第20話 短剣

【アンブロシウスの庵】


 目の前にいるアンブロシウスはとても落ち着いていたが、奇妙なものを見る目つきでもあった。


 僕はあのあと、すぐに蝶の谷を超えて、アンブロシウスの庵に向かった。

 アンブロシウスは僕を見ても何も言わず、すぐに庵に入れてくれた。そして温かいスープを飲ませてくれた。

「落ち着いたかね」

 僕は頷く。

 とはいえ、時折、先刻のことを思い出しては戦慄した。

「たいへんな夜じゃったな」

「知っているの?」

「わしには未来が見えるといったじゃろう。だいたいわかっておったし、そういうことかといま合点しておる。だから案ずるでない」

 僕はうなずく。アンブロシウスには短剣を黙って借りたことを謝らなければならない。いや、もう知っているのか。短剣はふたりの間に置かれている。

「もう一度、心が乱れるが、確認しなければならんじゃろう」

 アンブロシウスはそういうと何かを取り出してこちらに見せる。


 それが鏡であることに気づくのに少し時間がかかった。

 その前に恐怖でコップを落としてしまったからだ。

「わっっ!!」

 そこに映ったのは、プブリウスが連れていたあの〈悪党〉だったからだ。


「落ち着くのじゃ。レリクス。これは主じゃ。あの悪党たちはもう死んでおる」


 言葉にならない。死んでいたのはプブリウスと――僕だ。

 頭痛がする。いろんな光景が蘇るが、混乱して考えることすらできない。


「それにしても、悪い顔になったものよのう。目つきがわるい。歳の頃は20代半ばといったところか。一気に歳をとったものよのー」

 アンブロシウスはまじまじと僕の顔を見てひとごとのようにいう。いや、実際、ひとごとだろうけど。


 アンブロシウスは大きく呼吸する。そして自分にも同じようにしろという。

「さあ、さぁ、水を飲め。お主はいま混乱しておる。なにも考えずにわしの話に集中しろ。できるな?」

 ぼくはもう一度深呼吸をしてから、頷いた。


「お主が持ち出したのは強力な魔法がかかった一級品じゃ。名を〈転生の短剣〉という」

 そうして、アンブロシウスは僕に起きた不可思議な出来事を語り出した。


 まず、〈転生の短剣〉について。

 これは刺し殺した相手に魂アニマがうつるという代物だという。刺された相手の魂は肉体を離れ、ただちに死者の国に行く。そして刺したほうは魂が刺した相手の肉体に移動――〈転生〉するため、元の肉体はそのまま抜け殻――死体となるという。

 僕はまずプブリウスを刺してプブリウスに魂アニマがうつった。そして次に悪党を刺して悪党に乗り移った。だから僕は悪党の肉体を手に入れ、僕本来の体とプブリウスの体は抜け殻の死体になったといわけだ。


 とても信じがたい話だ。


 アンブロシウスが魔法を使い、魔法の道具をもっていることに疑いはもっていなかった。

 あの時のフィアナは暴漢の顔を見て恐怖し、僕の遺体を見て悲鳴をあげた。もしアンブロシウスのいうことが正しいのなら、それには説明がつく。


「未来が見えるって、このこともわかってた?」

「無論。しかし、見てきたわけじゃない。知っていたのは、お主が別人としてこの先の人生をいきることじゃ」

「……」

「わしには未来が見える。だが、変えることはできん。運命とは決まっているからこそ運命というのだ。そして誰しも一度きりの人生じゃ」


「これからどうすれば……」

 この名も知らぬ悪党の姿かたちでこれから生きて行くだって?

 それは、僕の人生といえるのか?


「どうするかは自分で決められるはずじゃ。そしてどのような決断をしたところで、それが運命じゃ。わが王も運命のままに結末を迎えた」


 ※  ※  ※


 悪党の体となった僕は、翌日以降、アンブロシウスにかくまわれていた。悪党は眼帯をしていた。しかし、外してみるとはっきりと視力がある。傷などもない。なぜこの男は眼帯をしていたのか。

 ふしぎそうに思っていると、アンブロシウスが告げる。

「転生の剣で刺された肉体は、傷や病があってもそれが癒えている、という話だった。おそらくその転生の力によるものだろう」

 そういうことか。

 この眼帯はひと目につく。どれだけの悪党だったかはしらないが、もし知られた顔なら悪事を喧伝して歩くようなものかもしれない。この特徴がなくなるのは一安心だ。僕はこの先、この姿で生きていかなくてはいけないのだから。


 この先どうすべきかは数日、考えていた。ともかく自分は〈悪党〉の姿になった。この男はこの街にいるべきではないだろう。早いうちに離れるべきだと考えた。僕の人生、というよりは、この男の体をどうすべきかと考えた結果だ。


 もう、レリクスとしての人生は終わった。これからはこの悪党として生きなくてはならない。


 その後、アンブロシウスにより、街の状況を聞いた。薬と薬草を買取にくる商人が伝えてくれたことらしい。

 それによると、プブリウスとレリクスの遺体はフィアナの証言にもとづいて、回収されたが、野犬に食いちぎられた悲惨な状況だったという。フィアナは一連の経緯を目撃しておらず、事件の顛末はわからない。

 ただ、いっしょにいたはずの〈悪党〉がいなくなっているため、そいつが二人を殺した犯人なのではないかと推定され、街では警戒とともに捜索されているという。


 自分、いや悪党の姿をもつ自分には、ますます状況が悪くなった。


 一方で、ルキウス様が抱えていた問題は解決したようだ。

 やはりプブリウスに領主の座を要求されていたようだった。きっぱりと跳ね除けたものの、嫌がらせのようにいついていた。その対処にはひどく悩んでいたそうだ。

 そのことについてはほっとした。少なくともルキウス様にも、そしてフィアナにとっても危機は回避された。


 また平穏な日々に戻るだろう。


 僕だけがいなくなった街に。


 ※  ※  ※


 数日後、フィアナがアンブロシウスの庵を訪れた。ひとりで外出が許されたのだろうか。あんなことがあったばかりだ。

 僕は2階の隠し部屋にいた。姿を見られるわけにはいかない。僕はレリクスを殺した悪党だということを自覚しなくてはいけない。


 フィアナの大きな泣き声だけがずっと響いていた。

 フィアナは僕が死んだと思っているだろう。

 誰からも死んだと思われているなら、僕はいったいなんなのだろう。

 考えてみるほどわけがわからなくなる。

 注意深く小窓から外をうかがうが、視界が悪く二人の姿は遠い。

 もうフィアナにも、父さんも、母さんにも二度と会えない。


 遠い異国にひとりで投げ出されたかのようだった。

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