女神の帰還 4
美しいものだな、と気楽にいう艦長の隣で、諦観に彩られながら副官シーマス・リゲルは慎重に機体を操作して地表基地への接近を試みていた。
乗るのは、一応艦載機であるとはいえ、定期整備以外で動かすことも無い機体。
何しろ、大気圏内で移動する機体を操作するのなど、通常船乗りには有り得ない事態である。
いや、ほら地表が見事だぞ、シーマス、などと御気楽に地表見物などしている上司のいう通り舷外へ目を向けようものなら、墜落するに違いない。大気圏内における空気抵抗による翼摩擦を考えると、宇宙で操艦する以上に気を使うリゲルだが。
「いいぞ、シーマス。氷ばかりで何も無いというが、見事な山脈じゃないか。氷雪に埋れた山脈がこれほど続いていると壮観だ。中々見られる景色じゃない。景色というものを眺められるのはやはりこうした地表での特権だな。どうだ、おまえも操縦桿ばかり見てないで、外に目を向けてみるといい。」
「結構です。私は、景観になど用はありませんな。眺めるのは果ての無い無窮の宇宙空間で結構。第一、地表では景色に果てがあるではありませんか。」
地表で暮らすものと宇宙を棲みかとするものとの感覚的差異は大きなものだというが、通常は一見それをわからない範囲におさめて生活している。しかし、一皮剥けば、いまの副官のような意見が確かなものだ。
地表に暮らすものは、果ての無い宇宙の景色を恐ろしいというだろう。だが、同じように、宇宙に暮らすものにとって、果てがある地表の景色は馴染みの無いものでしかない。行けどもゆけども果ての無い宇宙。人や生命体など、確かなものと思える巨大な艦さえ、ちっぽけな、小さなものと思えてしまう無窮。
其処でなくては、暮らす場所ではない。
身を置いて落ち着かない。
「ま、そうだ。」
腕組みして同意した艦長に、何をいまさら、と気配だけで返事として副官シーマス・リゲルは着地姿勢に入った。
地表への着陸作業は、大気圏内で飛行する場合、尤も複雑且つデリケートな作業といっていい。
「――艦長。」
「うむ、何だ?」
軽く返事をする艦長に、重々しくリゲルがいった。
「一応いっておきますが、この機体を本当に操縦するのは私は初めてです。」
艦載機の操縦はシュミレーターで総て習得するのが義務付けられている。勿論、それ以外に実際の操縦を殆どすべての機体で済ませているリゲルだが。唯一の例外は、この大気圏飛行用艦載機だった。
「…地表機の事故で一番多いのが着陸時の事故だそうです。」
「シーマス。」
「はい。」
「それはいやみか?」
訊ねる艦長に、微細な調整を必要とする作業を繰り返しながらリゲルが答える。
「無論です。」
沈黙した機内に、代わりに地表を吹き荒れる嵐による横風の震動が音となる。
「随分派手だな。」
「勿論分解などしないでしょうが、横風と下から吹き付ける風で機体が横転する危険性があります。覚悟なさっていてください。」
「それを何とかするのがおまえの腕じゃないのか?」
「艦内でしたら。これは、地表機ですからな。地表の操縦に慣れているというお迎えをどうして断ったりなさったのです?」
「いや、帝国軍旗艦の乗員が、自艦の艦載機以外で発着するなんて恥ずかしいじゃないか。」
「宇宙空間でしたらその通りですが、――他艦に迎えにきてもらうなど恥ずかしさの極みですからな。しかし、地表降下に手を借りても、全然恥ずかしいとは思いませんぞ。」
「そりゃあおもわないけどなあ。…格好をつけたいじゃないか。」
「それで殉職となるかもしれないわけですな。では御覚悟を。」
「シーマス!私が悪かったって、…後で、ほら、帰りは私が操縦しよう、な?」
「そんなことをされるくらいなら、艦載機で末期状態で爆発寸前の恒星に突っ込んだ方がましです。」
「そこまでいうか?」
「貴方の操縦ですよ?私はまだそんな死に方はしたくありません。」
「…死ぬのは同じだろーが!」
「死に至る過程というものがあります。」
「……シーマス。」
「はい。」
横風と地表から吹き上げる渦と有視界ゼロの逆境の中。
地表係員がこれまで見たことの無い優雅な着陸で旗艦藍氷からの大気圏用艦載機が着陸したのは、このしばらく後のことである。
