第16話 人間の価値
【ソロンの町/マルクスの学校】
フィアナがやってきたのは、僕が13歳のときだ。
領主様が学校に連れてきた。これからいっしょに勉強する仲間だと紹介した。
自分より年下の子どもの奴隷ははじめてだった。
それよりも、その外見に目を奪われた。
金物細工のように光を反射する銀白色といっていい長い髪、透き通るような白い肌。
緑色の瞳。まるでこの世の者とは思えない。
領主様はとくに説明したわけではないが、異民族であるのは間違いなかった。
でも僕は異民族を見たことがない。
むしろ妖精というのがいるのなら、きっとこんな姿だろうと思えた。
しかし、妖精は不機嫌そうだった。
そして僕を含めた周囲に敵意を隠そうともしなかった。
フィアナはすぐに問題を起こした。
直接の原因はわからない。ともかく学校の仲間と対立した。
彼らは僕も含めて自由市民で、彼女を「奴隷の女」と呼ぶようになった。
それは領主様が禁じていたことだった。
「奴隷であることを侮蔑してはならない」
と。身分はあるものだが、どう扱うかは主人が決める。そして、領主様はいつ奴隷を購入されても、どんな出自であっても、奴隷であることを侮蔑してはならないとされた。奴隷としての労働は与えるものの、人格は否定しない。
だからたちまちに問題となった。
しかし、彼らはそれを咎められると、
「奴隷だからではありません。へんな髪の色、へんな肌の色だからです」
それを聞いた途端、フィアナは彼らに襲いかかった。
頬を殴り、髪を引っ張り、噛みつき、容赦がなかった。
敵対した生徒たちは、恐れ慄き、襲われている子を助けようともしなかった。
僕はこうした光景を目の当たりにして何もできなかった。
僕は奴隷とも平民の子ともうまくいかない。
平民の子は僕の親が解放奴隷だから自分たちと同じではないと言った。
僕にはその事実を否定する方法を持たなかった。
一方で、奴隷の子と仲良くすることもできなかった。
だからいつも学校では最低限の会話しかしない。
友だちができないことは両親にも領主様にも心配されたが、されるほどかたくなになった。
領主様が止めに入った。
「へんであるというのは、違っているということか?」
領主様は責めるようでもなく、語り出す。
「人はみな違っている。まったく同じ人というものはいない。お前の目は隣にいるイカロスと同じ形か? お前の声は漁師のタキトゥスと同じか?」
「でも、異民族です!」
「異民族とて人間じゃ。であるのに、お前は獣や家畜のように言う」
領主様はフィアナが異民族であるのを否定しなかった。
しかも、どこの民族的な特徴ももたない。肌の白さはあまり知られていないが北方の民族にいるらしいということだけだった。
それで噂が真実であるのが確定されたわけだが、そもそも領主様の考えなら、それを告げることには意味はなかったのだろう。
「フィアナの外見はきわめて珍しい。奴隷市場でもかなりの高値じゃった。私も相当の財を投げうった。しかし、その理由は、まさしく人間の価値について知りたいと思ったからだ」
はじめて聞く話だった。
「人の価値は何によって決まるのか。外見だろうか。たしかにフィアナの外見に高い金を払おうとする貴族は多くいた。しかし、いっぽうでお前たちのように劣等と見下すものもいる。であるならば、これは真実の価値ではないということだ」
人によって価値がかわるものは本当ではない、ということだろうか。
「奴隷には金額がつけられる。戦争が多くなると奴隷が増え、価格は下がる。野菜や果物などと同じだ。学問ができる奴隷や若い奴隷は高値で、肉体労働しかできない奴隷、異民族の言葉しか話せない奴隷は安値だ。それは物としての価格だ」
領主さまはゆっくりと、落ち着いた口調で語る。
まるで自分自身でその言葉をかみしめるように。
「しかし、お前たちは売買されておらんな?」
領主様が平民の子に向き合う。
「当たり前です。売買されるのは奴隷だけです!」
「ではお前たちの価値はいくらだ?」
「……」
「奴隷になればわかるのか? 美しい、醜い、強い、弱い、大きい、小さい、賢い、若い。お前たちの価値はどこにある?」
「買う人間によって違うのではないでしょうか」
「そうだな。奴隷であればそうだ。だが、奴隷ではない人間の価値を聞いている」
「……」
「私が知りたいのはそこだ。お前たちといっしょになって考えたいのは、それだ」
僕はこの話をずっと覚えている。
僕自身が自分より価値の低いものを見つけて満足していたからだ。
奴隷の子たちと仲良くしなかったのはそれが理由だと自覚している。
その理屈でいえば、平民の子がいうようにフィアナは最劣等だ。
自分は正しく価値を見ていない。
そう言われたに等しい。
価値、というものは物にしかないということだろうか。
あるいは、自分が自分に価値をつけるとしたらなにを基準にするだろうか。
あの日からずっと明瞭な答えは出ない。
フィアナと平民生徒の対立はおさまったわけではなかった。
フィアナに叩きのめされたのはリーダー格の弟で、彼の取り巻きのような連中は歩調を合わせるようにして、フィアナと敵対した。とは言っても、表立ってなにかをするわけではない。基本的には無視し、領主様やルキウスさまがいないところでは、悪口を聞こえるように言っていた。僕はその卑劣なやり方に憤りながらも、何もできなかった。僕は解放奴隷の子だから、フィアナほどではないにしろ、格下のような扱いを受けていた。それまでは領主様の教えの通り、僕が特別に差別されることはなかったが、フィアナの一件があってからは変わった。
領主様の教えは、あの日から破綻してしまったかのようだった。
そして、僕にも平民の子を憎む心が芽生えてしまった。
「平等というものは存在しない」
これも領主様の言葉だった。
「もし皇帝陛下が、明日から奴隷の売買をやめる、異民族も平等だ、といえばそうなるかもしれない。だからこれは社会の問題であって、真理ではないのだ」
だとすると、僕たちの学校はいま僕たちがつくりだした不平等がある。
でも、そんなことはどうでもよく、僕は僕よりもずっと差別されているフィアナに対して、心苦しかった。
はじめてフィアナと話をしたのは、フィアナがばっさりと髪を切ってきたときだった。
陰口の多くはその髪の色、瞳の色だったからだろう。
自分で切ったのか、あれほど美しく整っていたというのに、馬小屋の藁束のようだった。
「なによ」
フィアナが僕の視線に気づいて言ってくる。ここでなにか言おうものなら、敵対している連中の一味として喧嘩を売られそうだった。
ひどく不恰好だと思ったが、それをいうわけにはいかない。
しかし、何かを言わなければ、いや、ほとんどはじめて言葉を交わすチャンスであるという事実のほうが重要だった。
「僕は、前のほうが好き」
フィアナは少し驚いた顔をしたが、すぐに険しい顔に戻った。
「それは、あなたの価値よね?」
領主様の教えが、いま皮肉として僕に投げられている。
そう、人としての絶対的な価値じゃない。僕は奴隷として品定めをしているわけじゃない。フィアナに悪い印象をもたれたくなかった。
なんて答えればいいのだろう。
絶対的な価値じゃなくても、好き嫌いはあってもいいだろう? なら否定されるものではないんじゃないか。
「そ、そう。僕のただの好み。ごめんなさい」
結局、そんな言い方になった。
「そう」
フィアナは意外だとでもいう表情になって、それから打って変わって笑顔になった。
「じつは私も前の髪型のほうが好み」
その笑顔が屈託のない物で、僕の緊張もすっかり切れて、思わず吹き出してしまった。
それが、フィアナとの交流のはじまりだった。
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