ドゥームズデイ・スーサイド

山盛りカツ丼

生き残る者

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終末まであと七日になりました」と言う。テレビのキャスターは淡々と原稿を読み上げている。僕は、毎日のように繰り返されるそれを、飽き飽きとして見ていた。本当はそんなことなんて、起きるはずもないって思っている。敬虔深い妻は別だけど。


 増えすぎた人類は、人新世を謳歌していた。世界の滅びを知らせる、ドゥームズデイ・クロック(世界終末時計)は残り1分を切っていた。しかし所詮は叡智を放棄した人類であるから、そんなこけおどしは通用せず、相変わらず遊び呆けている。


 ところがある日、メディアが一斉に“世界同時心中”について、話題にし始めた。おおよそ、一ヶ月半前だろうか。かつて、神とは人類に対する裁判権をもつ統治者、として認識されていた。“世界同時心中”ではその神が顕現し、人間を滅ぼすというのだ。連日の報道で、世紀末が来るのに気づき始めたらしく、人々は集団自殺や大量殺人、乱交パーティーを繰り返すようになった。同時に、ニュースを騒がせていた遠い国の紛争も終わってしまった。こうして世界は暴力と愛が同衾しつつあった。妻の言っていたとおり、神は存在しているのかもしれない。見えざる手が、僕らを支配している。


「世界の終わりまであと七日だってよ」

「“世界同時心中”もあと少しで起きるのね」

「さすがに都市伝説だろうけど……怖いか?」

「いいえ、この世界のシステムだもの」


 と、彼女が言い終えた刹那。破裂音と同時に、その頭部から潰れたトマトが顕現し、新鮮な獣の臭いがリビングを満たした。僕は、咄嗟に妻の名前を呼んだ。


「まり」


 ──これは、機構(システム)のバグだ。人類が死に絶えるという、“世界同時心中“の機構のバグで、まりが無惨な物体へと変わり果てた。この異常事態で、不可思議な機構の実存を知るなんて、皮肉な話だ。


「まり」


 神は残酷にも、助けることも補償もしてくれない。僕は妻であるまりを愛していた。そして冷静になって、深呼吸をする。まず布巾を探した。そして血だらけになった部屋を水拭きする最中、愛おしい妻の脳漿を拾い、朱に染まった布巾の上に置いていく。


 警察に言えば、僕は殺人犯として捕まる。それもいいのかもしれないが、バグの影響によって無実の罪で捕まるのは、腑に落ちない。なによりも、この凄惨な状態を作り出した機構に叛逆したい。でも、潰れたトマトになるのは御免だった。まりは、こんな僕を勝手だと思うだろうか? きっと彼女なら、神に従いなさいと言うのだろう。


「おはようございます。世界の終末まであと六日になりました」


 ニュースキャスターは、顔色ひとつ変えずに、淡々と原稿を読み上げる。今日もまた一日が始まってしまった。僕の妻が潰れたトマトになったのに、世界はこんなにも平穏で……残酷だ。朝飯のカロリーメイトを口に放り込むと、僕は出社の準備をした。


 都心部の雑踏は報道番組の影響で、誰も彼もがおとなしい。群衆は、もの言えぬゾンビのような、虚な瞳をしている。烏の羽みたいなスーツを羽織るゾンビたち。そのうちの僕もまた、会社へ向かう。


 ギレアドは僕が3年前に入社した会社だ。都心部にあるビル街の、ガラス窓の密林に太陽の白い光が反射していた。そのなかでいっそう眩くて白い建物──繭を縦にしたような形のギレアドは、金網のごとく金属で覆われているコンクリートの塊だ。


 僕がその口から中に入ると、誰一人としていなかった。エレベーターは動いた。馴染みの階で降りて、僕はオフィスに入る。


 そこには、そこまで好きではない上司と少し年老いた女の裸の死体が並んでいた。その日、眠りにつくまで、ずっと僕の目はさえていた。


 日々が順調に過ぎていくなか、僕は復讐のアイデアを練られずにいた。そして、世界の賞味期限はあと三日となる。


「おはようございます。世界の終末まであと三日になりました」


 その日、僕は神の御使をみた。部屋でSNSを覗いていたら、急に調子のいい子供の声が響いた。すぐ後に、金髪碧眼の美しい女性の顔が、僕の眼前に現れたのだ。


「パンパカパーン! おめでとうございます! あなたはシステムバグにより発生した損害の“補償対象“に選ばれました。あなたは“世界同時心中”で死ぬこともありません。このイベントを生き残る赤子たちを導く存在として生きるのです!」


