発症『開花寸前』(前編)

 

「チナっ……!?」

 

 その呟きを皮切りに、アリマは血相を変えて走り出した。

 トキノコと顔を見合わせ、彼の後を追いかけると、廊下の突き当たりにある「104号」と書かれた扉の前に行き着く。

 

「チナリどうした!? 入るからな!」 

 

 乱雑に開かれた扉の先には、二人分の影があった。

 一人はもがき苦しみ、もう一人はその者に寄り添っている光景。

 

 ――しかし到着した三人は、ほぼ同時に、ある異変に気がついた。

 

 それは、気絶していた少女が目覚めたことを指すわけでも。

 さらに、痛い、痛い、とベッドの上で暴れてる状況でもない。

 

 ただ一点。

 少女の首元から這い出て、自由に蠢く、赤黒い蔦。

 

 その意味を正しく理解し、即座に反応出来たのは、二人だけだった。


 

 ***

 

 

 ――数時間前。

 

 トキちゃんが一人の女の子を抱え、この傘ザクラへやってきた。

 ヨミトさんの指示で、ここに運び込むよう言われたからだ。

 見ればどこぞの制服を身につけているから、中高生であるのは間違いないだろう。

 しかし、所々木の枝や葉などがついてるし、露出した肌にも細かい擦り傷が見られる。

 この格好で山中を走り回っていたというのは本当らしい。

 

 聞くところによると、何かから逃げている最中で崖から落ちそうになったのを、救われたそうだ。

 助けた少年……確かユメビシと言ったっけ。

 彼が代わりに崖下へ落ちてしまったらしく、今ヨミトさんが迎えに行ってる。

 監視役のユキタケが言うには、どうやら無事なのだとか。

 

 JK(仮)をトキちゃんから受け取るが、気を失ってるようで全体的にぐったりとしていた。


「ユメビシが落ちたのを見てから、ずっと意識がないの。余程ショックだったみたい」 

「……トキちゃんも心配なんでしょ? こっちは大丈夫だから、ユキタケの所行っておいで」

「ごめんね、二人とも。私も後から顔出すね!」


 そう言い残し、俺らの共有スペース兼、居間の一角を占居している男の元へ駆けて行った。


「アリマ、早く客室に運ぶよ」  


 チナリに急かされながら、たどり着いた先は104号室。

 6部屋ある客室の手前三室と奥三室で、男女を分けているためである。

 とは言っても、室内の作りはどこも同じで、一人がけの椅子とテーブル、それにベッドが置いてあるのみ。

 ベッドの上に少女を横たわらせると、廊下を挟んだ向かいの給湯室から、洗面器にお湯を汲んできたチナリが入ってくる。

 

「後はやっておくわよ。と言うか、男は出ていって」 

「へいへい。じゃあ夕飯の支度してくるけど、一人で平気か? なにかあったら、すぐ呼べな」

「もう、大丈夫よ。心配性なんだから……」 


 呆れた表情で返されてしまう。

 確かに誰かを匿ったり、保護したりなんかは、傘ザクラじゃ珍しくない。

 加えてチナリは応急処置にも対応できる、うちの医療班とも言える存在だ。

 

 ……しかし、なんだろうな? この胸騒ぎは。

 ドアを閉める間際まで、チナリの長い髪に隠れた、その細い背中を脳裏に焼き付ける自分がいた。

 あまりの死亡フラグっぷりに、流石に笑えないな、と自身の頭を小突く。


「考えすぎ、か」  


 一呼吸置いて、台所へ向かった。

 今日は肉じゃがにしようか、などと呑気に考えながら。

 

 

 ***



「離れろチナリ!」 

   

 悪い予感ほど当たってしまうものだ。

 そう自嘲しながらも、真っ先に体が動いたのは、アリマだった。

 

 少女の首を苗床とし、急激に成長を遂げる忌まわしき寄生妖植物。

 残念ながら、チナリにそれを視る手段はない。

 ……故に、自分がいかに危険な状態にあるか、知りようもないのだ。

 

 毒々しい色味をした蔦は、寄生主を守るため、外敵を排除しようと躍起になっている。


「こっちへ! その子は……っ」  

「…………え、アリ、マ?」


 チナリの白い頬に、絹のように艶やかな髪に、小さな赤い雫が飛ぶ。

 

 それは彼女を咄嗟に引き寄せ、容赦ない蔦の攻撃から身を挺して庇った、彼の勲章だった。

 アリマの左頬から、絶え間なく血が滴り落ちる。

 

「な、なんで切られてるのよ……! あと重いわよ!!」

「あのな! 彼女、華災獣かさいじゅうになりかけてるの! お前、危なかったの!」   

「ちょっと、喧嘩してる場合じゃないでしょ! ……二人とも戻ってこれそう?」

「……あーいや、無理そうトキちゃん! 隙がないっっって、怖いわ! ペチペチするなっ!」

 

 そう叫びながらチナリを庇うアリマの周囲には、シャボン玉みたいな膜が覆い、蔦を弾いていた。

 両手で掲げられた麺つゆボトルを中心とし、結界が張られているのだ。


「絵面はアレだけど、アリマの集中力が続く限り、私達は大丈夫」  

「上出来だよ、もう少し耐えて! あとは……任せて」    

 

 トキノコから、普段の明るさはなりを潜めた、酷く冷たい声が発せられる。

 その手にはどこから取り出したのか、剥き出しの脇差が握られており、その殺気混じりの気迫を前に、ようやくユメビシは我に返った。


「……待ってくれ! トキノコ、なにを」

「ユメビシ。悲しいけど、彼女とはだよ」


 トキノコは前を見据えたまま、素っ気なく答える。

 その感情が乏しい態度を前に、これから起こるであろう血生臭い展開が頭をよぎった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る