女神の帰還 8
帝国旗艦藍氷艦橋では、ジャクル砲撃管制官が唸り声をあげていた。
「…―――やったのか。…」
艦橋を同情的な空気が支配する。ジャクル・イファイ砲撃管制官は、上位権限第三位の艦橋指揮者であり、つまりは艦長、副官ともに離艦している現在、艦の指揮をとる立場にあるのだが。
本来なら、当然艦長席、或いは百歩譲っても操艦指揮を取る副官リゲルの指定席である操舵席に座るべきだったが、ジャクルにそんな恐ろしいことをするつもりは毛頭無かった。現在、ジャクルはもともとの席である自身の砲撃管制席に座り、そのまま指揮を臨時に取っている。本来ならイレギュラーな事態だが、無理矢理に操艦コンソールを特別仕様で引き込んで、砲管制コンソールの上に二重表示させているジャクルである。
何があっても、絶対にジャクル砲撃管制官は、艦長席にも副官の操舵席にも座るつもりは無かった。二重表示の操艦コンソールは、確かに艦の機能を十全に引き出しているとはいえないが、もともと、すでに上位指揮者二名が留守をしている時点でお話にならないくらい艦の機能は低下しているのである。これ以上低下したところで構うものか、というのが乱暴だがジャクルの本音であり、誰もまたそれに反対する艦員もいなかった。
尤も、別に艦長や副艦長が、――副官と呼ばれることをリゲルが選んでいるので、この呼称が使われることは滅多に無いが――その席に座るなといっているわけではない。むしろ、何故座らないんだ?と艦長などは聞いてくれるほどでもある。リゲルに至っては、艦の全員に何事かあったときの為に操舵席での操艦訓練をさせたいと熱望しているようだったが。ジャクルとしては、実際の操艦は現在のように操舵席に立たずに藍氷自体の自動コントロールに任せる形を護りたかった。操舵席に立たずに操艦するということはそういうことであり、実質艦の操作が制限されるということではあるが。
だからといって、だ。確かにジャクルを含め、艦船の操縦有資格者は当然必要人数乗員しているが。副官リゲルのあの操艦を目の当たりにして、自分を含め有資格者だと名乗りをあげるつもりのあるばかが艦内に一人も存在していないことは確かだった。
ジャクルとしては、間違ってもそんなばかとは思われたくは無いし、さらにいうなら艦長席に座るなど、考えたくも無いことだった。
かくして、何とか無理矢理にでも艦長席と操舵席に座ることを避けているジャクルだが。
上級権限三位の不幸が、身に染みていた。
「…地上で、爆破か。犠牲者は―――。」
索敵官のシーナ・エルフォミナが、同情的な視線と声で報告してくれる。
「直前の会話から推測しますと二名のようです。」
「――――二名か、…。」
暗い声が自然に絞り出た。ジャクル・イファイは赤い派手な巻毛の、自分自身その派手さに見合う明るい性格をしていると思っているが。いまばかりは、奈落の果てにいま辿り着いたばかりのような声を出している。背中に背負う気配も悲愴である。
「…最悪な真似をしてくれたな。地表からの連絡は。」
通信官が答える。
「いまだありません。基地内部からの通信を精査していますが、当艦に向けての通信が開かれていません。基地司令直通のラインも閉まったままです。」
「閉じているのか。…地表の状況を引き続き精査してくれ。被害状況で判明したことは。」
もう一人の索敵官レイドが静かに読み上げる。
「基地の被害は賓客用宿泊区に現在二箇所、ひとつは艦長と副官の宿泊用に提供された区画。中央客間が破壊され、天井など建造部分に至る破壊に関しては、一次爆破以外の要因によるようです。もうひとつは、辺境調整官の宿泊に提供されていた区画。被害の規模は不明ですが、一区画全体が破壊されています。いまの処、生命反応は上空からは検索できません。」
「調整官の方が規模が大きいのか。」
ジャクルに、索敵官シーナが追加する。
「調整官の宿泊区画が破壊されたことに関しては、まだ原因を特定できていません。爆発物の反応を検出出来ていません。――エネルギーラインの異常という可能性も考えられます。」
シーナの声に、ジャクルが顎に手を当てて考え込む。
