1-1 告白は失敗に終わりました
「告(こく)るにしても相手は選べな。よりにもよって姉ちゃんとは。いい感性してるよ」
教材置き場の埃っぽい教室で僕――新鷺周(わかさぎあまね)は友人の真桑洋佑と昼食を取っていた。洋佑は閉め切った教室のカーテンの裾をめくり外をのぞいた。パッと強い光に視界を奪われ、僕は目を細める。慣れた頃に目に映ったのは校庭と国道八号線とその向こう側でキラキラと輝く日本海の白波だった。
日差しが薄暗い教室を切り取り、室内の様子が浮かび上がる。
「閉めてよ――。見つかるだろ。やっと見つけたオアシスを」
僕が慌てて見とがめたのは浮遊する埃の粒子がもともとない食欲をさらに減退させることだけではない。第一は彼女に見つかることを恐れたからだ。
洋佑はやれやれと肩をすくめてカーテンを下ろす。
薄暗い室内へのなかで僕はほっと安堵する。
「重傷だな。ま、姉ちゃんを好きになるくらいだ。もともと重傷か」
僕は振られた。
見事に振られた。
振られたことは辛いが、それ以上に辛いことが待っているとは思いもしなかった。
僕が好きになった相手――似雛結(にびなむすぶ)さんは僕が告白したことを吹聴して学校を回っているのだ。僕が告白した状況と合わせて「ストーカー気質の新鷺君」と枕詞をつけて僕を呼び、似雛さんが告白を断ったことをまるで自分の優秀さのように言う。授業間の中休みや昼休みや放課後になると僕を探し出しては周囲に見世物のように僕を見せつける。
そんなことがここ一週間ばかり続いている。
その辛さはいかばかりか。僕は休みになると彼女から逃げるように場所を転々とし、ようやく見つけたのがこの教材置き場だった。それもあとどれだけ保つか。
今にして思えばもっと彼女のことを知るべきだった。
より彼女のことを知ったところで彼女への好きという感情は変わらなかったろう、変わったとすれば告白の仕方か。剥き出しの感情のまま吶喊するような告白はしなかっただろう。場所と時間を決め、どんな手段で彼女を誘い、どんな言葉で告白するか、入念に段取りを組んだに違いない。要塞を構築して被害を最小限にした上で勝負に出たはずだ。それが出来なかったのは僕にその余裕がなかったのも一因、好きという感情がほかの情報を遮断してしまったのも一因。
「恋は盲目っていうけど、周の場合は難聴も加えないとな」
似雛結さんがどんな人物であるか。
似雛結さんを語るには妹の似雛紡(にびなつむぐ)さんをあわせて語る必要がある。
似雛姉妹は恵貳糸神社の双子姉妹である。縁結びで有名な恵貳糸神社。その御利益をもたらすのは妹の紡さんの託宣に負っているところが大きい。彼女が神様に巫女神楽を奉納することで託宣を受け、それに従うと良縁が舞い込むともっぱらの評判なのだ。託宣を文字通り託宣と受け取る者も、彼女の観察眼から来る助言と受け取る者も彼女の口から出る言葉にはそれだけの力があることを疑う者はいない。人を惹きつてやまない類い希な器量の良さ。いつも笑顔が絶えず包み込むような落ち着いた温かさ。誰がいつどんなときどんな感情をぶつけても分け隔てなく優しく接し、人を思いやる配慮に欠かない性格がそうおもわせるのだろう。
そんな彼女は地元住民から縁結びの女神とか縁巫女と崇められる。彼女見たさに町外からの参拝者も多い。隣市の上越市の地元ケーブル局でたびたび取り上げられる。東京の大手芸能事務所からスカウトされている噂もあるらしい。
同級生から似雛さんと呼ばれ、町民から似雛のお嬢さんとか呼ばれたりする場合は似雛紡さんを指す。逆に似雛結さんのことを指す言葉としては似雛の姉や単に姉とか、上の娘とか、まるでそれじゃないほうの姉妹の扱いで呼ばれる。
僕が好きになったのはそれじゃないほうの似雛さん――似雛結さんなのだ。
似雛紡さんが陽なら似雛結さんは陰として対比される。
