混混沌沌ー人斬りと魔女ー
由里
プロローグ1 二人の獣
雨上がりの夜。雑木林の湿った空気に、錆びついた鉄の匂いが混ざり合い、首筋を這う。無蔵は首を振るって、伸び切った額の髪を払う。濁った汗がぴちぴちと地面に飛び散った。
「やっとやえ」
無蔵は腰の刀を鞘から抜き、乱雑に鞘を地面へ投げ捨てる。
鞘は地面の泥をはねあげ、目前に立ち塞がる美丈夫の袴にシミを作る。
「皆さん、危ないから下がって」
頭の上で括った長髪が馬の尾のように揺れる。その美丈夫の背には、彼よりも頭一つ大きい屈強な男たちが立ちつくす。その誰もが無蔵の目を見て、動けずにいた。
人の目ではない。これはケダモノの目だ。鬼畜外道の類だ、と。
「あ、有為殿、我らも加勢して――」
男は言いかけて、ひっ、と小さな悲鳴を上げた。
永斐有為の美しい顔に、その大きな瞳を見て、息を呑む。
殺すか殺されるか。その命のやり取りを前に、有為の目は細く鋭く、しかし楽しそうに笑っていた――目の前の男と同じように。
「やっと、わちゃあと本気でやってくれるかえ、有為」
「相変わらず、めちゃくちゃな言葉遣いですね。無蔵君」
有為が鯉口を斬る。白い鞘からゆらりと抜きでた刀身は、まっすぐ、傷一つない。刃こぼれ知らずの薄刀。名を海凪という。一振りにして、豆腐のように人を斬るという。
対して、無蔵の刀は刃こぼれだらけ。柄の布もささくれ立ち、鍔は雨と血を吸って錆が目立つ。ほとんどガラクタ同然。当然、名前などない。
正反対の刀同士が、互いに顔を付け合せる。有為と無蔵は、刀を構える。
無蔵は刀を右手に、顎に地が触れるほどの前傾低姿勢。目だけが有為を見つめている。
対して、有為は刀を両手で握り、刃先を体の中心に合わせ、しんと佇む。
はあ、と息を吐く無蔵。ふう、と息を吸い込む有為。
互いの呼吸が、ぴたりと止まる。周囲の音が夜の闇へ吞まれる。
そして――。
「はあぁっ!!」
「きえぇえい!!」
閃光。遅れて、キン、と音が追いついてきた。
二人の顔が刀をはさんで接近。互いの呼吸が聴こえる距離。
二人は互いを睨み、笑う。お互い、一刀で相手を斬り伏せるつもりだった。
最速の一歩にして、渾身の一刀。しかし、どちらもいまだ健在。
焦りはない。むしろ、心躍る。
「つうぃあああ!!」
力任せに、無蔵は刀を前へと押し出す。有為はそれを流すように身を翻し、さらに下から上へ刀を斬り上げた。切っ先は無蔵の顎へと線を描く。
「ええがぁ」
無蔵は唇をなめ、おもむろに刀を手放した。同時に、顔を上へ逸らし切っ先から逃れると、勢いのままその場でバク中、と同時に手放した刀の柄底を蹴り上げる。素早く地面を蹴って後ろへ退くと、その手の中に空へ舞ったはずの刀が戻ってきた。
まるで曲芸。これには、有為も目を丸くした。
「ほんとめちゃくちゃですね、君は」
「己もたいがいじゃのうて」
笑って言う二人。だが、周囲の者にはなにが起こったのか分からない。その一瞬の攻防を目で追えたものは、当の本人たちのみ。
人外の領域。加勢しようにも、割って入る隙がない。
「けど、まだ足りんちゃあ」
「なんです、急に」
首を傾げる有為に、無蔵は肩に刀を預け。ため息を吐く。
「わちゃあじゃ、不足かえ。己の本気の相手にゃあの」
無蔵は肩を落とし、有為の瞳をのぞきこむ。
「感じんのよ、己のイキりを。根の奥の、深く暗いとこ」
「深く、暗いとこ……ですか」
有為は視線を斜め下へ落とし、ふう、と息を吐く。
次の瞬間、あ、と誰かが声を漏らす。そして、声を発したことを後悔する。
「……なら、見せてあげます」
ざらついた鉄のような眼光で、有為は無蔵を睨む。
殺される。男たちは口に手を当て、息を止める。悪寒に汗が止まらない。
それは、網膜に針を突きつけられたような感覚。少しでも動けば、もう取り返しがつかない。
有為の殺気に、無蔵の首筋にも汗がにじんでいた。
「……ほたえな」
うるさい、と無蔵は胸を押さえる。高鳴る心音すら、今の無蔵にとっては雑音だった。
無蔵は刀を構える。有為も刀を構えた。
血に飢えた二匹の獣が、互いを喰らうため牙を光らせる。
獣は笑った。そして、願った――この時が永遠に続きますように。
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