プロローグ2 魔女狩り
樹木の根にひっそりと生えるストライガは、小さな桃色の花を咲かせていた。寄生植物として、農作物に寄生して育つストライガは、通称、魔女の雑草と呼ばれ、疎まれる。
樹木に寄生したストライガは、誰にも気付かれず、ただそこに隠れるように咲いていた。
「はあ、はあ」
荒れる息と草木をかき分ける音が、静寂だった夜に亀裂を入れる。
呼吸は二つ。長く深い規則的なものと短く浅い不規則なもの。
「キキっ……無理っ。僕はもうこれ以上走れないっ」
青年は足を止め、樹木に手をつく。黒い外套に革のブーツをはいた宣教師服の青年は、不足した酸素を取り込もうと必死に肩を揺らす。
「こんな極東の島国まで追いかけてきやがって。あいつら、絶対頭おかしいよ!」
「ルー、足を止めちゃだめっ」
半分涙目で地面を踏みつけるルーに、少女が叫ぶ。
「森を抜ければ人里に出るはず。人混みの中なら、奴らも簡単に手を出せない。ね、だから頑張ろう。あと少しの辛抱だよ」
金の癖毛に、青い目のキキは、白く小さな手でルーの服の裾を握る。
じっと顔をのぞきこんでくるキキを、ルーは突き放し、背を向けた。
「あと少しって……もう何時間、何日、逃げ回ればいいんだよ! 森を抜ければ人里に出る? 人里に出たら手を出せない? そんな常識、あいつらには通用しない!」
「でも、そんなの分からないよ」
「分かるよ! キキだって、見ただろ。シドエラが火炙りにされるとこ。何もしてない人間を殺して――あいつら、笑ってた。そんな奴らに常識なんて通用しない。ところかまわず、襲ってくるに決まってる」
ルーは、樹木に背を預け、その場に座り込む。
「もう諦めよう。奴らから逃げ切るなんて、最初から無茶だったんだ」
「ルー……」
小さくうずくまるルー。キキは、そんなルーの横に座り、木の根に咲くストライガの花を優しく摘み取った。
「キキ、何を――」
「汝、ウルの刻印をもって、我が身を支える柱となれ」
キキの言葉に、ストライガは緑の光を放つ。
次の瞬間、ストライガは木々の間で急速に根を伸ばし、あっという間に蜘蛛の巣のように木の根の壁を作った。
「走るよ、ルー」
項垂れるルーの首根っこを掴み、キキは木の根を背に前へ進む。
ルーはキキの手を払い、立ち上がるとキキの前に立ちはだかる。
「僕の話聞いていた? 逃げ切れない。走っても、人里に降りても無駄なんだって――」
「無駄じゃないっっ!」
叫んだキキの目には涙が浮かんでいた。
「キキ……」
「ルーは悔しくないの? おばあちゃんはあの人達に殺された。誰よりも優しくて、どんな時でも笑っていて、握った手はしわくちゃだけど温かい――そんなおばあちゃんを殺した人たちを……ルーは許せるの?」
「それは……」
「私は絶対許さない。だけど、あの人達のように人を殺すようなことはしない。おばあちゃんはそんなこと望んでいないから」
「なら、どうやって」
キキは強くこぶしを握り、言った。
「生き延びる。逃げて逃げて、逃げ続けて、大人になっても、おばあさんになっても逃げて、そして、おばあちゃんにひどいことをした人たちがみんな死んだ時、しわくちゃになった私は、こう言うの」
キキの青い瞳から涙があふれ出す。
「私の師匠は、誰よりも優しい魔女でした。って」
頬を伝うそれは、流れ星のように 光って見えた。
ルーはキキの言葉に面を食らう。そして、ルーは深くため息をつく。
「ほんと頑固だよな。これだから魔女って奴は」
諦めたように立ち上がり、ルーは顔を上げる。
「勘違いするなよ。僕は別に納得したわけじゃない。ここで見捨てて、君に死なれたりしたら、シドエラが化けて出てきそうだからな」
「ふふっ、おばあちゃんならやりかねないね」
ははっ、とルーも笑みをこぼす。
「さあ、いこう」
キキは手を差し出す。ルーはそれに手を伸ばし――。
「――△(フレイム)」
二人の間を炎が遮る。炎は壁のように張った根を焼き、黒い輪が火と共に広がっていく。
「もう追いついてきたか」
ルーは広がる輪の向こう側を見つめ、眉を顰める。二重三重と仕掛けたキキの罠は、逃走にして一分も時間を稼ぐことはできなかった。
「まったく……これだから魔女は嫌いだ」
輪の内側を跨ぎ、一人の男が現れる。上下焦茶色のスーツにライム色のネクタイに身を包んた男は、手首に手を当て、ほぐすように回す。
「生き汚く逃げ延びて、果てはこんな僻地にまで――」
スーツの男は服にかかる灰を払いながら、小さく嘆息する。
「――お前らは、潔く死ぬこともできんのか」
キッと男は二人を睨む。苛立ちと怒りを含んだ目に、二人は一歩後ずさる。
「あ、あんたにだけは言われたくないね」
声を発したのはルー。ルーは引きつった顔で笑みを浮かべ、その目はキキに逃げろと告げていた。キキはその目に、首を振る。
「魔女にして、政府の手先に回ったあんたに。潔くっていうなら、あんたが先に死ぬべきでは? そうだろ、グレイトニクス・ヴァレンシュタイン。魔女狩り専門の魔女、四大元素(エレメント)使い」
早く逃げろとルー。置いていけないとキキ。二人は視線のやり取りを交わすが、平行線。
「……私のことを知っているか。なら、ここでひとつ、はっきりさせておこう」
グレイトニクスは両手で襟を正す。
「私は魔女ではない。研究者だ。四大元素とは科学の素であり、我が一族はそれを解明運用することを使命とする。言わば、一つの学問だ。理解不能の呪い扱う魔女とは違う。一緒にされるのは心外、いや――吐き気がする」
「……っ! 逃げろ、キキ!」
ルーは、とっさにキキを突き飛ばす。その瞬間、ルーとキキの間に土の壁がせり上がり、二人は壁に分断された。隔たれた壁は分厚く、非力な少女の力では壊せない。キキは、壁を叩きルーの名を呼ぶ。
「ルー! 大丈夫なの、ルー!」
「僕は大丈夫! キキだけでも逃げろ!」
「でも……ルーが」
「いい加減にしろっ!」
壁が震える。壁の向こうでルーが壁を殴っていた。キキは、思わず壁から手を放す。
「僕を舐めるな! 僕はルーアン・システンバー。お前より大人で、ずっと賢い。そこらの大人よりもずっとな。子供のお前に守ってもらなくても、こんな状況、どうとでもなるんだ」
グレイトニクスの高笑いが、聞こえてくる。壁に亀裂が入る。肉を裂く音が聞こえてくる。
震えが、涙が、止まらない。ルーが、ルーが――。
「早く……いけよっ! 行かないと、僕もお前を呪ってやるぞ」
はっ、と壁から手を放すと、キキは走りだす。
「生き延びろよ、キキ……」
ルーの言葉は、キキには届かない。
遠ざかる足音に、ルーは笑みを浮かべ、祈るようにそっと目を閉じた。
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