赤上尚登という魔法使いの場合 2

 魔法使いを差別する人間はなにも大林のような未成年だけの話ではない。本来なら成熟しているべき心を持っているはずの大人の方が、その色は顕著になる場合が大きかった。

「それじゃあ教科書――」

 豊島先生は誰もが知る魔法使い嫌いだった。本人が常にそう公言しているし、尚登以外の魔法使いの生徒からも注意するように度々言われていた。

 教師陣は生徒たちが人間なのか魔法使いなのかを知っている。教育的配慮のための必要なケースと見なされている。代わりに生徒たちには差別根絶という目標のためにそれらの区別を知らされていない。

 おそらく豊島先生が大林に、尚登が魔法使いであることを告げたのだろう。豊島は現国の担当だ。尚登は元々読書が好きなので、自然とこの教科の成績は良かった。もしかしたら、それに目をつけられたのかもしれない。

 あってはいけないことだ。ましてや考えてもいけないことだ。教師の側が差別を煽るなんて、断固としてあってはならない。それでも、とつい悪い考えを抱いてしまう。そしてこの悪い考えを取り除く方法はいまのところない。

 授業は通常通り進んだ。違和感があるとしたら教室にいる尚登が欠席扱いされているということ。

 自分は透明人間なのだ。実感などしたくないけれど、これで救いの手を差し伸べてくれる人がいないことは確定した。

 このまま透明人間が続いて、欠席ばかりを取られたらどうなるのだろう。まさか試験まで受けることができないのだろうか。嫌な想像はどんどんと膨らんでいくばかりだった。

「魔法使いは不正をし放題だ。楽をして生きている。まったく、クソみたいな種族だよ」

 豊島が吐き捨てるように言う。教室のクスクス笑い。

「おっと。こんな話は、魔法使いがいたらできないな。危ない危ない」

 厭味ったらしく尚登に向かって笑いかけることも忘れない。豊島先生はなんとも最悪な教師のようだった。

「それにしても。人間と魔法使いの入学を許す混合制ってのは何とかならんのかね。どう考えたって魔法使いが有利じゃないか。有利というか、卑怯じゃないか。自分の力では何もできないくせに。ぽんぽん超常現象を起こしやがって。まったく迷惑以外の何物でもない」

 人間主義の人間は、魔法という力そのものを認めたくない。だから妖術使いとか超常現象を起こすなどといった表現を使う。そうすることで、魔法使いが人間からかけ離れた存在であることを暗に導こうとしている。言うまでもなく魔法使いだって人間なのに。

「言ってみれば魔法使いってのは化け物だからな。化け物はせいぜい『掃除』をしていればそれでいいんだよ。同じ仲間同士喰いあえばいいんだ」

 それは聞き捨てならない言葉だった。

「……なんだよ。威勢のいい目つきじゃないか」

 無意識だったのかもしれない。尚登は豊島を睨みつけていた。豊島が若干でも怯えた目をしたのが分かった。

「そもそもな。魔法使いが人間と同じ社会生活が送れると思っている方が間違いなんだ。おとなしく悪食あくじき掃除をしてろってんだよ」

「……悪食から人間を守っているのが。魔法使いだとは思わないんですか」

 尚登の声は震えていた。でもそれは怒りのせいだった。

 現代に巣食う闇。それは比喩なんかではなく実際に存在する化け物のことを指す。『悪食』。これこそまさに化け物という存在だった。人間を喰うことを生きがいにしている異形。そしてそれに立ち向かっているのが魔法使いだった。

「魔法使いは。命がけで人間を守っている。違いますか」

「生意気な言い分だな。じゃあいつ俺たちがお前らに頼んだんだよ。守ってくださいって。そうやって驕った態度をとるのが嫌なんだ」

 そんなわけがなかった。魔法使いたちは、自分が喰われる危険性だって充分分かっている。それでも、治安のために人間の笑顔を見るために、日夜悪食退治に向かっている。命を落とすことだって当然ある。現に隆大の兄は悪食退治で命を落としてしまった。

 そんな尊敬すべき兄を持つ魔法使いを。こいつらはいじめの対象にしている。

 尚登は周囲に視線を向ける。鋭い目つきは変わらない。自分でも、何かをしでかしてしまいそうで怖かった。

「これ以上。魔法使いを汚すようなことを言ったら……」

 教室内に緊張が走る。人間の生徒たちは狼狽えだす。例の事件の時のような殺戮が行われるのではないか。誰もが当時の記憶を思い起こす。風化されることのない、魔法使いによる殺人事件が人間たちの脳裏に駆け巡る。

「おい。ここで魔法を使ったら。ただ、ただじゃおかないからな。退学どころか死刑だぞ」

「……だったらどうした……」

 尚登は拳を握る。それはもっとも基本的な攻撃魔法の動作の準備。拳を握った腕を上にあげる。そのまま振り下ろせば、何かが変わる。攻撃魔法が放たれるから。

 尚登の周りの生徒がこぞって彼から離れようと腰を浮かせる。

 ここで魔法を使ったら。もちろん報道されるだろう。そうしたらまた、魔法使いのイメージが下がってしまう。

 でも。こいつらは魔法使いをバカにしている。断固とした差別意識を持っている。そんな奴らを改心させるのは。もはや力づくしかないのではないか?

「直人君!」

 小さな声音だったけれどはっきりと呼ばれたのが分かった。その声は隣の席の安藤飛鳥のものだった。

 飛鳥と目が合う。彼女はゆっくりと、だけれど確かに、首を横に振る。

「……くっ」

 支配されつつある負の感情。それを押しとどめようとする理性。その狭間に揺れながら、尚登は己の拳を自分の胸に叩き込んだ。

 

 

 

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