02_06_主人公、ついに出逢う

「ぜぇ……ここか……はぁ……屋上の……ぜぇ……入口は……はぁ……」


 息を切らしに切らしながら、俺は全力疾走で、オペラ劇場の裏手の階段を駆け上がってきた。

 まだ公演時間より早かっためか、階段付近に人の気配は全くなく、見咎みとがめられずに屋上のドアらしき場所まで登ってこれた。


(あるいは……イベントのスムーズな進行のために……ってところかな)


 ネリィとマリィなら、それくらいの介入はきっと容易くできるだろう。


(なんにせよ、彼女を――)


 息を整え、ドアノブに手をかける。

 ギギィと鈍い音を立てて、屋上に続く扉はあっさり開いた。

 彼女はやはり、空との境界のギリギリのところに立って、帝都の遠景を眺めていた。


「こんばんは」


 俺の方から声をかけた。

 たぶん向こうも、ドアの軋音あつおんには気づいていたはずだ。

 ゆっくりと、彼女は真っ赤な髪を揺らしながら、背後の俺へと振り向いた。

 瞬間、俺はぎょっとした。


(うわ。目の周り、暗っ)


 彼女の顔は、目元が異様に暗くて深かった。

 アイシャドウを塗りたくっているのか、目の周辺がやけにくすんで黒ずんでいる。

 夕暮れで影になっているからじゃない。

 これも、ゴッデスのオペラ特有のメイクなのだろうか?


「……キミ、誰?」


 驚き固まっている俺に、今度は彼女が声をかけてきた。

 表情のない顔と、気だるげな暗い声色。

 もはや生気が失せたってくらいに、感情が欠落していて読み取れない。

 ただ、そのせいか、向こうも突然の闖入者ちんにゅうしゃに対して、驚いたり取り乱すようなことはしなかった。


「通りすがりだよ」


 やっぱり、オペラ女優ってことで、いいんだよ、な……?

 近くで見てみると、少し違和感。

 派手な服飾と化粧でよくは判別できないけど、実は彼女、俺と同年代くらいなんじゃなかろうか。


「ふと上を見たら、華麗なオペラが開演してたからさ」


 ともかく、こういう時はなるべく刺激しないように、なるべく相手にしゃべらせてあげるといいはずだ。


「オペラ……? ああ。女優にでも見える?」

「あれ? 違った?」


 違ったらしい。


「少し憧れがあっただけ。不覚にも、ね」


 おまけに不覚でもあるらしい。

 どういう状況なんだろか?


「だから、ちょっと衣装を拝借してきた。そう、本当に、それだけ」


 彼女の言葉はこれで止まった。

 次は……どうしよ?


(どう声かける? 何か聞いてみるか? それとも関係ない世間話のほうがいいのか? ……この世界の世間話って何さ?)


 思案していると、彼女はじいっと、俺の顔を見つめてきた。


「もしかして、あたしのこと、何か知ってる?」

「いや、事情は知らないけど――」

「なら、何しに来たの?」


 気だるげな声で、端的な言葉ばかりが吐き出されていく。

 冷たく突き放されてるってほどではないけれど、歓迎ももちろんされていない。


「あー、ほら、薄い氷が張った湖の上で、気づかずおどっている人がいたら、声をかけてあげるでしょ」


 身投げしそうな人がいたから止めに来ました……なんて直接的に言ってしまうのは、たぶん悪手だ。

 じゃあ正解はなんなのかってのは……誰か俺に教えてくれ。

 ……と。


「へえ。キミ、他人にそんなに関心持てるんだ。いい人だね」


 ふと、彼女はクスリと口元に笑みを浮かべた。

 表情に大きな変化はないけれど、穏やかな笑顔を俺に向けている。


(……何か、妙だな?)


 どこかおかしい。

 そう感じた。


(飛び降りを考えてる人間なら、もうちょっと、こう……)


 怯えてたりとか、塞ぎ込んでたりとか、その反対に激昂してたりとか、情緒が不安定になっていそうなものだ。

 現に、姉貴は……


(これって実は、俺の早合点だったんじゃ――)


 そんなふうに、考えを改めようとした俺に、


「死体なんて、郊外行ったら転がってるでしょ」


 ぞくりと背筋が凍りそうなことを、彼女は平然と言い放った。


(ひょっとしたら、この世界では、俺の世界より――)


 ――命の価値が軽いのか?



 ゴッデスは、中世ヨーロッパの世界観でありながら、妙なところでリアリティを追求している節があった。

 そのひとつが、貧民街。

 ゴッデス1には帝都の外れに貧民街があって、その一角に、悪人の吹き溜まりみたいになってる地区がいくつかあった。

 クエストで何度か行くことになるその場所では、街のゴロツキが絡んできたり、謎の暗殺者集団が襲ってきたりと、理不尽難易度のバトルを高確率で強いられることになる。


(姉貴が発狂しかけてたっけか。数ばっか多いモブ敵のくせに、くっそ手数が多いって)


 200年後のこの帝都にも、そういう悪党集団が存在してるのだとしたら、場所によっては刃傷沙汰や人死にが日常茶飯事ってことも十分有り得る。

 つーか、ネリマリたちなら絶対再現してる。

 凝り性っぽいこと言ってたし、なんならあいつら自身、生命の価値感が俺たちとは違ってたし。


(てことは、だ。この子、死ぬ気がないから心が落ち着いてるんじゃなくて――)


 ――身投げへのハードルが、ものすっごく低いだけ?


(え? これ? まずくね?)


 焦っていたら、彼女は突然、その場でくるりと体を回した。

 ドレスとウィッグがふわりと揺れて、ふちから小石が下へと落ちた。


「お、おいっ!」

「なに?」


 彼女は依然、落ち着いていた。

 感情の高ぶりもなく、恐怖らしい恐怖も見せない。

 落下するという認識が欠けているのか?

