第三話 生きる気力を無くした女

 時おり運ばれてくるそっけない食事を取り込み、俺は牢屋の中で筋トレをする。もちろん脳を休める時間は必要なので、その間はアイドナが俺の体を自動で鍛えてくれた。鍛え過ぎで体が炎症を起こしそうになると、自動治癒プログラムが作動する。そのおかげもあり、短時間でだいぶ体が変わって来た。


 廊下を誰かが歩いて来るのを聞き、アイドナが俺に伝えて来る。


《いつもの手下にまざり、違う足音がします》


 俺は牢屋の中央に胡坐をかいて、ドアが開かれるのを待った。ガチャリとドアが開いて、奴隷商人が人を連れて来た。


「入れ!」


 商人が連れて来たのは、細身の人間で髪がぼさぼさの薄汚れた人だった。牢屋の扉が開かれ、そいつは無理やり押し込まれる。牢屋の鍵が閉められると、奴隷商人は出て行ってしまった。入って来るなり、そいつはうずくまって牢屋の端っこに座り込んだ。


《ノントリートメントです》


 それを聞いた俺は呼吸を整えて、反対側の鉄格子にもたれかかって座った。俺がそいつを見ると、ゴワゴワの髪の毛の間から俺を見つめている。いつ飛びかかられても良いように身構えていると、アイドナが俺に伝えて来た。


《攻撃してくる要素はゼロ》


 そうなのか?


《はい》


 ならいい。


 俺は警戒しつつも、そいつに関わらないように目を背ける。するとそいつも俺から目を離して下を向いた。


《トレーニングはいかがなさいます?》


 するさ。いざという時動けなければ何もならん。


《了解です》


 俺は再び筋トレを開始する。すると目の前の奴が不思議そうに俺を見た。だがかまわずにトレーニングを続ける。そいつは話しかけてくるでもなく、ただじっと俺を見つめていた。


《いい機会です情報収集をいたしましょう》


 わかったよ。


 俺はトレーニングしながらもそいつに声をかけた。


「あんたも奴隷か?」


「……」


 喋れないんじゃないのか? 返答がないぞ。


《分かりません》


 ならいいや。


 俺が黙ってトレーニングをしていると、そいつから声をかけて来た。


「なにしてるの?」


「トレーニングだ」


「とれえにんぐ?」


「ああ」


 するとアイドナが伝えて来る。


《性別女です。トレーニングの概念は無いようです》


 おんな? 汚くて分からなかった。


《あなたのトレーニングの動きに不安と恐怖を感じております》


 なんで?


《聞いてみてください》


「トレーニングが邪魔か?」


「そんなことはないけど」


「けど?」


「それ、なにか意味あるの?」


「ある」


「そう…」


 俺はかまわずに筋トレを続け、女はただジッとそれを見つめていた。ずっと続けていると、廊下を歩く足音が聞こえて来る。ドアが開いて小さい男が入って来た。いつも飯を運んで来る下郎だ。


「飯だ」


 ガシャン ガシャン。と二つのトレイが俺達の前に置かれ、牢屋の下の隙間から差し入れられた。俺は座り、すぐにそれを咀嚼していく。栄養補給は確実にしておかねば、この環境では体を壊しかねない。だが女はそれに手を付けなかった。


《この食事を譲ってもらいますか?》


 なぜだ?


《対象者は必要なさそうです》


 もちろん更に多くの栄養を補給できれば、体の強化にはいいだろう。だがそれによって、この人が死んでしまったら意味が無いんだよ。それを理解しろ。


《了解しました》


 俺は女の前にしゃがみ込んで言う。


「食べた方が良い。毒など入っていない」


「……」


「なぜここに来たのか分からないが、いざという時に動けなくなるぞ。まずは食べる事が重要だ」


「…どうせ…」


「なんだ?」


「どうせ奴隷になっても、ろくな扱いを受けずに死ぬんだ。死んだっていい」


《声の抑揚と視線、彼女の動きからも既に生きる気力を失っているかと思われます》


 気力? 人が生き続けるのは当たり前じゃないか?


《その通りです》


 生きたくないという意味が分からない。前世ではそんなヒューマンは一人もいなかった。


「なぜ生きたくない?」


「なぜって、どうせろくな人生を選べない」


「人生を選ぶ?」


「そう! 奴隷になったら終わりよ」


 奴隷になったら『終わり?』なぜだ? 何が終わる?


「終わる。とはどういうことだ?」


「自由も何もない。ただ生きるために、必死に働いて命をかけさせられたりするだけ」


 命を賭ける?


 いろいろと分からない事だらけだが、俺はこのノントリートメントに興味を持ってしまった。何故かはわからないが、奴隷と言う存在はそういう者だと教えてくれた。この人からは、いろいろと学べそうな気がしてきた。


「すまんが教えてくれ。奴隷になると何が終わるんだ?」


「一生誰かの言いなりになって生きるしかない。死ねと言われれば死ぬしかない。怪物の餌になれと言われたら食われるのを待つしかない。食い物をもらえなくても文句も言えない」


「それはどうしてだ?」


「ど、どうして? そう決まっているからよ!」


「決められている? 誰が決めたんだ。あんたか?」


「わ、私が決めた訳じゃない!」


「なるほど。ちょっと聞きたいんだが、その決まりを破るとどうなる?」


「そんなもの、鞭打ちか狩りのおとりにされるかもわからない。何されるかわかんない!」


「はっきりしないという訳だ?」


 話の進展がないが、アイドナが伝えて来る。


《怒っているようです》


 怒っている? なにか怒らせるような事言ったかな?


《この世界には事情があり、そのせいで自分の人生が自分で決められないのだと考えているようです。それを分からない事に苛立ちを覚えてます。もっと聞いてみては?》


「なんでここに連れて来られた?」


「わからない! 私は森でお爺さんと暮らしていただけ! だけど突然変な奴らが来て、お爺さんを殺したわ! 私は捕まえられて連れて来られたのよ!」


 殺された? やはりノントリートメントだ。人が人を殺すなど考えられない。だがここまでの話を聞いてはっきりした事がある。そのはっきりした事を俺は女に伝えた。


「なら、食え。食えば生存率は数パーセント上昇する。生きていれば可能性はある」


「なに…いってんの?」


「おかしなことは言っていない。間違いなく生きる確率は上がる、とにかく食うんだ。食わねば俺が口に突っ込んでやろう」


 すると女はビクッとしながらも、運ばれて来た食事に手を付けて口に入れ始めた。


「不味い」


「よし! 栄養価が高い訳ではないが、体に悪いものは含まれてはいない」


「あなた…変ね」


 変? この女が言っている意味は分からんが、俺は女が飯を食うのを見ながら筋トレを再開させるのだった。

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