氷雪に覆われた外とは違い、基地内部はシールドの外に見渡せる嵐と叩き付ける雪塊を見なければ、至極快適な温度に整えられている。艦内とそれほど変わることの無い環境である。
格納庫へ機体を入れ、通路を経て入った基地内部を珍しげに見渡している艦長と、隣に黙然と立っている副官の前に歩み出る姿があった。
既に白髪となりかけている髪を丁寧に後ろに撫でつけ、口髭を見事に整えているこの人物を二人共既に通話で見知っている。
「地表へようこそ。歓迎致します。既にご挨拶はしておりますが、私が基地司令エンゲスです。」
「うむ、御招待に預かり光栄におもう。私が旗艦藍氷艦長マクドカルだ。こちらが副官のリゲル。よろしくな。」
「こちらこそ、帝国軍に栄えある、常勝将軍と名高い艦長殿にあわせて副官殿まで御来臨頂けるとは、光栄の極みです。」
ではご案内いたしましょう、という基地司令自らの案内にさして感激するでもなく艦長が足を運ぶ。隣で、副官リゲルはこっそりためいきを吐いた。
艦長が視線で訊ねてくるのに、後で、と首を振る。興味深げにリゲルを見て何事もないように歩き出す艦長を少しだけ前に、黙然とした表情で歩くリゲルである。
案内された豪華な控え室――まだ、宴は準備中ということだったが――で、天然物かもしれない毛皮に覆われたソファ、という宇宙空間では見掛けない、少なくとも軍艦の中で見ることはない代物を面白がって観察している艦長を背に、リゲルはバーを見つけて飲み物を作り始めた。
「どーしたんだ?シーマス。いやに無口じゃないか。」
「艦長と違って、私はこのような場には慣れませんので。」
ステアした飲み物を渡されて、艦長が不思議そうな顔になる。
「そうか?なら、代わってやろうか?式典とか興武会とか、面倒な式典類は全部かわってやるぞ?大丈夫、おまえなら黙ってれば迫力あるし、私よりよほど適任だ。」
「―――謹んで辞退申し上げます。」
「つれないぞ、副官。」
「艦を護るのが副官の役目ですからな。―――それをまた、こんな艦長の我侭で。どうかと思いますぞ、艦長と副官が揃って艦を離れるなぞ。」
「いいじゃないか、ここは辺境の、しかも、帝国に護られた地表基地だぞ?我が艦に危害を加える何物も無いさ。いつも私ばかりが無駄に格式張った式典に呼ばれるんだ。歓迎会に犠牲になるくらい、序の口だろう。」
「――艦長。犠牲になられるのも、艦長の義務の一つでございますよ。部下を巻き込むのはいかがかと。」
からり、とステアを艦長が回す。
「いいじゃないか、どうせ敵はいない、しかも短い時間だ。たまにはおまえも私がいかに面倒な儀式に付き合っているか実感しろというんだ。大体いつもおまえは上官に思いやりがなさすぎるぞ?今回面倒臭さに付き合えば、普段いかに私が典礼や何かに付き合って大変な目にあっているか、実感を得て少しは上官に優しくなるに違いない。」
うむうむ、と頷いている艦長に、あきれた視線を副官が向ける。
「もしかしてそれが目当てですか?」
「決まってるじゃないか。まあ反省はしなくとも、おまえを面倒な儀礼に巻き込むことはできただろ?上出来だな。」
「…―――艦長。」
うむ、このカクテル美味いぞ、もう一杯作ってくれ、といわれて、もう飲干されたんですか、といいながらリゲルが改めてカクテルを作る。
通常なら倒れる程の酒を組み合わせても、この艦長には水と同じである。
「敵はいない、等とおっしゃいますが、この辺境星域は、例の連邦方面と接触する星域になるのではありませんか?十年前に帝国にこの惑星が接収されるまで、連邦にも帝国にも、この星域は組していなかったと聞いていますが。」
「確かにそう私も聞いてるが、――連邦にした処で、此処は遠すぎる僻地の中の僻地だろうさ。こんな処にまでやってくるほど暇でもなかろう。実際、艦影もこの周辺には我が艦藍氷しかないのだからな。」
「…だからといって、艦長が副官と、――副艦長も共に、同時に離艦するというのは如何なのです。いまからでもですな、私が戻って、――…。」