「エネルギーラインの異常とすると、シールド異常も関連する可能性があるということですか。」
「考えられます。」
「現在、艦は基地にエネルギー供給を行っている、つまりは基地のラインは艦とも繋がっている。―――代替エネルギープラント艦の到着には、二日か。…地表からの連絡はまだ?」
「きません。地表基地での通信は殆どが混乱状況を伝えているようです。基地司令、もしくは指揮系統に当る人物が通信指揮を行っている形跡がみられません。指揮系統は混乱がまだ収拾されていない模様です。」
地表通信の傍受と解析を続けている通信士官が解析を続けながら報告する。
「わかりました。解析を続けてください。地表の気象状況は。」
「嵐の季節ですので、―――晴れる見込みはなさそうです。」
索敵官シーナの声が響く。
「ということは、艦が危険に晒されても、二日後のプラント艦到着までは、基地へのエネルギー供給は続けなければならない、という訳ですね。艦長達から連絡は。」
「ありません。」
通信官が短くいい、ジャクルは頭を掻き回した。
「わかってるんですけどね。…非戦闘員が二名も死亡したら、あの方達が黙ってないってことくらいは。…それにしたって、何てことをしてくれるんだか。―――」
一気に愚痴ると、ジャクルが顔を上げた。顔つきが変っている。
見違えるように、冷静な視線で操艦コンソールに向かう。
「全艦乗員は、階層二の非常事態発令を確認するように。繰り返す、全艦乗員は、階層二の非常事態発令を確認。これより艦は、階層三から階層二へ、階層を引上げる。以上。」
発令を終わり、コンソールに向かうジャクルに、シーナが訊ねる。
「階層二ですか。」
「そう、いつでも艦を捨てられるように準備する。―――地表探査は?」
「範囲を広げています。現在、大陸の西端に大きなエネルギー移動が見られます。」
索敵官レイトが淡々と指摘する先を、コンソールの上にジャクルが見る。
「―――先に、艦長達が地表用艦載機で向かわれている地区だな。」
確認してからレイトに訊ねる。
「集積は?」
「地下構造を使って集積が行われている模様で、正確な測定はまだ出来ておりませんが、エネルギー値七百五十から上昇を続けています。」
「艦載機一機潰すには充分なエネルギー値だな。」
そういうと、ジャクルが微かに溜息を吐いた。指揮者としては失格の行為だが、誰もそれを責めるものはいない。それよりも、同情的な空気が大勢を占めていた。
額に手をあてて、ジャクルが操艦コンソールに引寄せた艦載機の航跡表示と航路予測、エネルギー値上昇を示すラインの交差点を見詰める。
「いっちゃうんだよなあ、―――あのひとたち。いやもう既に例外っていえば例外なんですけどね。艦長と副官が、艦捨てたまま爆破犯人探しになんて行くかなあ。…行くんだけど、あのひとたち。」
一気にジャクルの口調がそれまでの押えたものから崩れ、肩を落として、それから赤毛を押さえて深く溜息を吐いた。ざっくり崩れた口調のままで額を抑えながら指示を出す。
「もう向こうでもやってるとは思うけど、艦載機に向けてこちらで収集したこれまでのデータを送付して。一応狙い打ちでいいけど、返信に必要なコードは付属しなくていいから。当然だけど逆探知防止でね。一方向通信でこれまで艦で得たデータを送付して。」
哀しげに肩を落とすと、おれ、本来は絶対砲撃士官のはずなんだけど?どうしておれが?なんで艦の臨時指揮官?と呟くジャクルに、索敵官も通信官も無言で作業する。
続く言葉がわかっていて、誰もうっかりそれに返事をしないようにと心掛けていた。
「…そうだよ、どーしておれが?おれじゃなくても他に適任者がいるじゃないか?単に階級とかだけで決める必要なんかないっ、…!」
無言で通信官が迅速にこれまで収集したデータをデータコードに返信用コードを含まない、つまりは返信することのできないコードでデータを送付する。逆探知防止と共に、これは艦長達の機に対して、安全を保障する為の処置になる。通信を利用して機の制御装置に侵入されない為の処置である。
