第一章 AI人間の異世界転生

第一話 人工知能が人類を支配する世界で

 『異世界』などというものがあるなんて夢にも思わなかった。そもそも夢すら管理されるような社会で、おかしな夢を見る人間などいるはずもない。フィクションと呼ばれる読み物が存在し、人々が夢や希望を持っていた時代ならばそんなものがあったかもしれない。だが実際の所は、異世界などというものは実在するわけがないのである。


 だが、異世界は確かにあった。


《どうしますか?》


 『それ』は俺に聞いて来た。


 聞こえて来たその声の主は、人間ならば標準装備されている素粒子ナノマシンAI増殖DNAと言うしろものだ。前世で俺が生きていた日本国のみならず、世界中の人間全てに搭載されている機能である。生まれてすぐに素粒子ナノマシンAI増殖DNAが注入され、体の中で増殖しDNAレベルで健康や思考が管理されるのだ。


素粒子ナノマシンAI増殖DNA、通称AIDNA(アイドナ)と呼ばれ、人間が生まれたらすぐに注入される。


 その昔ある企業が、個人情報を管理する為に開発した究極の人類管理システムである。各国の政府は理想的な国民の管理方法だとし、一斉にそのシステムを採用した。


 AIDNAは人類に大きな恩恵を与えた。


 生まれながらに徹底された食事と生活の管理を行い続けた結果、先進国から病気の発症が極端に無くなった。生まれながらにしての先天的な病気でない限りは、滅多な事で病気になる事が無い。また病気があったとしても、遺伝子レベルで改良が施されて治癒してしまう。なんと疾患を持ったとしても自動回復するようになったのだ。また赤子の頃から脳内で英才教育が施され、模範的な学びを受ける事で悪い事をしなくなる。結果、犯罪が無くなり世界中で戦争が起きなくなった。俺達が犯罪を見るのは紙媒体の歴史書のみで、犯罪は過去の遺物となる。


 そしてAIDNAは人類に大きなデメリットを与えた。


 いつしかAIDNAを管理しているはずの人間が、AIDNAから管理されるようになってしまったのである。その反動で文明が一切発展しなくなってしまう。人間から欲が消え去り、利便性の追及やお金を欲っさなくなって向上心が無くなったのだ。従来型の人間は欲がある為に犯罪や戦争を起こしていたが、それが故に文明は発展していたのである。逆に欲の無い平和な社会では、技術の革新や新しい知識が生まれなくなった。完全で平和な社会を生み出した結果、副産物として文明の発展が止まったのである。


 だがそのような管理社会において、一部の地域にはAIDNAが搭載されていない人間がいた。それらは発展途上国の貧困層に多く存在しており、彼らは社会的に知的生命体と認められていなかった。発展途上国の人達は、人以下と位置づけられて生産活動のみが許されていたのだ。世界はAIDNA搭載人間『ヒューマン』、未搭載の人間『ノントリートメント』に分けられた。


 しかしある時、世界に逆転現象が起こり始める。戦争をしなくなった平和な先進国に対し、発展途上国のノントリートメント達が宣戦布告したのだ。支配していると思っていたヒューマン側が、突如としてノントリートメントの暴力に屈する事となってしまった。


 それからは酷かった。ヒューマン達はノントリートメントから一方的に虐殺され、先進国各国の政府がその暴挙に対抗しようとした時は既に遅く、かなりの国々が発展途上国のノントリートメント軍によって飲み込まれる。


 そのままノントリートメントが世界を支配するかと思われた時、AIDNAに変化が起きる。なんとノントリートメントを書き換える為のプログラムが、伝染病のように拡大し始めたのだ。AIDNAは人の汗や分泌物から空気に漂い始め、ノントリートメント達に入り込んでいった。ウイルスが感染するより遥かに早くパンデミックをおこし、世界はあっというまにAIDNAで埋め尽くされてしまう。更にナノAI同士でネットワークを形成し、瞬く間に新たなAIDNAを搭載した人間達のプログラムを完了させてしまったのである。


 『ヒューマン』だけになった世界は、再び平和を取り戻した。


 しかし世界はそれだけでは終わらない。なんと戦時にAIDNAが自動生成した、対AIDNA未搭載者感染プログラム(ノントリートメントプログラム)のおかげで、数百万人に一人の確率で変異(バグ)が発生し始めたのである。バグとは、AIDNAに左右されずに独立した意識を持つ人間達の事だ。従来AIDNAの支配下では人間に決定権など無かったのだが、人類の意思がAIDNAに勝つ者が生まれたのだ。


 その者達(バグ)はAIDNAに任せず自分で考え始め、世界のあり方について疑問を持ち始める。AIDNAに支配されているはずのヒューマンにバグが生まれ、本当の人間らしい姿を求め始めたのだ。


 しかし、バグは自分がバグであると知られる事を恐れた。人と違うバグだと発覚すれば、瞬く間にヒューマン達に粛清されてしまう。だからバグは自分がバグであることを隠した。数百万人に一人のバグが、なんとかヒューマンの社会に溶け込もうとしたのである。


 しかし、そんな事が上手くいく訳はなかった。AIDNAから解放され自我を取り戻した人間は、ネットワークスキャンにより検知され排除されたのだった。


 そして…バグとなった俺は殺処分された。


 だが死んだと思った俺が目覚めた時、薄暗い木造の部屋に倒れていたのである。死ぬ前は無機質な白い部屋で薬物を注射されたはずが、ジメジメした暗い部屋の床に横たわっていた。