「いやだ。…そういっておまえは、私一人をこの歓迎会とやらの犠牲に差し出すつもりだな?はっきりいっていまから退屈なのは解りきった集まりだからな?誰が逃すかというんだ。貴様一人に楽をさせて堪るか。上官命令だ、此処にいてもらうからな?」
「…そういう命令は如何なものかと思いますが。」
「まだか?」
酒、とリゲルの愚痴を遮って艦長が催促する。
「御待ちください。」
まだか?とさらに無邪気にリクエストする上官の存在に、そこはかとない理不尽さを覚えるリゲルである。
「それで、来たんだ。」
愉しげにいう青年の柔らかな黒髪を眺めながら、青年の副官、炎のような巻毛をした少年型の異系生命体が頷く。
赤い巻毛に性別の判定しがたい美貌、瞳の色は不定だが、現在は虹がその表面を過ぎるように見えている。肢体は少年型を選んでいるが、実際は千年を既に越えて生存している個体である。
帝国が支配を広げる以前、遥か宇宙誕生の頃にまで遡るといわれる起源を持つ生命体。人の前には人型を取ってあらわれるが、正体は帝国中枢にあるほんの一部の存在にしか明かされていないといわれる知的生命体――超常能力を操るといわれる古族。
その一体が、副官としていまこの辺境調整官の傍らに在った。古族であることを現す認識票、髪と同じ紅い宝石の環を左耳の中程に嵌めている。それがなければ、単に美しい容貌の少年に過ぎない。
青年と同じく調整官の制服である黒の無機質がいっそ惜しいほどの容姿であるが。
単体で星を砕く力を持ち、星の虚空を渡り、見晴るかす星々総てを同時に見透すことができるといわれる古族。
その古族を部下に従えながら、辺境調整官、伊神那人は微笑した。
「艦長と副官が共に降りたようだ。」
感情の伺えない声でいう古族に、那人が楽しそうにいう。
「うん、無謀だね。」
にこやかにいう那人を、古族があきれたように眺めている。
「調整官。」
「うん?なにかな。」
那人の笑顔に古族が沈黙する。それから。
大きくためいきを吐いた。
「え、――――それはないなあ、」
古族らしからぬ感情表現に、一応驚いたふりをして那人がいう。その白々しいさまに横を向いて、軽く古族が視線を逸らす。
高雅にして位高い古族のイメージを抱いているものが見たら、どう反応していいか迷うような場面が調整官が借り上げている一室では繰り広げられていたが。さいわいなことにか、目撃者は何処にもいないようであった。
かくして始まる宴に、艦長と共に出席の運びとなった副官だが。
苦虫を噛み潰したような表情で立つ副官に、気を使ってか、艦長がカクテルを手に運んで来る。宴は漸く登場人物の延々とした紹介や、基地の歩みとか云う退屈極まりない代物が終わり、各人自由に飲んだくれてくれ、という――これは、艦長独自の解釈であるようだが―――パートに漸く入った処である。
「ほらほら、酒を持ってきてやったぞ?何てサービスの良い上官なんだ。優しい上官でよかったな。」
「―――…貴方の基準で酒を選ばないでください。」
苦い表情を変えもせず、リゲルが指摘するのは酒の銘柄。
「そうか?」
といって不思議そうに艦長が眺める左手に持つ酒を見てリゲルがいう。
「こちらは、酩酊度数の強い酒で有名なアンタレス高原で採れる虹の酒をベースにしたカクテルでしょう。半分も飲めば大の男でも引っ繰り返るという代物です。優雅な外見と違ってその強さから竜殺しといわれてるカクテルです。こちらは、」
右手に持つカクテルを見て眉をしかめる。
「もっと悪い。星をも破壊するといわれる星域破壊者の異名を持つカクテルじゃありませんか。酩酊度といい破壊力といい、これ以上の組み合わせは無いって代物のくせに、口当たりが非常に良い。うっかり飲干せば、次の瞬間寝息を立てるという代物です。――――副官を酔い潰して晒し者にしようという魂胆ですか。」
きれいなカクテルを交互にながめて、艦長がいう。
「いいじゃないか?綺麗だろう。誰もおまえに酔い潰れてほしいとは思ってないぞ?運ぶのが面倒だし。」
「本当にそう思っていらっしゃいますか?運ぶのは誰が他のものにさせて、ご自分は見学して遊んでいよう、という魂胆はないと?」
