シュナイダーの介入

国際古代文明研究財団の会議室は、最新のナノ材料で構築された空間だった。壁面は光を選択的に透過し、外光と人工照明が完璧なバランスで調和している。理子はその無機質な空間で初めて、ロバート・シュナイダーと対面した。


「素晴らしい発見です、速水博士」


シュナイダーの日本語は完璧だった。45歳ほどの男性は、ダークグレーのスーツに身を包み、優雅な物腰で理子たちを迎えた。その姿は、古い貴族の血筋を思わせる気品を漂わせている。


「古代文明の数学的構造に関する貴方の仮説、とりわけ量子もつれのパターンについての解析は、驚くべき洞察力を示しています」


会議室の壁一面のホログラフィック・ディスプレイには、理子の研究データが立体的に投影されていた。60進数の数列が空中で回転し、その中に隠された量子パターンが青く輝いている。


理子は眉を寄せた。投影されているデータの一部は、まだ論文にもしていない未発表のものだった。しかも、彼女が先週解析を終えたばかりの結果まで含まれている。


「山岸教授の建造物配置理論と組み合わせることで」シュナイダーは続けた。「私たちは人類の歴史を書き換える大発見の瀬戸際にいます」


彼は指を鳴らした。すると壁面全体が暗転し、世界地図が浮かび上がる。古代文明の主要建造物が点として標示され、それらを結ぶ線が幾何学的なパターンを形作っていた。


「当財団は、最新鋭の量子コンピュータ施設を提供できます」


スクリーンが切り替わり、地下深くに設置された研究施設の映像が現れる。制御された極低温環境で、無数の量子ビットが青く明滅していた。


「そして、世界中の遺跡への優先的なアクセス権。必要な研究資金は無制限です」


提案は、研究者なら誰もが飛びつくような内容だった。しかし山岸は、どこか落ち着かない様子で着席していた。彼の指が、無意識に古い指輪を撫でている。


「考えさせていただけますか」


理子の言葉に、シュナイダーは親しげな微笑を浮かべた。しかしその目は、笑っていなかった。


「もちろんです。ただし...」


彼は立ち上がり、窓際まで歩いた。眼下に広がる東京の街並みを見下ろしながら、静かに続けた。


「時間はあまりありません」シュナイダーの声が響く。「遺跡は日々、危機に瀕しています。シリアでは内戦の影響で貴重な遺物が破壊され、エジプトでは気候変動による砂漠化が進行している」


彼は振り返り、理子の目をまっすぐに見つめた。


「しかし、それ以上に私が危惧しているのは、知識の消失です」


シュナイダーの声が、不自然なまでの強さを帯びる。


「古代文明は、現代の私たちより遥かに深い叡智を持っていた。量子力学を、数千年も前に理解していた。その知恵を失うことは、人類にとって取り返しのつかない損失です」


会議室に沈黙が流れた。シュナイダーの言葉には切実さがあった。しかし同時に、何か異様な熱、そして古びた執着のようなものも感じられた。


「一週間、お時間をいただけますか」


山岸が静かに切り出した。シュナイダーは優雅な仕草で頷いた。


「もちろんです。ただし...」彼は理子の方を見た。「量子コンピュータによる解析は、一刻を争います。速水博士には、できるだけ早い決断をお願いしたい」


エレベーターで下りながら、理子は山岸に尋ねた。


「信用できないと?」


「ああ」山岸は深いため息をついた。「だが、彼の言うことも間違いじゃない。このまま研究を続けるには、相当な設備と資金が必要になる」


理子は黙ってうなずいた。シュナイダーの申し出は魅力的だった。しかし、彼女の数学的直感が警告を発していた。シュナイダーの言葉の背後に、別の数式が隠されているような気がしてならない。


エレベーターの表示が、無機質な数字でフロア番号を刻んでいく。それは理子には、未知の数列の一部のように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る