赤上尚登という魔法使いの場合 3

 目を開けたらそこは公園だった。喧噪の繁華街と住宅地の境界線のような佇まいの寂れた公園。数年前は近所の子どももいたが、ここよりも大きい市民公園ができたことでこの公園の利用者は極端に減った。

 小さい頃は隆大とよく遊んだ記憶があった。尚登はそんな思い出よりもいまここにいるという実感を覚えることに強く意識を置いていた。

 咄嗟に放った魔法は瞬間移動だった。あの時。振り上げた拳をそのまま誰かに叩き込んでいたらどうなっていたか。魔力に耐性のない人間だ。直撃すれば命はない。間接的でも身体的精神的ダメージは計り知れないものがあるだろう。

 でも同時に考えてしまう。肉体的にダメージを負わせた方が。よっぽど為になったのではないか。

「飛鳥のおかげ。だね」

 理性と感情の狭間で。安藤飛鳥は訴えていた。感情の奴隷になるな。

 彼女もまた魔法使いのひとりだった。だけれどそのことはばれていなかった。大林のことだから時間の問題かと思ったが、彼女の如才のない立ち回りを思い出せば、尚登や隆大のようにはならないだろうという思いもあった。

 同じ魔法使いなのに差別される者とされない者に分かれるという現実。尚登はそれを強く噛みしめる。

 自分も不登校になるべきか。尚登は考える。どうせ学校に行ってもロクな扱いをされないことは目に見えている。それなら隆大のように徹底的に精神を砕かれる前に逃げるべきではないだろうか。

 隆大のところに行ってみよう。どうせ今日はもう学校には戻れないし、このままじっとしていても何も始まらない。いや、始まらないどころかたちまち心に暗雲が立ち込めてその場でうずくまってしまいたくなる。それなら動いた方がマシだ。

 携帯が震える。ポケットから取り出してみれば、いままさに会いに行こうと思っている人物からの着信だった。

『尚登。お前もなっちまったか。透明人間に』

 隆大だった。その声は自嘲めいて聞こえ、ザラリとした嫌な感触を尚登は覚えた。

「なんで知ってるんだ」

『菊の花瓶が僕の机にあったろ。あれは僕が置いたんだよ。そこに目を仕掛けておいた』

 目というのはおそらく魔具の一種だろう。魔族は家電製品を扱うように魔力使用の製品を扱うことがある。人間との混合のために極力魔具の使用を控える魔法使いもいるが、便利な事には変わりない。

「……どこから見てたんだ」

『もちろん最初から』

「趣味が悪いな」

『尚登に言われたくはない』

 撥ねつけるような物言いに、尚登の中に不安が走る。やはり隆大は僕を憎んでいるのだ。

『勘違いするなよ。別に見て見ぬふりをしたお前のことをどうこう言うつもりはない。あれは立派な処世術だ。あの時お前が僕を助けたところで結果は変わらなかっただろう』

 隆大へのいじめが始まったとき、尚登は真っ先に手を差し伸べようとした。その手を拒んだのは隆大だった。「僕は惨めなんかじゃない」。そう言って見て見ぬふりをすることを尚登に強制した。

『僕はひとりでやれると思ったんだ。耐えられると思った。そうやって尚登や飛鳥を安心させようと思ったんだ。もちろん、二人が標的にされるのを防ぎたかったのもある。だけどそれ以上に。僕は人間を信じようとした』

 その結果がどうだ。透明人間の次は人権の剥奪。最後は葬式ごっこと称して隆大の存在をこれでもかと蹂躙した。その人間性を徹底的に砕いた。おそらく尚登の見ていないところでも、隆大は散々な目に遭ってきたのだろう。

「隆大。いま、家か?」

『不登校の引きこもりだぞ。自分の部屋以外に行くところなんてない』

「ちょっと待っててくれ。そっちに行くから」

 嫌がられるかと思ったが、案に相違してすぐに了承してくれた。

『ちょうどよかった。僕も尚登に話したいことがあったんだ』

 電話を切る。時間を確認すれば、隆大の家に着く頃にはお昼になっていそうだった。どうせなら彼の好物でも買っていこうか。尚登はそんな算段をつける。

 ふと視線をやれば。ブランコが揺れている。電話に夢中で気づかなかったのだろう、男の子がひとりで乗っていた。

 その様子を見て、尚登は一瞬だけ過去に触れる。隆大ともよくブランコに乗って遊んだ。そのまま思い出に浸ろうとしていると、ブランコを見ている視線が自分以外にもあることに気づいた。

 その視線の元は、まだ公園には入っていなかった。言うなれば遠くから男の子を見つめている感じ。そしてその元は。

 じゅるり。

 舌なめずりをした。音もなく公園に入ってくると、それの異様さが殊更に目立った。

 背丈は尚登くらいなのに、顔が異常に大きかった。それでいて目鼻口といった各パーツは中央に集中している。あからさまにアンバランスだった。それでいて首より下は一般的な人間の服装を真似ているので、違和感が甚だしい。

 人間を模した異形。化け物。呼び方はたくさんあった。

 男の子はブランコに夢中になっていて、尚登はもちろん、悪食にも気づいていない。

 異形の悪食がゆっくりとブランコに近づいていく。

 尚登はベンチの傍で立っていた。男の子からもっとも離れた場所にいる。悪食の方が男の子に近づいていた。おそらく食べるために男の子に近づいている。その証拠に異形の悪食は涎を垂らしながら歩いている。

 なんてことはない。倒せばいい。男の子を助ければいい。普段なら容易に動き出すはずの尚登なのに、どうしてかためらってしまっている。

 

 自分でも意外だった。男の子を助けようか迷っている。

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差別が蔓延る世界の温かさについて 中田ろじ @R-nakata

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