 ……いや。

 これはもはや、平常心で投身自殺ができちゃう感じなのか?


(こういうことかよ。少女の重さって)


 つまり、この状況こそが俺のクリアするべき進行中クエスト。

 彼女に命の重さを、どうにかして認識させないといけないのだ。


(……こんな深刻なゲームだったっけ? ゴッデスって)


 さて、どうしよう……


「ひとまずさ、こっちで話さない?」

「どうして? キミと話すことって、なに?」


 うん。なんだろうね?


「ほら、誰かに話を聞いてほしい時ってあるじゃん?」

「キミ、死体に話しかける趣味があるの?」


 なぜそうなる?


「もう死んでる人と、まだ生きてる人は違うだろ」

「そう? 鮮度に差があるくらいじゃない? 死体と人間の違いって」


 ……これ、本当に価値観の違いだけか?

 んでね? この人。

 ヤバくね? この女。

 え? これを説得とか不可能じゃね?


「だから、おんなじ。死人も、赤の他人も」


 他人にとって他人なあたしは、死んでいたって変わらない。

 そんな声が、聞こえた気がした。


(いや、どーしよ。マジでどーしよ)


 俺、カウンセリングとか向いてねえ……


「キミ、あたしに飛び降りてほしくないの?」

「っ!」


 ついに、明確に『飛び降り』という言葉が、彼女の口から出てきてしまった。


「どうして?」


 どうしってって、理屈じゃないだろそんなのは。


「生きてる人には、死んでほしくない」

「あたしのことを、知りもしないくせに?」


 声に冷たいものが混じった

 あ、これ、しくじったかも。


「無責任だね、キミ。生きるほうが死ぬより辛いなんて人間、珍しくもないでしょ」



 そもそも、この説得クエストは無理がある


 彼女の深い事情を何ひとつとして知らない俺は、説得のすべを一般論以外には持ち得ない。

 だというのに、その一般論でさえ、この世界の価値観とは致命的なまでのズレがある。


(チュートリアルのくせして、なんて理不尽な……)


 ある意味では鬼畜難易度。

 ゴッデスっぽいっちゃ、ぽいと言えなくはない。

 けど。


(だからって、見殺しはありえない。クエスト失敗だとかじゃなくて――)


 そんなのは、人として絶対にダメだ。

 どんなに価値観が違おうとも、これだけは絶対に譲ってやるものか。


(考えろ。この状況で、俺にできること――)


 しかし、彼女は、小さく不敵な笑みを浮かべて、


「じゃあさ、証明してみせてよ」


 俺に時間の猶予を一切与えず、行動に移った。


「君が私に手を伸ばせたら、私は死なない」

「は?」


 彼女は再び、ふわりと真っ赤な髪を揺らして、


「ありがと。話し相手になってくれて」


 もう一度小さく笑ってから、俺に背を向け、街の遠景へと顔を戻した。


「じゃあね」


 その遠景に、屋上の途切れた先に、彼女の体がぐらりと傾き――


(――落ちる!)


 俺は思わず駆けていた。


(『手を伸ばせたら』、だって?)


「そんなもん、伸ばすしかないだろっ!」


 気迫を込めた絶叫とともに、彼女へ右腕を差し伸ばす。

 だが届かない。

 俺の右手はギリギリでヒラヒラのドレスに触れられず、彼女の体は更に傾き、全身が宙空へと投げ出された。

 あとはそのまま、真っ逆さまに……これは、詰んだか!?


(いや、思い出せ。ここはゴッデスの世界)


「それなら!」


 迷わず更に踏み込んだ。

 落ち行く彼女に、体ごと腕を伸ばしていく。


「『詰みそうなときは』――」


 この先にはもう、床はない。

 俺の体も彼女を追って、頭から宙に向かっていく。

 足の底が、屋上の縁から離れる、その瞬間。


「――『飛び込んだほうが勝率が高い』!」


 縁べりの底を蹴り飛ばし、真っ逆さまにダイブした!


「これで……届けぇっ!」


 気迫を込めた逆ジャンプ。

 蹴った分、速度は自由落下を上回る。

 落ち行く彼女に俺は追いつき、今度こそ、気迫の右手で彼女の体を捉えていた。


「え? キミ――」

「掴まえた!」


 右手で彼女を抱きかかえ、反対の手で、途中階の窓枠らしき突起を引っ掛けた。

 だが、


「くっ!?」


 停まりきれない。

 人ふたり分の体重は、俺の腕には荷が重かった。

 突起を掴んだ左手を支点に、俺と彼女の体はぐわんと振り子のように揺れ、そこで握力がギブアップ。

 抱き合いながら、再び地面へ落ちていく。


(けど、大丈夫だ。姉貴の境地はたぶん合ってる)


 現に、今ので落下地点が大きくずれた。

 この下には、あれ・・がある。


(ほらみろ! 下に都合よく、さっきの廃棄品のソファが――)


 ぐらり


(――あれ?)


 当然、体のバランスが崩れた。

 足が、さっきのとは別の窓枠にひっかかり、体が変に回転したのだ。


(あ、これ、だめだ――)


 妙な慣性が働いて、落下地点が更に微妙にズレてしまった。

 ベッドはなくなり、真下には、硬い硬い裏路地の地面が――


 ごしゃり!


(あ……れ……?)


 身動きは、もう、取れなかった。

 俺の鼓膜に最後に響いたのは、砕けた自分の頭蓋ずがいから、ドロリと脳漿のうしょうが流れ出ていく音だった。



【BAD END #1……?】





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スプラッタは、いつも突然だよ





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