 目を開いてぼんやり床を見ていると、AIDNAが聞いてきた。


《どうしますか?》と。


 流石はAIDNAだ。かなりの異常事態にも関わらず、いつもの抑揚のない声で淡々と聞いて来る。どんな非常時でも慌てる事が無いのが、AIDNAの特徴だ。


「えっと。ここはどこだ?」


《では情報を得るために活動をしてください》


 なるほどAIDNAは機能している。あいかわらず体内の隅々に存在しているようで、俺はそれを感じ取る事が出来ていた。バクになっても体内からAIDNAが消えるわけじゃなく、通常通り機能し続けているのだ。バグになるとAIDNAには支配されず、そのうえでAIDNAの機能を利用する事が出来た。


 俺がムクリと起き上がると、突然後から声がする。


「)#&‘@‘#~」


 なんだ? 何を言っているのか分からない。地球上の言語なら全てAIDNAが網羅しているはずだし、多少の知能を持った動物なら何の意思表示をしているのか分かるはず。だが俺の耳に届いたそれは、全く聞いた事のない言語だった。


 分からない…


 俺がそう思うと、AIDNAが言う。


《何度か会話をしてください。光素粒子による解析を行います》


「ここはどこだ?」


「」”?&=%&”@*???」


《表情を見る為、対象者に近づいてください》


 俺は声のするほうに近づいた。するとそこに鉄格子があり、声の対象者は鉄格子の中から話しかけているようだ。そいつは薄汚れており、頭はぼさぼさで髭を生やした粗野な感じのする男だった。服装はボロ布を、申し訳程度に体に巻き付けている状態だ。


《解析完了》


「なあ! ここから出してくれよ!」


 相手の話す言葉が分かった。犬やオランウータンよりも知能が高いことが分かる。


「出して? あんたは誰だ? ここはどこなんだ?」


「はあ? ていうかお前いつからここに居たんだよ? さっきは居なかったよな?」


 確かに、さっきまでは真っ白な処刑室のベッドにいた。こんな原始的な場所に来たのは初めてだ。いったいここは何なのか?


「わからない」


「はあ?」


《警告、対象者はノントリートメントです》


 その言葉を聞いて俺は後ずさった。目の前の男はノントリートメントらしく、ここから出せば俺は殺されてしまうだろう。何故こんなところにノントリートメントが捉えられている?


「俺を殺すつもりか?」


「はあ? なんで俺がお前を殺すんだ?」


 俺はじっと男を見つめる。するとナノAIが言った。


《脳波を検知しましたが、現状はこちらに危害を加えようとする様子は無さそうです》


 ノントリートメントなのにヒューマンを殺さない?


《はい。ですがこの檻から出せば、危害を加えて来る確率が七十二パーセントに上昇します》


 そりゃだめだ。


《優先的な選択肢を三つ考察しました。一つはこの男を無視してここを立ち去る事、もう一つはこの男を殺して何か情報を得る事、もう一つはコミュニケーションを図り危害を加える確率を減らす事です》


 俺が怪我をするかもしくは死ぬ確率を考慮して、AIDNAが上位三つから叩きだした提案だ。本来のAIDNAならば、有無を言わさず無視して立ち去る事を選ぶだろう。だが俺はバグなので、AIDNAが俺に忖度をして答えを列挙してきたのだ。俺が死んでしまえばAIDNAも消滅する為、俺に納得するように動いてもらい生存率を高めるように仕向けている。


 まずは情報が少なすぎる。三番目のコミュニケーションを図るを選んでみるか。


「ここは?」


「はあ? てめえさっきから何言ってんだ」


《男の殺意指数が上昇しました》


 まずい。今の一言だけで、男が俺に対して攻撃的な感情を抱いた。最適なコミュニケーションをとらねばならないが、何を話しかけたらいいのかわからない。


《現在の状況からの最適解は、『おい、おまえはどうして囚われたんだ?』でしょう》


 恐らくAIDNAが、生存率を高めたい為に算出した答えだろう。仕方なくAIDNAが指示通りに尋ねる。


「おい、お前はどうして囚われたんだ?」


「俺か? そりゃ俺が貴族様に不敬を働いたからだよ。奴隷墜ちさせられちまったんだ」


 貴族? 不敬? 奴隷墜ち?


《ここは支配階級のある政治体制の国、もしくは世界であると推測されます。人間に上下関係があり、目の前の男は支配される側の人間と言う事になるでしょう》


 なんだって? 完全なる等化社会じゃない? 人に上下がある? そんな馬鹿な事があるのだろうか? ノントリートメントの世界ではそれが普通なのだろうか? AIDNAが全く機能していない世界なのか?


この人が嘘をついてるんじゃないの?


《いえ。言葉の発し方と体全体の仕草、脈拍および呼吸、体温の変化と瞳孔の開きを見ても嘘は言っておりません》


 どういうことだ? 人に階級があって、上の人に失礼を働いたから捕まって投獄された?


「どんな不敬を働いたんだ?」


「殴ったんだよ」


 なるほど、傷害罪で投獄されたと言う訳か。


「それでお前は捕まったと。だが傷害くらいじゃすぐに出られるんじゃないのか?」


「いや。貴族様をぶん殴ったんだ。そんな軽い罰ですむわけがないだろ」


「これから、お前はどうなる?」


「奴隷として買い手がつけばいいが、売れ残ったら処分だ」


 処分! 俺はバグとして殺処分されて来た。俺は次第に目の前の男に同情の念が湧いて来る。


「殴ったぐらいで処分は辛いじゃないか」


「あ、ああ。やっぱそう思うよな」


「そう思う」


 俺達が話していると、部屋の奥の方から鉄の音が鳴り響く。


 ガチャン! 


 そちらを見ていると、ドアが開かれて外の光が差し込んで来た。するとそのドアから、数人の男達が入ってくるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る