、先を歩いていたリゲルがよろけるように立ち止まる。
「どうした?雪溜りにでも足突っ込んだか?」
「いえ、…いつも思うんですが、御自覚があるのでしたら、何故直そうとはされないんです?」
振り向いて疑問を述べるリゲルに、艦長が胸を張る。
「そんなもの、決まってるじゃないか。」
「なにが決まっているんです?」
白壁が、氷と雪に固まる壁が、行く手に突然聳えていた。それは、風の途切れる方向に、何もかもを遮るようにして視界を塞いでいた。
高く高く聳える壁。
それが人の手になるものなのか、或いは自然が作った防壁なのか、見るものには判断する材料が無い。切立つ壁に、切れ目も、人が使う為に開けられた門も無い。尤も、それがあった処で、この風雪に激しく何もかもを白く塗り替える嵐に埋れて消えてしまったろう。切れ目無く続く巨大な壁をリゲルが果てをみようというように左右を見る。けれど、白嵐に遮られて何もかもが境を無くすさまが見て取れただけだった。
「…艦長?」
そうして、傍らにある人を見返る。子供のように何か自慢しようとした途中で、藍色の眸に何か、不思議な光を乗せて止まってしまった人を。
「艦長、どうなさいました?」
眉を寄せ、リゲルが問う。けれど、反応は無い。
「…艦長?」
腕を掴み、顔を寄せるが、嵐の透間をついて見る氷藍の眸には表情が無い。
「―――どうしました!」
叫ぶ声が届いたのか。いや、幽鬼のように一歩踏み出す姿を、リゲルは歯を食い縛り見詰めていた。捕まれた腕も忘れたように、艦長が歩き始める。引き留めようとして思い留まり、歩くのに任せて隣で歩を進める。
「―――…艦長?」
氷を思わせる澄んだ藍の眸が、無表情に上向けられ、目前に迫った壁を見上げる。自動的に動く人形がするように、腕をあげ、捕まれていない方の手を壁に差し向ける。
「―――これは。」
リゲルが目を見張る。
艦長が手を差伸べた、壁の向こう。
白壁に穴が開き、まるで門のようにして、通路が其処にひらいて、―――。
光が溢れている。
「艦長?」
隣に歩く艦長は、無表情のまま歩くことを留めようとしない。一瞬、リゲルは背後の嵐と行く先の光を見返り、それから口を結んで歩き始めた。捕まれた手首が後ろに引かれるのも構わずに歩き出している艦長に追いつき、隣に並ぶ。
溢れる光に晒される艦長の横顔は、白くあくまで優雅に美しい。
「そうか。」
思わず呟いて眉を寄せて口を噤む。手首を掴んだまま隣を歩く。表情を消した艦長に、リゲルはこれまで一度も見たことの無いものを見ていた。
――そうだったな。…艦長は、確かに一応は帝国でも美しいことでも知られた方だった。
思うのは、普段の艦長を見ていて、これまでそんな感想を持ったことがなかったからだが。
隣を歩く、無表情なさまは、まるで氷で出来た彫刻を思わせるほどにその形の美しさを露にしていた。
白くいまは引き詰められた髪に露になる額、白く描かれたような眉、整った容貌に炯を失ってさえ氷の切片を嵌め込んだかと思われる煌く藍の眸。美貌は、普段見知った伝法な口調や、悪戯な表情を消せば思い掛けないほどに浮き彫りにされていた。
女神と云われることも、けして誇張では無いと思える。
白髪に藍色の眸、氷と雪を彫刻して生まれた美貌。
リゲルがそれまで、一度もその美を意識などしたことの無かった帝国旗艦藍氷艦長。いまは、唯美しい無の遣いかとおもわせる眸を抱いて、何ものかに誘われるようにして歩いて行く。
襟元を直し、リゲルは無言の行程に従っていた。
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