第15話 魔法
【ソロン/蝶の谷】
僕たちと魔法使いの秘密の交流はそれから半年も続いた。
フィアナはアンブロシウスの持っていた地図をずっとみていた。
アンブロシウスの世界のものだから、行くことはできないが、いろんな国の話を聞きたがった。
暴君によって滅びた国、妖精がいる湖、巨人たちの島。
そのほか死者の国を往来できる鹿、戦いを巻き起こすカラスなど、ふしぎな動物の話もたくさんしてくれた。
アンブロシウスは話すことが好きだった。
フィアナの目の輝きを見て、ほんとうに旅がしたいのだろうと思った。
かなえてやることはできないだろうか。
フィアナはきっとルキウス様に嫁ぐのがいいだろう。ルキウス様がフィアナを旅に連れていってくれればいいのだが、体が弱く、何日も旅することは難しいというのを聞いたことがある。
だとしたら、僕がフィアナと結婚する――
と想像してしまって、すぐに振り払う。
「世の中と人間を疎んじて世界を超えてこちらにきたが、魔法がないだけでこちらもあまり変わらないと、厭世の気が晴れないのでこの森に庵をむすんだが、生来おしゃべりだったようだ」
と自己分析するその話もとても長い。
ときには話が繰り返しているときもあり、僕とフィアナはそれを指摘しては笑っていた。
「私、地図かほしい……」
フィアナはそう、つぶやいた。
「ふむ。たしかにこの地図ではだめじゃな」
「うん、私の地図……」
僕にはよくわからなかった。地図というのは誰にとっても同じ物ではないだろうか。
「私の、地図がほしい」
フィアナはあらためて言った。
※ ※ ※
ある日、アンブロシウスは僕たちの友情の証を見せてくれるという。
夜だというので、家への言い訳、準備が大変だった。
蝶の谷近くの湖に連れ出された。
その夜はすこし曇っていて、月明かりが届かない。
ぼくは松明をもつ係だった。
松明に照らされた森と水面はすこし不気味に反射して怖かった。いろんな虫の声が聞こえる。
アンブロシウスは懐から小さな石を取り出した。紫色の石、以前見せてもらったことがある。〈魔石〉と呼んでいた。魔法が少ないこの世界において、アンプロシウスは大きな魔法を使えなくなった。魔石の補助があれば唯一大きな魔力引き出せる結晶だと言っていた。
「これさえあれば、わしはなんら変わらず魔法が使えるのだ」
以前、見せてもらったのは魔道具といって、決まった目的の魔法をとじこめたものだったが、それとは違うという。
「呪文の詠唱は、久しぶりじゃ」
手に握っていた〈魔石〉を力を込めて砕いた。それはいとも簡単に粉々になった。
そしてアンブロシウスはなにやら口ずさみ始めた。一定のリズムで、聞いたことはないけれどきっとどこか異国の言葉のような響き。
ふしぎな空気の揺れ、その振動のようなものがかすかに耳に反響する。
詠唱を終えるとアンブロシウスは、大きく手を広げる。
次の瞬間、湖の水面が輝き出した。
光は中心から滲み出すように広がりだした。
黄金色、いや、はじめてみる輝きで、形容することができない。
きらきらとした輝きを、僕とフィアナは息をのんで見守る。
すると、蝶の谷の方角から一斉に蝶が飛んできた。
ものすごい数だ。光を放つかのような前翅の緑と、幾つもの色が混じった後翅が、いつも以上に輝いている。
そして湖面から溢れ出す光に包まれると、姿を変える。
小さいが、人の姿に変わったように見える。
少年のような少女のような。羽をつけた人の姿。はじけるような笑顔を見せて、隊列が分散して、それぞれ好きなように飛び回っている。
「すごい!」
フィアナが押し殺したような声で熱狂を伝える。
「あれは、なに?」
「わしの国では妖精フェアリーと呼ばれておる」
「妖精……」
僕たちはしばらく妖精たちのダンスに見惚れていた。
ふと、横にいるフィアナに視線を向けると、彼女の銀髪も同じように輝いていた。紫がかった瞳も、貝殻のような耳も、まるでここにいる妖精たちの女王のようだった。
この世のものとは思えない。みなが美しいと喝采するものが偽りのようにすら感じた。
すると、アンブロシウスがだしぬけに語り出した。
「わしには未来が見える」
「未来?」
「おぬしらふたりはこれから大人になる。穢れなき好奇心も、大波に流されるやもしれない。清らかな願いも、澱になって見えなくなるかもしれない。しかし、それは誰にでも訪れることだ」
アンブロシウスがなにを語ろうとしているのかはわからなかったが、僕たちはだまって聞いていた。
「幸あれ!」
アンブロシウスはそういうと今度は夜空を指さした。
とたん、こんどは天に光の花が咲いた。中心から一気に花弁がひらくように。黄色、緑、赤、濃い色、薄い色、さまざま混じり合った花弁はパッと広がるとたちまち消えた。そしてまた一輪が咲き始め、次から次へと夜空を照らした。
黄金に光る水面と夜空に咲く光の花。
フィアナが僕の手に指を絡ませてくる。僕はそっと握り返した。
これが、僕たちがはじめて体験した〈魔法〉だった。
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