そして、艦で収拾したデータなど、確かに既に艦長達は艦載機で集めてしまっているだろうと言い切れるのは、艦長の情報収集能力がケタ外れのものであるからで。本来艦に乗る装置と艦載機では比べ物になるはずがない。使用する人間の能力により機械の引き出される能力が異なるといっても限界があるはずだが。艦長が手を下すとき、艦載機の能力は艦よりどれだけ劣ろうと、その差を意味無いものにしてしまうほどであったりするとわかっているからの発言だ。それでも、情報の細部において、艦載機では集めきれないものも存在する。艦で収集した情報の送付は、落穂拾いではあっても、やらないよりはやっておいた方が良かった。
そうした情報の送付完了が報告されると、ジャクルは天を仰いだ。誰も、注意深く先からのジャクルの、皆に聞こえるように歎いている独り言、には反応していない。
「階級が何だっていうんだ!…どうせここまで型破りな艦長と副官が居る艦なんだから、階級なんて重視しなくていいじゃないかっ!」
無言で聞いている全員が内心首を振っていた。第一、喩え何がどうであれ、艦長と副官が二人同時に艦を離れて、しかも、艦のエネルギーを地表基地のシールド補給の為に使用していて緊急離床も出来ない状態であるなんて非常識な帝国旗艦であってもだ。
一応、どうあっても軍に所属している以上、どうであろうと階級が絶対なのは確かなこと、であるはずだから。
だが。
堂々と、その軍艦の艦橋で、主張をしている士官がいる。
「階級が何だっていうんだ、誰か、おれ以外に艦を動かしたいって奴がいるだろうっ、…!帝国旗艦だぞ?誰もが一度は動かしてみたいって、そう思うはずじゃないか?な?求む有志、来たれ若人!いないのかっ?誰もっ…!」
周囲を見回すが、誰一人として、己の担当しているコンソールから目を離すものはいなかった。
「…誰かかわろう?」
殆どの処かなり本気でいうジャクルだが。無言で応える艦橋クルー達の意見はほぼ統一されていた。
つまり、無言。
うっかり答えれば、ジャクルが嬉々としていま現在の立場を引き渡してくれるだろうとわかっているのに、答えるものがいるだろうか?
第一、ジャクルは確かにこの艦で、第三位の階級を持つのである。帝国艦は、特にこの旗艦クラスでは砲撃管制官に、通常の巡洋艦長クラスを持ってくることがほぼ慣例化している。事実、砲管制は、その威力を統制する役職でもあり、相応しい能力を持つものが担当する必要があるとなっている。それほど、旗艦藍氷の主砲が持つ威力は絶大であり、生半な能力を持つものに任せるわけにはいかないのだが。
ジャクル・イファイは、実際に巡洋艦艦長として指揮経験を持つ少佐であり、少将である艦長、大佐である副官に次いだ地位にあることだけは紛れも無い事実なのだが。
返ってくる無言を噛締めて、ジャクルが天井をしばし仰いだ。
赤毛ばかりが明るく照明を反射している。
「…艦長、副官。はやく戻ってきてください。」
ジャクルがしみじみと呟く。
「でないと僕、もうあとは全員離艦させて終わりにしますからね?」
第三位上級指揮官とは思われない発言を、けれどとめる発言は周囲のどこからも聞かれない。ついでにいうなら、その地位を、臨時とはいえ艦の指揮官である立場を、代わってやろうという発言も。
誰も、代わる気が無いのは確実であった。
同時に離艦して、しかも爆破後、戻って来る処か爆破犯を仕立てた勢力に怒りを覚え、その拠点に向かってしまった艦長と副官。どう考えても非常識なコンビに、さらに輪を欠けて非常識な地上に繋ぎとめられて動けないなどという艦の状況。
誰も、指揮官にはなりたくないというものだろう。臨時とはいえ、いや、臨時だからこそ、こんな艦に誰が指揮官として居たいと思うだろうか。
哀感を持って、艦長達に本当にはやく返ってきてほしい、と願うジャクルである。
でないと。
「―――心労のあまり、若禿げになったらどーしてくれるんです?そうでなくても最近額が後退してるのに。」
歎くジャクルの声は、真摯である。
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