女神の帰還 5

「聞いたか?――遅いぞ。」

「一応司令官にお詫びをして参りました。」

慇懃にいう副官に艦長が柳眉を寄せる。

「詫びる必要があるか。おまえも聞いたな?」

微かに頷くリゲルに、視線を艦長が外部に向ける。

 聳えるシールドの向こうは吹雪。荒れる大嵐と叩き付ける雪風。

 無言のまま真直ぐに二人が駆け込んだのは格納庫である。構造材を埋める物理隔壁とシールドの二重構造で護られる基地内は、無論だがこの激しい嵐にも小揺るぎもしない。

 していないように見えるが。

微細な震動を感知するように、眸を細めて艦長がシールドの頂きを見つめる。険しい視線に眉が寄せられる。

 対して、真直ぐに見つめるのは同じ頂きながら、のんびりと眺めてくちをひらくのは那人である。

「…あれ、頂点の接合ポイントが少し擦れてるね。」

「シールドの展開値が完全に合一なら、ああいった症状は起きない。物理隔壁だけでこの外部空間に立ち向かう場合、どれだけ持つ?」

厳しく問う艦長にリゲルが答える。

「地表条件は専門ではありませんが、設けられた物理隔壁の強度は横風がこの十分の一も吹けば壊れる程度です。シールドが吹き飛べば、中の人員とも、嵐に吹き飛ばされて終わりでしょうな。」

「何で、シールド破壊時の条件で設計しないんだ、…。」

「通常しませんよ、建築費がいくらあっても足りない。第一、元々この分類の惑星に地上施設を作る方が無謀何ですから。シールド技術があったからこそです。艦でも、シールド無しで恒星内部を通過する強度には作れないでしょう。それと同じことですよ。」

「ち、――…この基地は、一応帝国の一部だな?」

そして、眉をしかめていう艦長に慇懃にリゲルが答える。

「その通りですが。」

「腹の立つ連中だが、―――帝国臣民となれば見捨てるわけにもいかんな。調整官、貴方は帝国臣民の救助義務を持つのか?」

噛み付きそうな口調でいう艦長に、那人が微笑する。

「ないです。」

調整官は帝の為だけに仕事することになってますから、とにこやかにいう調整官。

「わかった、だったらはやいとこ、あんたたちだけで避難してくれ。邪魔にならないようにどっか消えてくれてるとうれしいな。こちらは帝国臣民を保護する義務を負った帝国軍人なのでね。――調整官殿、勝手に逃げてくれ。」

「うん、わかったよ。」

にっこり、じゃ、がんばってね、と立ち去る那人を、思わず茫然とリゲルが見送る。

「あの、あれ、―――。」

「最初から無かったことにするとすっきりするぞ?いずれにせよ調整官は帝のものなんだ。下手に存在されては救助の優先順位が煩わしい。自分から消えてくれるなら任せた方がよかろう。処で、副官。」

「――はい、何か。」

リゲルを振り向いて、それから艦長が魅惑的に笑う。

 笑顔で。

「星を破壊するものと、竜殺しか。いい酒を飲んだ。これなら、対抗することも出来るだろうさ。」

振り仰ぐのは、白い嵐。

 吹き荒れる暴風と、凶暴な嵐を食い止めるには華奢な基礎構造。

 揺れているシールド。

 シールドの生み出す僅かな震えが生む音楽を、先に耳にして艦長と調整官は走り出したのだ。

 シールドが崩壊すれば、基地は瞬く間に破壊される。

 揺れの生み出す音楽。

 外部の嵐と共鳴する音を耳に。

「このままでは基地のシールドが破れる。艦に連絡を取れ。副官。艦の供給装置から、臨時にパイプを引き、シールドにエネルギー供給を行う。」

決定事項を告げる言葉に、頷くと通信回線を艦上と繋げる。

 氷雪が唸る嵐の響きは、まだ基地内に降りてはいない。

 降りたとしたら、既にそのときには手遅れに違いなかった。


「見事なお手並みで。」

「脱出しなかったのか。」

冷やかにいう艦長に、堪えもせずに微笑して調整官が応える。

「お酒だけだと何なので、戻って料理を楽しんできたんです。ホロ肉の豆煮込みなんて通な家庭料理がありましたけど、いりませんか?」

「食う。くれ。」

那人が差し出した料理の深皿に、ためらいなく手をつける艦長である。

「――…艦の威厳が。」

傍でぽつりと呟くリゲルに、艦長がいう。

「こいつには何もやらなくていいぞ。」

豆を皿からすくって口に運びながらいう艦長に大きく副官がためいきを吐く。

「艦と基地のエネルギー線を繋いで、シールド復帰させる作業は完成しました。いま、基地の人員に内部から、艦の探査には外部から、シールドの揺れた原因を探らせています。」

「ごくろう。」

いって、豆スープを頬張る艦長の姿に額に手を置く。

「腹が減ったろう。随分掛かったからな。…いいだろう、豆とホロ肉だぞ。」

「家庭料理ですな、確か。」

「やらないからな。」

「誰がほしいといいました!」

「うんうまい。」

「艦長!」

つんつん、と背後からリゲルの腕を那人がつつく。

「何ですか?」

「木の芽のタークシャー高原焼き。」

焼き野菜とたれの絶妙に絡まった一皿を差し出されてリゲルが絶句する。

「あ、肉がないのによろこんでる。このベジタリアン。」

艦長が毒づくのに構わず、感激の声をリゲルがあげる。

「これはっ、…!懐かしい、タークシャー高原焼きでは、――ああちゃんとタレもついているっ!」

「野菜ばっかりじゃないか。」

「何をいってるんです、野菜は大事なんですよ。艦長のように肉中心の生活ではいけないと常々申し上げているでしょう。」

「ちゃんと豆が入ってるぞ。副官。」

「いや頂いてよろしいのかな?」

「もちろん、どうぞ。おなかすいただろうと思って。」

「ありがたくいただきます。」

礼をしてそれから猛然と食事にかかる。

 腹を満たすのに無言な二人を眺めながら、那人が揺れの納まったシールドと、外部に荒れる嵐の間隙に見えるコードを追う。嵐に見えないが、コードの先には旗艦藍氷が巨体をみせているはずだ。