 その金髪碧眼の美しい顔には、4枚ほど鳥の羽がついている。体がない、車輪のような姿は、異形そのものだ。喋る異形は、僕が“世界同時心中”を生き残る、としきりに繰り返し、機構のネタばらしをしている。すっかり冷めた僕は、諦観の念でぼそぼそと呟いた。


「僕はダビデでも、ソロモンでもない。機構の隙をついた生き残りがどうなろうと、知ったこっちゃない」


「ではレハブアムでしょうか? その場合、あなたが導くことになる赤子たちは、皆死ぬでしょう。その責任を負えますか?」


 逆撫でするような、甲高い子供の声で御使は続ける。


 僕は、責任なんて負えない、と言いかけた。しかし、見も知らぬ赤子が放置され、餓死していく様は見たくない。この二律背反の神話に、苦しめられた人は多かろう。


「チュートリアルも大体が終わったから、帰りますね! 心の準備だけは忘れないようにね!」


 言いたい放題の後に、御使の姿は靄のようにかすれていく。そして、疲れきった僕は、泥のように眠り落ちた。


 翌日も、疲れは取れなかった。そしてまた眠り始め、夜は明ける。東雲が到来するのだ。


「おはようございます。世界の終末まであと一日になりました」


 僕以外の全ての人が裸になり、抱き合い、接吻を繰り返す。皆が皆を愛していた。先日まで殺し合いをしていた人々もまた、愛し合っている。そして、ようやくヒトの栄えた人新世が終わる。仄暗い部屋で、僕はずっと寝転がっていた。


 24:00:00


 ぱん、と遠雷のごとく破裂音が聞こえてくる。レム睡眠のなかにいた僕は、覚醒したのちに、再び眠りに落ちた。きっと、僕は悪くない。


 06:30:00


 目が覚めると、世界同時心中は終わっていた、と思う。窓から外を見やると、世界は、空を除いて、赤そのものになっていた。道路を這う赤黒い液体が、青天の中心にある白に照らされ、光を反射している。本当に地獄と化した世界なのか、と確かめるために、僕は出かけることにした。自衛として、ナイフを懐に忍ばせながら。


 軽ワゴンを走らせると、おびただしい赤が道路を覆い尽くしていた。ヒトのいた痕跡が、その赤に宿っているが、僕には汚物としか思えなかった。なぜなら、そこにまりはいないからだ。うんざりした僕は、赤以外の色を見たくなったので、海辺に向かうと、浅瀬が赤黒く染まっていた。絶望のあまり僕は軽ワゴンから降り、首を垂れた。


 血だらけになった海の浅瀬に、僕はいた。さざ波が寄せては返す、海岸の赤い砂を踏みしめ、まごう事なく大地に立っている。世界を真赤が包んでいて、血生臭さと死の臭いが鼻を刺す。青天に光り輝く白が、大地を照らしている。その刺激の強さに、僕は干からびそうになった。


 すると、白は荘厳な声で僕に語りかけた。


「傾聴せよ。わたしはアルファでありオメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。傾聴せよ。あなたはこの黙示を生き残り、わたしの言葉を書き残す資格を得た」


「何を書き残せ、というのだ」

「惨禍、そして悦びを起こさないための、神話を」


 僕は握りしめたナイフを、体のラインに沿って首筋まで伝わせる。切先が首を引き裂かんと、待ち構えている。堕天使も、このような気持ちだったのだろうか。それをみて、眩しい白は厳格な声で、叱りつけるように僕をなだめる。


「ほう、自死をするつもりか。その刃が柔肌をいとも簡単に切り裂き、痛みがあなたを襲う。なればあなたのたましいは、地獄へ落ちるだろう。ウェルギリウスも、君を導いてはくれない」


 生き残りたい。でも地獄に落ちてしまいたい。


 いや、このまま犬のように尻尾を巻くか?

 この機構を壊すべきではないのか?

 僕にシステムそのものを壊せるのか?


 白は無常にも僕を見下ろしている。その後光が熱くて、血が煮えたぎりそうだ。


 生き残りたい。死にたくない。


 ふと見ると、ナイフがさざ波にさらわれている。それは白のきらめきを携えて、どこかへ行こうとしている。慚愧の念が、堪えきれずに出てきてしまう。これから僕は、悠久のときを生きるのだろう。まりは、それを望んでいるに違いない。


 ──遠くから、赤ん坊の鳴き声が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドゥームズデイ・スーサイド 山盛りカツ丼 @Yamamori_Kathudon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画