トワイライトにもう一度
夏澤波留海
トワイライト
コンクリートブロックの塀が永遠と並んでいる。電線の影ははっきりとその影を地面に落として、アスファルトを切り分けている。
高校生一年生のころ、会いたい人がいた。
会いたい、というのはいつもそばにいたいということだ。隣にいてその存在を感じていたいということだ。
その人のそばにいるときでも、私の「会いたい気持ち」が収まることはなかった。会ったからには別れなくてはいけなくて、それが悲しかったからかもしれない。
その人も、いつか、私に会いたいと言った。
私もずっと会いたいとは思っていたのだけれど、どうにもその人が信じられなくて自分から連絡をすることがなかった。そのぶん、たまに会えたときにうれしいし、かなしかった。
いつもその人はクラスの明るい子たちと話していた。
高校三年生の春、その人は死んだ。
道路をふらふら歩いていたその人は警報音のなっている踏切の中に平然と入っていったらしい。その人を助けようとした四十代のサラリーマンもその人と一緒に電車に吹き飛ばされた。あたりに破片が散らばった。皿でもないのに、破片と呼ぶのは変な気もするけれど、確かに破片だった。駅員だか誰だか知らないが、集めるのに大変苦労したらしい。
あるサイトにいけば踏切の周りにいた人たちが撮影した動画を見ることができる。ブルーシートの隙間の先をどうにかして撮ってやろうと、スマホのカメラが上下左右に動いていた。少しでも残酷なものが映っている動画はすべて削除された。衝突の瞬間を映したものは特に厳しく検閲された。
私はその人が死んだあとも、知らないでテスト勉強をしていた。
担任がいつも以上に顔に皺を寄せて教室に入ってきて、「皆さんに悲しいお知らせがあります」と嘘みたいな話をした。右手に何を持っているのかと思ったら、変な形の花瓶に入ったユリの花だった。
嘘みたいな話の後、嘘みたいにその人の席に花瓶が置かれた。ごとっ。やけに音が大きかった。
クラスの女子で、明るい子たちはみんな泣いていた。呼吸のタイミングがわからなくなるほど泣いていて、絶えずひーっひーっ、と教室の真ん中の方から聞こえた。数学のB問題の上で私のシャーペンを持つ手は固まってしまった。一、二時間目は自習になった。私の右手は固まったままだった。
六時間目の体育の時にはクラスメイト達はキャーキャー言いながら縄跳びをしていた。「俺、はやぶさできるぜ!」と言って男子が盛大に転んで、どっと笑いが起きた。
私は右手が動かないままで、さらには小刻みに震え始めていた。体育教師に「大丈夫?保健室行く?」と訊かれて、私は「はい」っと言った。全然そんなつもりはなかったのに声が震えた。声が震えたのが恥ずかしくて顔が赤くなってしまう前に走って保健室に行った。
ベッドに横になっていても私の腕は垂直にベッドにそびえたっていた。泣こうとしてみたけれど、泣くために必要な思い出が何も思いつかなかった。
家のベッドでユリの花ことばを調べた。脈絡のないくだらないものばかりだった。ふざけるな、口に出したとき。
「契約しましょーよ」聞こえた。
部屋のドアは閉まっていた。当然窓も閉まっている。球に冷や汗が噴き出してきた。
「ねえ、契約しましょうよ」
頭がおかしくなってしまったのかと思った。どうにも瞼が空きづらい。みぞおちのあたりが痛む。
「契約。するんですか。しないんですか」
「し、します!」反射的に答えていた。
階下から母が晩御飯だから降りてこいと言っているのが聞こえた。
「じゃあ、その両腕をください」
また、冷や汗が出た。背中がびっしょり濡れている。両腕…。
「両腕、くれますね」
「う…はい!」自分の声ではないみたいだった。
夕方の道に立っていた。私の前に影が長く伸びている。影がコンパスみたいになっていた。両方の腕がないせいだった。制服の袖が干している洗濯物みたいに風で揺れた。そのまま、わけがわからなくてぼーっと影を眺めていた。なぜだかわからないけれど、袖が風に揺れるたびに今自分が見ているものが夢ではないという気持ちが強く、濃くなっていった。
顔を上げるとヨシノがY字路に立ってこっちを見ていた。ヨシノの家は左、私の家は右。私たちはいつもここで別れていた。私の口は呼吸のためにうっすらと開き続けていて、呼吸の音がやけに大きく聞こえた。
ヨシノは煙のような人で、クラスの女子の間では明るくけらけら笑っていたけれど、それが着ぐるみであることを私は知っていた。分厚い布の中から小さい穴を通して外を見、必死に動いているのを知っていた。帰り道に自転車を押しながらため息をつくのを知っていた。
「死なないでよね」私の知らぬ間に言葉が飛び出した。
「え、なに」
「死なないでよ」
「何、急に?」
「死なないって約束してください」
「えー?まあ、いいよ。死なない。死にません」
「ほんと?」
「ほんとだと思ってる」
「…わかった」
袖がたなびいて、バラバラ鳴った。
ドアをたたく音がして目が覚めた。右手が自然に腹の上に置いたスマホを掴んだ。画面は、ユリの花ことばのままだった。
LINEで、会いたいです、と送った。不気味なくらい青い背景に緑色の吹き出しがぽつん、と浮かんだ。もう一度、会いたい。もう一度、会いたい。もう一度、会いたい。会いたい会いたい会いたい。何度も送った。
「ごはんできたよ!」
私は、積み重なっていく緑色の吹き出しに、いつかは既読がつくことを願って、何度も、何度も送り続けた。
その日の夕飯はビーフシチューだった。
トワイライトにもう一度 夏澤波留海 @namiiiiiiiiii
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