二人は双子とは思えないほどに体格差があった。妹の紡さんは年頃の平均的体型なのに姉の似雛さんは一回り小さい。妹の紡さんは腰まで届く茶味がかった髪を後頭部で一つにまとめ、ほつれ髪が頬に垂れた様子はあえて隙を作っているようでわざとらしくない。一方、姉の似雛さんは黒光りしたおかっぱ頭。切りそろえた前髪が目元を覆い隠している。風になびき、前髪がめくれた奥にはフード付きのサングラスという奇抜さ。妹の紡さんが笑えば口が綺麗な三日月を描き、姉の似雛さんが笑えば左の口角だけが上がり見事な嘲笑を描く。
これらは事実だから頷くしかない。頷くしかないが僕の好きという感情をいささかも傷つけない。だが、ひどいものになると妹が歩くと一陣の微風が花の香りを伴って通り過ぎ、姉が歩くとヘドロが臭気を振りまくようだと言う輩もいるという。また彼女の身長が家族の中でもとりわけ小さいのは不義の子だからとか捨て子だからとか陰口をたたく者もいるらしい。
多分に邪推と偏見にまみれている。
それだけ妹が好かれ、姉が嫌われている。
姉の嫌われようはその奇抜な見た目だけではなく、相当な皮肉屋であるからだ。
その皮肉屋で嫌われ者の似雛さんに告白したのが僕だというのがまたいけない。
「自分のことまったくわかってないよな。女子からモテていたんだぜ。都会っ子らしい垢抜けた印象もあるし、細身の筋肉質で爽やかイケメン風――風だ。その上野球部でエースで四番だろ。で、あの活躍。町の英雄だ。そんなバフ乗り乗り状態のおまえが似雛の姉ちゃんに告白するもんだから女どもはご立腹だぜ。ま、一部男連中は拍手喝采だがな」
洋佑は上機嫌で笑う。
僕はモテていた――らしい。前の学校ではモテたことがなかったから気にしなかった。
洋佑が言うには「里芋の中に混じった男爵芋」が僕なのだという。
その僕が皮肉屋で嫌われ者の似雛さんに告白をした。
これが何を意味するのか。
女社会――いや、男社会、老いも若きも人間社会まるごと言えることだが――マウンティングなるものが蔓延っている。生まれてから死ぬまでマウンティングの連続である。年収や学歴、出身地、勤めている会社、持っているブランド品、付き合いのある有名人や彼氏彼女。
そう、誰と誰が付き合っているかは生徒の間では最大の関心事である。
別の言い方をすれば誰の歓心を買っているか。誰に告白されたか。
モテていた――らしい――僕が似雛さんに告白した。これは一つのマウンティングの材料だ。さらに一段上に上るためには告白を断ることで自分は世間ではモテているらしい男などでは釣り合わない高嶺の花であることを印象づける最高のマウンティングになる。
彼女の皮肉はキレを増し、誰彼なくその刃が向けられる。
逆に一部男子生徒から拍手喝采されるわけは嫌われ者の似雛さんをもらってくれればほかの女子生徒の関心がほかの男子生徒に移るという至極単純明快な論理である。なかんずく妹の紡さんが僕に取られてしまうと戦々恐々していた男子生徒からはそれまでの憎悪が一転友好関係を結ぶことになった。
人間とはなんて即物的な生き物だろう。
「せめてもの幸いはクラスが違うことだな。授業中までは顔を合わせないで済む」
「授業中はね」
「ま、それはそれとして。いい加減に部活に顔を出せよ」
「似雛さんは来るだろ?」
「といって、休んでばかりもいられないだろ。みんなの士気もダダ下がりだ」
「行けば行ったでみんなに迷惑がかかるのがわかりきっているのにいけるのか?」
「行かなきゃ行かないで迷惑はかけているけどな」
「どうせ、僕は迷惑をかける存在だよ」
「変な虫に付かれたな。いや、自分から付かれにいったんだよな。アマゾンの奥地まで」
「どっちでもいいよ。僕は速攻帰る。帰って布団にくるまって寝るんだ」
「へーへー。そうしてくださいな。おれはどっちでも。見てる分には面白いから」
「薄情者っ」
あまねくむすぶ @awao
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