女神の帰還 6

「…時間がどれだけ過ぎれば過去は過去になるのか、―――。」

那人が静かに呟く。つぶやいて悪戯な子供のように傍らを振り返る。

 調整官達にあてがわれた部屋。那人の見る先にいるのは、古族。紅の髪を揺らめかせて、古族がけして那人を見ようとはせずにいる。

「しってる?」

問い掛ける悪戯な那人の口調に、明るく口許を彩る微笑に、古族がためいきを漏らす。

「そう、いつ過去は過去になるんだろうね。」

にこりと笑っていうさまは、日頃自身が主張している人畜無害に平穏な外見といえないこともないだろうが。

 古族が、そっと見て溜息を漏らす。

「どうしたの?」

「いえ、…――今回のお仕事は。」

押えた口調でいう、古族に、那人が微笑む。

「うん、別に難しい仕事ではないんだけどね。この氷に埋れた星の、この辺境星を中心にしていた政府が帝国に滅ぼされた――その後始末だからね。十年前の事だから、まだ生々しくてねえ。この辺境での状況は中々本星まで届いてこないからね。まず調査しないと。僕達が来たことに、基地司令なんかも戸惑ってるようだし。」

そりゃあそうだよねえ、辺境基地に調整官が来るなんて、内部査定にきたっていわれてるような気がするだろうしー、実際その通りかもしれないけど、僕はそんなの興味無いんだけどね、と。

 一言訊いただけで次々と続いていく調整官の口が途切れた隙に古族がいう。

「それはお聞きしました。」

「いったっけ?」

そうだった?と可愛らしく――確かに、外見はそう見えないこともないが――問い返す調整官に、古族が微かに眸を伏せる。

「はい、それは此処まで参りました船の中で。調整官殿。」

「うん?なに?補佐官殿。」

「―――――その呼称で呼ばれるのは、やめてください。」

「何で?事実だけど。」

「――――事実でも、私に貴方を補佐するほどの力はありません。…私の役目は唯貴方のすることを見ていて、報告するだけです。確かに抑制の任は期待されていますが、私は自分にそれが出来るとは思わない。」

真剣な面でいう古族に、那人が、心外だなあ、と明るい瞳でいう。

「やだなあ、人が聞いたら何かと思うよ?本気にしたら大変じゃない。いくら帝直属の調整官だからって、唯の人間風情に百万年は生きる古族が何いってるの。人っていう種族は、君達にとって風に消えていく塵に過ぎないのに。」

明るい黒瞳を、振り返って見ないように注意しながら古族が答える。

「確かに人の命はあまりに短いものですが。――何れにしても、私はまだ人の時でいえば、一千年を生きたばかりの子供に過ぎません。正直、貴方のすることを見ているだけでも荷が重い。」

「やだな、僕がそれじゃあ、よっぽど酷いことでもするみたいじゃない?」

古族が沈黙した。何と答えていいのかに詰まったように見えた。

「どしたの?」

「いえ。――――調整官殿の、今回の目的は何処にあるのですか?」

一度瞳を伏せて、思い直したように問う古族に、調整官、那人が首を傾げる。

「目的って、それはいつもひとつでしょ?帝の為に、帝国の利害を調整する、のが僕の役割。正しく利害が調整されるようにするのが役目。今回の場合でいえば、この辺境惑星を中心にした前政権の残党とか、そういう類が生み出している帝国の利害に合わない事態を、合うように収めるのが僕のお仕事。いつもそれ以上のことはないよ?」

にこり、とそれだけ見たら確かに人畜無害の笑顔に古族が視線を逸らす。

「あ、酷いなあ、信じてない。」

抗議する調整官に、補佐官――その任で無いという古族――は溜息を吐いた。

「その溜息って、何処で覚えたわけ?古族はしないと思うんだけど。」

「―――必要があって覚えました。適切な感情表現をすることは、この形を取る際にとても必要なことだと教わりましたので。ストレス、というものを発散する為に、必要な表現だそうです。」

「―――――適切な感情表現?」

難しい顔をしていう那人に、古族が淡々という。

「はい、私の前任者の古族に。貴方と付き合う際は、とても必要だと教わりました。」

「――――前任者って、あの?…ひどいなあ、僕の補佐官としては、とても長く勤めてくれたし、ちゃんと命のある内に任期を終えられた貴重な古族だったのに。…だから補佐につけてくれるなら普通の人がいいっていうのに、聞いてくれないんだもんなあ。…」

古族って冷たい、ぐれようかな、ぼく、といっているのを聞いて思わず、心臓が冷えるという人間の喩えというのはこんな感じだろうかと思いつつ―――ぐれる、というのだけはいかにしても止めて欲しかった――古族の補佐官がいう。

「その、普通の人、というのは、いわゆる人間のことですか?この基地にも勤務しているような、所謂人族のことでしょうか。」

真面目に訊ねる古族に、調整官が無邪気に答える。

「勿論だけど?普通の人間でいいっていうのにさあ。…誰もきいてくれないんだよね。」

「それは、…。」

沈黙した古族を、那人が不思議そうに眺める。その黒瞳を注意深く避けながら、古族は思う。

「それは?何?」

気になるから教えて、という那人に、古族はためいきを吐きつつ、口にする。確かに、この感情表現の方法を教えて頂いてよかったと、密かに前任者に感謝しながら。

 古族の中だけで生きてきたときには、思うこともなかったが。

 こうして、ためいきというものを吐きたいことというものが、人の世の中にはあるものなのだな、と思いつつ。出来れば、前任者に、ずっと現役でいて欲しかったと思うが、既に叶わない過去だろう。

 古族の補佐官すら、命のある内に任期を終えられたのは確かにその前任者だけ。

 人を、補佐につける、というのは、―――。

「ちなみにお聞きしますが、人を補佐に迎えられましたら、少しは行動に手加減をなさいますか?」

「どうして?」

訊ねたのはもしそれで多少なりとも押えられるのなら、といった気持からだが。不思議そうに訊ねる上官に、希望は潰えていた。

「調整官殿。」

「うん?」

「私は確かに人の命が短すぎて、吹き過ぎて行く塵のようにも思われますが。」

「うんうん?」

「―――けして、それでもその短い命が悪戯に散るのをみるのがいいとは思われません。まして、散ると解っていて死地に追い遣るようなことは哀れでできません。」

「…―――散るの?補佐官。」

「……これまでの行動を手控えなさる御積りはないのでしょう。」

頷く那人に、古族がしみじみと宇宙空間を眺める。古族にとって、障壁も現在身を置く此処が惑星の表面であることも些細なことである。懐かしい宇宙の果ての無い無窮を見て心を慰める。

「補佐官?」

「―――いえ、私も古族である以上、種族の持つ義務からは逃れられぬものと。」

これで、もし自侭に辞任などして、もし間違って後任に人族が、この調整官の希望するとおりに送られてきたりなどしたら。それこそ人でいうなら、寝覚めの悪さに夜も眠れぬ、といった処だろう。

「生きている以上、義務は付きものだと、いま悟った処です。」

瞳を伏せる古族に、那人が抗議する。

「ええっ?何で?どーしてっ?僕、こんなに人畜無害なのにっ、…極普通に、真っ当に、帝の為の辺境調整官なんてやってるのにっ。」

「…―――。」

何処までこの方が本気でいわれているのか。唯一命のある内に、任期を唯一真っ当したという前任者に、是非とも聞いてみたいと思う現補佐役の古族である。


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