女神の帰還 3 過去からの招待状
「処で。」
と、いう艦長の言葉を、無事地表に繋留された旗艦藍氷の士官ルームで聞いた副官シーマス・リゲルは眉を寄せていた。殆ど白い眉だが、僅かに何処かしら金髪の名残が残っているのがリゲルの密かな自負である。それはともかく。
いま副官と艦長しかいない――尤も総ての士官が使用していいはずの此処に他の人物が姿をみせることは滅多にないのだが――休憩用のラウンジで、カクテルを作っているらしい人物を部屋の対角線上に確認しながらリゲルがいう。
「―――…何と、おっしゃられました?」
最後の方をわざとぼかす――つまりは、くちの中で誤魔化して内容を誤魔化そうという訳だが――上官の癖に、嫌な予感を憶えて副官リゲルは向き直っていた。上等な酒が、それも強い酒が採れる氷惑星に着艦しての、艦の酒舗を充実させようという目論みがついえる悪い予感がした。
美しい艦長は、藍色のあざやかな瞳に微笑を乗せて、副官を見返っている。
「な?おまえも賛同してくれるだろう。」
「―――よく聞こえなかったのですがな。艦長。何に賛同しろとおっしゃるのです?」
「賛同しろとはいってないよ。…唯ちょっと気になるじゃないか?だから艦が地表に繋留されているこの滅多に無い機会を活用しない手はないんじゃないかと思ってな。」
「―――…。」
シーマスは額を押えた。既に禿げ上がっていなければ、額の後退する危機を覚えたろう。この艦長と出会った際、既に禿頭であったことは唯一の慰めとなる点だった、と思いつつ、これまでの過去を思い返す。
一見真面目の塊のような、厳格な規律を旨とする帝国軍に於いて知らぬものとてない常勝将軍、白髪の女神が。厳格処か、規律破りも甚だしい、横紙破りの存在だとはシーマスも思ってもいなかった。
過去には。
現在、悟りがあるだけである。
このようなことを云い始めた以上、既にこの艦長はやる気なのだ、ということと。艦に出来るだけ被害を及ぼさないようにするには、どうしたらいいのかという事後処理に既に気持が向うという悟りである。
「…それで、どのような悪戯を今回は思いつかれたのです?」
額を押えつついうシーマスに、艦長が意外だなあ、という表情をしてみせる。
「何をいってるんだ?シーマス。私は、ちょっと出掛けて来ようといってるだけじゃないか。」
「…――――。」
旗艦藍氷は、別に作戦領域にいる訳では無い。――ないが、だからといって帝国本星の母港ドックに入っている訳でも無く、無論艦長が休暇に入っている訳でも無い。
「―――――艦長。」
「うん?シーマス。」
「…一つお伺いしますが、いつから帝国艦の艦長は、行動作戦中に離艦することが許されたのですかな?」
しかつめらしくいう副官に、にこりと艦長が笑顔をみせる。手にした蛍光グリーンのカクテル、恐らく艦長以外が飲んだらその場で卒倒必至の強い酒を手に、一見だけは随分と華やかな美しさで微笑みかけてくる。
これは手にした酒と同じで、外見に騙されると痛い目にあう代物だと、副官としてリゲルは随分と学習してきている。その為、一見このうえもなく麗しい笑顔にも、まったく動じることなくリゲルは冷たく口にしていた。
「――作戦中の艦から艦長が離艦なされるなどという御話は、寡聞にして耳にしたことがございませんぞ。」
「それはいけないな、シーマス。少し世間を広くした方がいいぞ?――たまには、酒場へでも繰り出して、見聞と広めてきたまえ。」
白いスモーキーな色合いのロングドリンクを手に取りながら、シーマス・リゲルが厳かにいう。
「――これ以上見聞を広める必要性を感じませんな。」
実際、この艦にいれば、いるだけで他の帝国艦に乗務する百年分の見聞を一年で積むことができるのではないかと確信しているリゲルだが。
「いかんな。狭い常識に囚われては。どうだ?リゲル副官。一緒に地表に降りてみないかね?地上基地には、良い酒舗もあると聞くぞ?」
笑顔でいうのが艦長であるという辺り、既にかなり常識の範囲を越えていると思うリゲルは間違っていないだろう。
「何処の艦で、艦長と副官が共に離艦する艦があるといわれるのです。」
叱る口調のリゲルにも、一向堪えるようすは艦長に無い。処か。
「でもなあ、おまえ、酒好きだろう?その酒好きのおまえをおいて、地上に降りたいんじゃ恨まれるじゃないか。そんな処で艦長と副官の間に亀裂が走ったらいけないだろう?此処は艦の円滑なる経営の為にもだな。」
「――…円滑なる経営の為でしたら、是非艦長には艦に御留まり頂きたいものですが。」
ロングドリンクに一口もつけずいうリゲルに、鮮やかなカクテルを軽く飲干して艦長がいう。
「うん、決まったな。では地表の連中に招待に応じるといってやろう。―――地表では歓迎のパーティを開くといってきかなくてな。艦の規律を考えれば、艦長たる私が離艦する訳にはいかぬと答えておいたのだが。―――しかし、招待である以上、辺境星区とはいえ、その辺境とのコミュニケーションも大事な役目であるという副官の説得には感じ入るものがあった。確かにその通りだ。私が悪かった。再度、参加するという意を地表に伝えてやろう。それに、この私を翻意させたという点でもあっぱれな副官は立役者でもあるから、伴うと連絡してやろう。うむ、地表の面子をつぶさずに済んでよかったな。」
おもむろに頷いて見せていたりする艦長に、リゲルがいう。
「いつ、誰が翻意させました?――しかし、地表から招待ですか?非常識な、」
