第17話 ルキウス
【スプリア/ソロンの街】
僕は父母とともにキャベツ畑で働いていた。朝早起きして、キャベツの葉に水を垂らす。これは僕だけの仕事になっていた。大きな畑だが、ほかの作物の畑にくらべればこじんまりとしている。早朝の仕事は気分がいい。一日が始まるときに最初に吸い込む新鮮な空気は、違う味がする。
父母はこれとは別にぶどう畑でも働いている。働き手は同じように解放奴隷が多い。みなまじめに働いていて、収穫の際には領主様が宴を開催してくれる。神官がよばれ、収穫を祝う儀礼が行われると、そのまま神官も、奴隷も平民も関係なく飲み、歌う。領主様も、息子のルキウスさまも参加される。まるでこの街の人々がすべて家族かのようなひとときだ。
キャベツはじつはルキウス様のために栽培がはじめられた。ルキウスさまが幼少より体が弱かったためだ。季節の変わり目になると寝込むような熱を出すことがほぼ間違いなくあり、ふだんからも走ったりなどの運動ができなかった。
キャベツは体を強くする力があるという。いくつもの葉が重なって包まれているのは大事な核心を幾重にも守る姿だという。
刻んで塩をるか、煮込んだスープとして食べることが多いが、肉や魚がさらに並ぶときも、パンだけのときも、ルキウスさまの食卓には必ずキャベツがあった。
「キャベツは好きじゃない」
ある時、ルキウスさまは言った。
「レリクスが頑張ってつくってくれているのは知っているけれど」
申し訳なさそうに言う。
「こう毎日食べていると……」
そういうものだろうか。
「僕は毎日パンを食べていますが、パンは好きです」
「そ、そうだな。私もパンは嫌いではない」
「もっとおいしくできるように頑張ります」
「いや、やっぱり、量かな。毎食量が多いのかもしれない」
「でも、領主様にはたくさん収穫するように言われています。今年は豊作で褒められました。それにキャベツはルキウス様が健康になるようにと」
「そうだね。私も健康にはなりたいよ。わかった、これからもどんどん食べる。はぁ……」
ルキウスさまは大きくため息をついた。
「良薬口に苦しといいます」
「レリクスはいろいろ知っているね。文字の読み書きも誰よりも早くできたし、なにしろ物知りだ」
「ぜんぶ領主さまに教わったことです」
「ああ、でもほかの子は箴言を覚え、使うことはできないだろう」
「父も母も領主様に哲学を教わっていました」
「そうだったね。ご両親の影響もあるんだね。私にはレリクスが立派な哲学者に見えるよ」
「立派な、とはどういうことでしよう?」
「そ、そういうところかな……。言葉を大事にして、いつも考えている」
「考えることをやめてはならないと教わりました」
「ああ、父さんにとっても誇り高い弟子だろう私がパトロス家をたもてなくなりそうなら、レリクスに養子にはいってもらってもいいかな」
ルキウス様は笑う。冗談とわかるが思わぬ言葉に鼓動が鳴った。
「フィアナと仲良くしてくれているみたいだね」
「はい」
「あの娘のことは、大事にしているんだ。父も僕も。それこそいつか解放奴隷として家に迎えようかと考えている」
家に迎えるというのはどういうことなのだろうか。
解放奴隷がそのまま主人の養子養女になる例は知らない。
あるなら側女だ。
※ ※ ※
フィアナのことが少しずつわかっていく。
フィアナが暴力的なのには意味があった。
「暴力がよくないのはわかってるわ。男の子しか暴力をふるえないと思い込んでるのをわからせてあげたの」
ということだった。
そのために素手の格闘を独学で研究していたという。
「パンクラチオンっていうの。領主さまが教本をもっていて、読んでもらって自分で訓練したの」
そりゃすごい。見たことはないけど、聞いたことならある。どっちにしろ、女の子が遊びでも興味を示す物じゃない。とはいえ、もうフィアナには男女とか、奴隷とか、民族とか、そういうものの外側にいる存在だと思うようになっていた。
彼女もそれを認めている。
その考え方を強固なものにしているのは、領主様の息子ルキウス様だという。
「ルキウス様は体が弱いの。だからフィアナが守ってあげるの」
ルキウス様は領主様が留守のときには代理で学校にくる。
領主さまは少し怖いところもあり、力強い印象だが、ルキウス様はとても柔和で、細い印象だ。領主さまの思想をしっかりと受け継ぎ、僕たちに「人間の価値」について考える授業をしてくれる。
フィアナの奴隷としての仕事は主にルキウスさまの身の回りの世話のようだった。
毎日の仕事はたいしたことはなく、「時間があるなら自由に出かけていい」と言われているそうだ。
「でも、出かける時は奴隷頭のダレオスさんといっしょに行くように言われているわ」
「どういう意味で?」
奴隷の最大の罪は逃亡とされているが、フィアナのような女子の奴隷は逃亡してもそのあとがどうにもならない。いま以上の厚遇はないだろうし、逃亡はとても考えられない。
「人攫い。私は珍しいから、欲しがる人は欲しがるんだって。レリクスみたいに」
「僕は攫ったりなんかしないよ!」
「ははは。冗談に決まってるのに」
この娘は年下だというのにいつも姉か母のようにからかってくる。
「ともかくひとりであぶないってこと。実際、私を買い取りたいって貴族の使いがたまにくるのよ。私、めずらしいから。でも領主様は絶対に売らないって何度も断っているから、万が一攫われることもあるかもって考えているみたい」
「そう」
「だから、出かけたいけど、ダレオスさんには悪いから我慢してるわ。あの人、忙しいもの」
「出かけたいんだ」
「うん。いちど蝶の谷に行ってみたい。見たことないから」
※ ※ ※
それから僕はダレオスさんに代わって、フィアナを外出させることができないか思案した。そこで考えたのは剣術と格闘術を学ぶことだった。護衛には必要だ。
ルキウス様に頼み込んで引退した老兵士に手習させてもらうことができた。
兵士になるつもりはなかったから、両親には黙ってもらいたい旨、それから本当の目的をルキウス様には相談した。
ルキウスさまは体調を崩されると数日ベッドに寝たきりになる。頻繁というほどではなかったが、そうなることがあるのは領民なら誰でも知っていた。
僕がこの件でうかがったのもタイミング悪く、そんな時だった。
「レリクス。それはありがたいよ。僕ができればいいのだけれど、仕事もあるし、外出は父上からなるべくしないよう止められているし。フィアナがダレオスに気を使っているのもわかる。君とならごくふつうの子ども同士の遊びができるからね」
僕は自分の考えが認められ、あまつさえ褒められて有頂天だった。
「蝶の谷に行くぐらいで、剣術や格闘術が必要になるとは思えないが、君が言い出したことだ。彼女を守るために強くなると私に約束しておくれ。そうすればご両親にも公認の仕事として伝えておこう」
「はい!」
胸が高鳴る。誰にも負けないあの強いフィアナを僕が守る。
帰り道はかけながら手を広げる。いまにも飛びたちそうだった。
これが僕がフィアナの守護者に任命された経緯だ。
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