最終話

   4


 ようやくゆっくりできるかと思ったのも束の間だった。俺は由乃の侵入を阻止すべくダッシュで窓を閉めようとするが、由乃はすでに縁側から四つん這いで部屋に入ってきていた。

「おまえさ……玄関って知ってる?」

「えーいつもこっちから入ってるじゃん」

「不法侵入で訴えるぞ」

「おばさんからは許可もらってるもん」

 おばさんとは俺の母親のことだろう。そう言われると弱い。

 由乃とその一家とは隣同士で、おまけに俺と由乃が同い年なため、家族ぐるみで親しい間柄だった。そのため俺の母親は由乃を娘同然に認識しているので、家に出入りしていても全くお構いなしだった。

「で? 何しに来たんだよ」

「爽果ちゃんがさっき来てさ、お兄がすごいかわいい子連れてきてるから、変な気起こさないか見にいってあげてって言うから」

「うちの姉妹は揃いも揃って……」俺を何だと思っているのか。

「で、そのかわいい子ってどこ……って、え? 小内さん?」

 由乃が這ったまま部屋を見回して、小内さんを見つける。どうしていいかわからなそうな小内さんがぺこ、と頭を下げる。

「す……スクープだ!」

 由乃は今度は膝立ちになって、スマホで俺と小内さんを撮影し始めた。

「撮るな撮るな、消せ消せ、スクープでもなんでもないからっ」

「夜倉さん……?」小内さんがぽつりと言うので、由乃のスマホを取り合っていた俺達は手を止めた。「……だよね、バスケ部の」

「そうそう、よくご存知で」由乃が居住まいを正す。「クラス違うから話したことはなかったよね」

「うん、でも私のことは知ってたんだ」

「小内さんはきれいだからみんな知ってるよ」

「夜倉さんもみんな知ってると思う」

「どこにでもいるしな、こいつ」

「なんだってー?」

「友達多いからっていう良い意味でだよ」

「大事な部分抜かすなー。で、なんで小内さんがこんなとこに?」

「先生に頼まれてクラス紹介の動画作ってるの。で、パソコン使うためにここに」

「あーそういえばうちのクラスもそんなことやってたような。なんかスマホのアプリ使ってさくっと作ってたよー」

「へえ、スマホで十分なんだ」

「なんか自動でいい感じに編集してくれるアプリがあってね、私もおもしろそうで使ってみたんだけどさ」

 これこれ、と由乃が小内さんの横にすすすと滑っていってスマホを見せる。こんな感じでーと実演してみせる由乃に、うんうんと小内さんが顔を寄せる。

 由乃め、瞬く間に場に馴染みやがった……仕事に協力しているという体だから引き剥がすこともできない。

「……まあいいか」

 どのみち今日この場で、小内さんとの関係が進むことをしようだなんて気はなかったし、たぶんそんなことは起こり得なかった。俺達はただの学級委員同士という間柄でしかなかったから。今はまだ。であれば、まずはこうした共同作業を通して、少しずつ仲を深めていければそれでいいだろう。

 だから、そう……仕事をしよう。


 諦めの境地に至った俺はパソコンの前に戻った。というかもうパソコンは使わないのか……まあこっちはこっちで一作作っておいてもいいだろう。

 俺は黙々と作業を始めた。……始めたかったが、なんだか嫌な予感というか、音がしてきた。ドコドコドコドコドドドドドッと——。

 そしてバンッとまたドアが開いた。

「さく兄! 捕まってない!?」

「もう捕まってるに一票」

 案の定、爽果とあま姉だった。

「だからいきなり入ってくるなっての!」

 仕事すら捗らねえよ!

「あ、爽果ちゃんにあま姉だー」由乃が手を振る。

「由乃ちゃんも来てたんだ」爽果が手を振りかえす。

「ここは学食かなんかか? 公共の場じゃないぞ」

「なに、修羅場?」あま姉が俺達三人を一瞥して言う。「朔斗のくせに生意気」

「由乃ちゃん借りてたマンガ返すよ、ありがと!」

「はーい。どうだった?」

「おもしろかった! 特にこの辺が熱くて」

「へー私も借りていい?」

「だからよそでやれよそで!」

 テーブルの反対側でマンガ談義をし始めた由乃と爽果とあま姉に注意するが、これまで聞いた試しがないように、俺の声は今回も届かない。

 はあ、と大きく溜息を吐いたら、くす、と横で笑う声があった。見ると小内さんが目を細めていた。

「楽しい家だね」

「うるせー最悪な家って言っていいから……」

 プライバシーのかけらもない家なのは前からだったが……好きな女子と二人きりになれないという致命的な実害があったとは。俺は将来できるだけ早く家を出ていくことを改めて心に誓った。


 そこで俺のスマホが鳴った。見ると父親から家族全員に向けてのメッセージが届いていた。

『これから帰ります。今日はお父さんもお母さんも早いから、みんなでごはん食べよう。いろいろ買っていくので要望あればどうぞ』

「え、もう帰ってくんの?」

「みんなでごはんだって」と同様にスマホを見ていたあま姉が言う。「私ケンタッキーで」

「私ケーキ! 由乃ちゃんは?」

「え、私もいいの?」

「みんなでごはん食べようって言うから。そうだ、みら姉も食べてかない?」

「私も?」小内さんが戸惑う。

「おい由乃、みんなってのは家族でってことだろ。小内さんを巻き込むな。困ってるだろ」

「みら姉って何?」とあま姉。

「美蘭さんだからみら姉。お姉ちゃんになってほしくて」

「ふーん、じゃあ私の妹ってわけか」

「あま姉……頼むから話をややこしくしないでくれ」

「ほら家族になったからいいじゃん」爽果が勝ち誇る。「あ、由乃ちゃんは元々家族だからもちろんいいよ!」

「わーい」

 いつものようにがやがやと、俺抜きで話が進む光景を前に、俺はなす術もない。

「いいの?」と小内さんが小声で言う。

「いや、小内さんが嫌じゃなければそれは別にいいんだけど……」

 俺は他のことがよくなくて、気分が落ち込んでしまう。

 ……終わった。完全に。両親も帰ってくるとなれば、小内さんと二人きりになれる可能性はゼロだ。始まるはずだった俺の青春ラブコメは夢に終わった。

 ていうか——こんな実家暮らしでラブコメなんかできるか!

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実家暮らしでラブコメなんかできるか! 灰音憲二 @heinekenji

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