作戦中の艦から艦長が離れるなど事実前例が無い。一見地表に繋留されていようと、いま旗艦藍氷が作戦中なのは紛れも無い事実なのである。それを。いうに事欠いて、歓迎パーティに招待とは。
「歓迎パーティなど、それが本当なら、地表の連中は頭がどうかしたのですかな?作戦行動中の帝国艦が、艦長を離艦させるなどありえないことなど、いくら辺境基地に勤務するものでも知っているはず。―――艦長?」
嫌な予感がして艦長をリゲルが見る。にこやかに笑顔を振り撒く艦長に、ここは社交場でも何でも無いんですから、その物騒な笑顔を仕舞っておいてください、といいたくなったリゲルである。
そして、嫌な予感というものは、往々にして当るものらしい。
「それでも連中は私を招待したいらしい。わざわざ親切なことに、私の私的アドミラルコードを調べて、直接通信で連絡してきた。」
物騒な笑顔でいうさまが、酷く獰猛に美しい。
「…艦長に私的コードで通信ですか、――ですな、私が艦長が招待された事実を知らないのですから。」
通常、艦に設けられている通信コードは、平たくいえばオープンな、開放されたコードである。勿論通常の機密処理はされているが、一定の基準で使用可能であり、時には民間船との交信にも使われる。無論独自に帝国艦同士で用いる機密コードとは別のもので、本来艦長への招待など、公的な交信であればこの通信コードを使うのが通常である。
実際、艦と地表基地との交信はこれまですべてこの通信コードで行われた。艦に通信するのも、艦長に通信するのも同じことなのだから、これは当然の処置である。しかし。
私的コード、――艦長の場合帝国軍より与えられた高位のアドミラルコードだが――は艦長個人のみに知らされる通信である。他に漏れることはなく、いまのように艦長本人が広めでもしない限り、通話自体が知られることが無い。
本来、その性質からして、より機密性の高い、そして緊急の場合にのみ使用される。使用者も本来は限られるコードである。
事実、そのコードは操艦時の上位アクセス権を示してもいる。以前、このコードのみで操艦権限の確認をしていた名残である。現在は既に使われていないが。
「しかし、どうやって知ったのです?」
簡単に調べたというが、そう簡単に知れるコードでも無い。訊ねる副官に、艦長が優雅に微笑んだ。
いかにも美しいが、いかにも物騒な微笑だ。
「シーマス。私もそれを知りたいんだ。この辺境にアドミラルコード使用許可を持つものなど、基地にはいないはずだからね。と、なると後は既に地表に厄介払いをした方達以外にないんだが、―――。」
「調整官達ですか?」
「あれは実質一人だからな。取り巻きは本当にサポートで、調整官は一人だけになるそうだ。…それはともかく、知りたいじゃないか?アドミラルコードを用いて単なる歓迎会を開きたいと告げてきた辺境基地からの招待なんて。わくわくするじゃないか。」
「―――わくわく、しますか。」
肩を落とすリゲルに、艦長が不思議そうな顔をする。
「するだろう?地表からのこの招待は、まるで私に艦を留守にして、撃沈の機会でも狙っているようだ。艦長が離艦しただけで、艦の能力が八割方封印されるのは誰だって知っている基礎知識だよ。」
艦長の微笑にあらためてリゲルが向き直る。
「…つまり、連中の目的は、この辺境で帝国旗艦を撃破することにあると?」
訊ねるリゲルに艦長がいう。
「…期待に応えてやってもわるくなかろう?そのうえ、艦からおまえが降りれば、上級権限を持つ二人が同時離艦となるから、艦は、――そうだな、正常時の一割、――いや、一割の半分くらいの機動率しかもてなくなるだろう。そうすると完全にでくの坊だ。楽しいだろ?シーマス。」
「…――――わざわざ、楽しみを増やされるようなことをしますか。」
眉を寄せるリゲルに、艦長が楽しげに笑う。
「いいじゃないか、我が艦から、戦闘能力を奪って連中が何をしたいのか。気になるだろう?おまえも。」
大きくためいきをリゲルが吐いた。
「一緒にしないでいただきたいですな。」
生真面目に云うリゲルに、艦長が微笑む。手には、新しいカクテル。
「でも、ついてくるだろう?一緒に離艦して、これから起こる騒ぎを見物しようじゃないか。」
さらに大きな溜息をリゲルが吐いた。
「副官?」
「…艦長命令とあれば、仕方ありませんな。」
「おまえなら、そういうと思ってたよ。」
艶やかに笑む白髪の女神に、額を押えて溜息を吐く。
しかし、この時点で反対処か頷いてしまう辺りが、既に。副官シーマス・リゲルも帝国旗艦藍氷の非常識さ加減を荷っているのだが。あくまで、自分は良識派、艦長は非良識派だと分類しているリゲルである。そして。
充分に非良識派といって通じるこの一組は、いかにも怪しい招待にしたがって、艦を離れ地表に降りることを決定したのだが。
士官なら誰でも使用可能なはずのラウンジを、誰も他に使うものがいないのは、こうした聞いてしまえば心臓に悪い会話が実に頻繁に、艦長と副官の間で交わされているから。
と、いう事実は、この二人は知らないが。
「いつからです?歓迎会というのは。」
「今宵夕刻の刻限からだそうだよ。」
「では、飲んでしまいましょう。もう時間ですぞ。」
「うむ、そうだな。」
かくして、誰邪魔する事無く、艦長と副官が同時に離艦するという、前代未聞の行動を決定事項にしてしまった一組の会話。やはり、望んで聞きたいものはいない、というものかもしれなかった。
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