第3話 小野郷シスターズ

「通ったはずのトンネルが消えてる……」

「我らが眷属の力を借りて、少しだけ未来に飛び、再び一九六九年に戻ってきたというわけだ」


 バスは清滝川に沿う山道を下っていく。


「このあたりは大森という集落だ。ここにある安楽寺は惟喬親王の創建と言われる」

「また惟喬親王……」

「その縁が雲ケ畑と小野郷をつなぐのだ。我々オオサンショウウオにとって大事なのは、水の流れと、縁なのだよ」


 やはりオオサンショウウオの言うことは、女にはよくわからない。バスはやがて、北欧の巨人トロルを思わせる化岩を越え、小野郷に入る。


「『源氏物語』は読んだことがあるね?」


 高校の授業で出てきたので、もちろん知っている。しかし読んだことがあるとうなずけるほどの自信が女には無かった。


「ここは夕霧が恋に落ちたという落葉姫を祀る、岩戸落葉いわとおちば神社だ」


 鳥居に屋根をかけるようにして、巨大な銀杏の木がそびえる。この新緑の葉も秋になれば黄色く染まり、やがて黄金の絨毯を敷くことになるのだろう。鉄道を通すんやったら『落葉』の名を冠した駅を造りたいなぁ、などと女は夢想する。


柏木衛門督かしわぎえもんのかみは、源氏の妻となった女三の宮に強い恋心を抱きつつ、彼女の姉にあたる女二の宮と結婚する。柏木は『もろかづら落葉を何にひろひけん名はむつましきかざしなれども』と、女三の宮に比べて妻とした女二の宮は落葉のようにつまらない、という歌まで詠んだ。それで女二の宮は落葉姫と呼ばれるようになった……」

「惟喬親王といい、落葉姫といい、なんだか可哀そうな人ばっかりやね」

「哀しみが人間を強くするのだ……と、オオサンショウウオの吾輩に言われても説得力がないであろうが」


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