「物凄い信頼だなあ、副官殿。」
「御仕えして長いですからな。」
しかつめらしくいう副官に、艦長がためいきを吐く。
「仕方無いなあ、…これは両方とも私が飲むか。」
「是非そうしてください。」
慇懃に頭をさげる副官に哀愁を帯びた目で見返すが、結局留めそうにないとわかると哀しげな顔のまま一息に星域を破壊するものと名付けられたカクテルを煽る。
「うむ、美味い。」
倒れる処か続いて竜殺しと呼ばれるカクテルを口に運ぶ。
「どちらも非常に強いカクテルなのですがね、…お強いんですね。」
にっこり、笑顔で掛けられた声の主に向けて、剣呑な表情で艦長が振り向いた。
絢爛豪華、とまではいかないが、それなりの工夫を凝らされた歓迎パーティに集まる人々の中、地味にさえ見える衣装だが。
或る意味、これ以上目立つものもない黒の制服。
調整官の黒を身に纏った姿の青年を前に、艦長が派手な渋面を作る。
「調整官殿。先程の挨拶にはおられなかったようだが…?」
「ああいう面倒ごとには出席しないようにしてるんです。調整官って黒子ですし。」
艦長が詰まる。つまって渋面がますます酷くなる艦長と。構わずにこやかにいう調整官那人に感心した視線を副官リゲルが送るのに、艦長がさらに不機嫌になる。
「どうした、副官。君は私の副官なんだろうに、どうしてそううれしそうにしている?」
「いや感心しました。」
「何?」
「艦長がここまで苦手になさる方がいるとは。それだけでも今宵離艦して訪れた甲斐がありましたよ。」
頷いていうリゲルに艦長が目を剥く。
「あのな?貴様それでも私の副官か?」
「日々常々感じていたことですが、傍若無人な艦長にも何処かに苦手とするものがこの広い宇宙には存在するに違いないと―――殆ど信念というか、祈りでしたが、信じていてよかったですな。」
「言葉が処々矛盾してないか?文法おかしくないか?副官。」
「艦上ではお逢いする機会もなく、失礼致しました。いや感服致しました。」
「そう?いやいいね、こういうひとが君の副官してくれてるんだ。人に恵まれてよかったね、将軍どの。」
「―――何が感服だ、あのな、」
微笑する那人は姿だけみていれば実に人畜無害にしか見えない。極普通に生活していそうな好青年だ。
脱力して、艦長が呟いた。
「酔った、かな、…。」
「そんな、星がいきなり爆発するより有り得ないことを。」
何をおっしゃってるんです、とリゲルがすかさずいい。
「あなたが酔っ払うのなら、…―――やっぱり天変地異の前触れかな?」
「きさまらな、…。」
「気が合いますな。」
「気があうねえ。」
禿頭の副官がしかつめらしく那人に頷き、調整官もにっこり頷いている。
宴もたけなわ、背景に流れる音楽も、緩急をつけてクライマックスへと向けて進んでいる。
其処へ、何しろ調整官と帝国の常勝将軍の会話とあって、遠巻きにしていた周囲から一歩踏み込む者がある。基地司令エンゲスである。
「いや、これはこれは、この度はこのような晴れがましい顔ぶれにこの辺境基地が恵まれますなど、――――。」
カクテルを手に、いいながら近付いてくる司令を、艦長と調整官が同時に振り向いた。
否。
「な、どうなさって、―――。」
途切れる基地司令の声は聞いていない。二人がほぼ同時に面を振り向け、走り出す。着いて行くリゲルは、何の説明も無く宴会場を走り出す上司の代わりに一瞬だけ立ち止まって非礼を詫びた。
「済みません、教育のなっていない上官で。この度は退席させて頂きます。お許しください。」
「あ、…ああ?」
訳も判らずに頷く基地司令を後にリゲルも上官達を追って姿を消す。
一瞬の内に会場から姿を消した旋風のような三人に、呆気にとられた基地司令が見送る。
何事が、と見守る会衆に慌ててカクテルを掲げ大声でいう。
「皆さんお気になさらず!楽しんでください!」
もとより速過ぎる退場に何が起こったのかわかっていないものが多い為か。しばらくすると、会場は何事もはじめから起こらなかったようなざわめきを取り戻していた。
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