「これで、藍氷は動けなくなったね。」

那人の呟きに、一心にホロ肉と豆スープを食べていた艦長が視線をあげた。リゲルの手も留まる。

「しかも、シールドへのエネルギー供給の為に、コードで艦と基地が繋がってるね。」

にっこりと那人がいう。

「これで、基地の制御システムが乗っ取られて、エネルギー回路を通じて逆に艦にアクセスしたら、どうなるかな?」

にこやかに艦長が那人に答える。

「決まっている。防御できなければ、艦のシステムも支配されるだろうな。エネルギーコードを通じて制御信号を送れるような連中なら、それが出来てもおかしくない。」

「わかっててやってるんだ?」

に、と艦長が獰猛な笑みを見せる。次に那人が振り仰いだ副官は、空とぼけて焼き野菜を口にするばかりである。

「――ふーん。了承済みなんだ。」

「何の話かな?」

艦長の問い掛けに、首を竦める。

「うわ、恐い。」

「誰がだ?誰が。貴公程こわくはないと思うが。」

「誰がっ?それこそ、僕はこんなに人畜無害なのに。」

「外見だけはな。」

低い声でいう艦長に、那人がうれしそうに見返してみせる。

「あ、外見だけは認めてくれる?」

「無論だ。口を開かねば物騒にはそう見えまいよ。」

柔らかな外見の調整官がうれしそうに頷く。

「うんうん、日頃の鍛錬の甲斐があるっていうか、うれしい発言だなあ。」

「誰も貴公を喜ばせたくはないが。」

「いいじゃない、いうだけただっていうし。」

「それは喩えが違わないか?」

「違うかな?」

「処で、御二人共。」

リゲルの呼びかけに、那人も艦長も顔をあげる。

「この度は不始末をお目に掛けてしまい、―――。」

口篭るのは基地司令エンゲス。対して、容赦無く藍の眸で射抜くのは艦長である。

「言訳はいい。長々とした挨拶も不要だ。貴君達には一刻も早くシールド劣化の原因を見つけ出して貰わなければならない。でなければ。」

「…でなければ?」

蒼醒めて見返すエンゲスに、艦長の言葉は容赦無かった。

「この基地は撤収だ。放棄することとなる。」

「な、…撤収ですと、何故、――――。」

激しい艦長の怒りを飼う眸に、司令官がびくりと身を強ばらせる。

「決まっている。貴君は、我が艦藍氷に、いつまでも補給基地でいろというのかね…?」

激しい雪と風が吹き付ける嵐の外さえ、いまこの艦長の眸よりも優しいだろう。

「我が艦はエネルギーの補給用にあるわけではない。わかっておられような?」

獰猛な笑みが、美しいだけに一層恐ろしい。炎に焼かれる錯覚を覚えるほどに激しい煌きを宿す藍。

 白髪が長く肩を落ち、滝の流れの清冽さを思わせる。

 激しい竜の眸が射抜く。

「…も、もちろん、了解しております、――――し、将軍殿、」

慌てて踵を返し、立去って行く基地司令を冷やかな眸で見送り、また再度残っていたスープに戻る。

 リゲルが傍であきれて艦長を見下ろす。いまの応対を座ったまま済ませた横着な艦長だが、基地司令はそんなことにも気がついていなかったようだ。

「…なんだ?シーマス。」

副官の視線に艦長がいう。顔を豆スープからあげないで問う艦長に、リゲルが答える。

「いえ、あれほど脅さずとも、と思いまして。」

しかつめらしくいうリゲルに、艦長が空いた容器を差し出しながらいう。

「さて、巡回に行くぞ。」

「…この容器を、私にどうしろとおっしゃるんです?」

「けど、調整官殿はもういないからな。…その辺りの部屋に、そっと返しておけばいいんじゃないのか?」

「そういうわけにはいきません。―――いつのまに。」

「そういう奴だろう。得体が知れないんだ。」

基地司令が姿を現したときには既に周囲に姿の見えなくなっていた調整官の行方について、艦長があっさりと片付ける。そして。

「その皿、その辺りに置いとけばいいんじゃないか…?」

「駄目です、ちゃんと返しませんと。」

「副官がいつまでも手を塞いでちゃいやだろーなーと思っていってるんじゃないか。」

伸びをしながら歩いて行く艦長の後ろから着いていきながらリゲルがいう。

「やめてください、イメージが壊れます。」

「そんなもの最初から破壊されてるだろ。」

「私個人のイメージはそうですが、世間一般ではまだまだ通用しております。帝国の将軍らしくきちんとしてらしてください!」

両手に落さないように皿とスプーンにフォークを重ねて持つ副官と。伸びをしながら歩いて首を運動させてなどいる常勝将軍。

 イメージというものがあったなら、この瞬間を見ただけでも瞬時に崩壊しそうだが。

 幸か不幸か、この場を眺めるものの姿は無いようであった。



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