第14話 異教

【ソロンの森/帰り道】


「私たちが先生みたいだったね!」

 帰途、フィアナは上機嫌だった。

「みんな教わったことだけどな」

「なに言ってるの。学んでいないことは教えられないわ」

 まったくその通りのような気もする。

 だけど、少し考えてレリクスは自分で考えて導き出したものではない、ということを言いたかったようだ。でも、人から教えられて、自分で考えて、結論が同じでも違っても、やはり教えられることには意味があるだろう。


 解放奴隷になったら、どうするのだろう。

「私? 自由になったらいろんな国に行ってみたいわ」

「どこへ」

「どこへ行ったって、ぜんぶが知らない場所よ」

 その瞳はきらきらと輝きを放っているようだった。

 領主様の解放条件は、はっきりとした規定はない。主人によっては死ぬまで解放されないこともあれば、奴隷を解放するのがステータスとして、多くの解放奴隷を援助している貴族もいる。主に都会の大貴族だ。

 領主様――マルクス・パトロスさまは後者に近く、さらにいうと、そもそも奴隷を奴隷として扱っていない稀有な人だ。奴隷の逃亡も気にせず、なにもないときには自由にどこにでも出かけることをゆるしている。かつて逃亡した奴隷がいたそうだが、数日して戻ってきた。涙を浮かべて帰参を求めると、領主様はまったくの不問にしたという。


 これが特別なことなのは両親から聞いていた。

 学校で学ばせてもくれる。自活する際には仕事の斡旋や、金銭援助までしてくれるという。ただし、女性は簡単ではないようだ。レリクスの知っている限り、多くはそのまま領主の仕事を手伝い、縁談を待つことになるっている。レリクスの両親は解放と同時に結婚した。解放後には一定期間、保護市民として、元の主人が生活の面倒をみたり、法的な後見人になる。

 これも領主様の計らいだったそうだ、奴隷の身分のまま結婚して、子供が産まれると、その子は奴隷になる。そうさせないためだったと両親からは聴いている。

 しかし、いくら奴隷から解放されるとはいえ、女性には旅行の自由がない。すべては家長に従わなくてはならない。いずれ結婚して、家長からの許しを得て、同行者と一緒でなければ、不可能だ。

「女性ひとりの旅はできないんだぞ」

 そんなことはフィアナも一緒に授業を受けているのだから知っているだろう。無粋なのがわかっていながら、そんなことを言ってしまう。

「どうしてもというなら、レリクスと結婚してもいいわよ」

「な」

 からかうような視線だったが、心が激しく掻き乱されてしまう。

「何言ってんだ。奴隷とは結婚できないんだぞ。持ち主に大金を払わなくちゃいけないんだぞ」

 焦りが勝ってまったく心にない返事になった。もし、その金があったらとも夢想していたこともあって、さらに心は掻き乱されたのだが、発した言葉は実にひどいものだった。


 フィアナは、いや奴隷の子は、いつもこの「モノ」のような言われ方で、自由市民の子にからかわれている。それをいつもかばっている自分が、同じことをするなんて。

 言ってしまった後で口をおさえてもどうにもならない。


 案の定、フィアナの顔がこわばる。

「ルキウスさまならそんなこと言わないわ」

 わずかに軽口のように返してくれたのが救いだ。

 にもかかわらず、僕はまた心にもないことを返答をした。

「そうだな、解放されたらルキウスさまにもらってもらうといい」

 平民になれば貴族とも結婚できるが、実際にはあまりない。貴族とは血縁でしかなく、ゆえにその血を薄めることはしないのだそうだ。あるとすれば、いゆゆる〈妾〉だ。

 ルキウスはレリクスから見たら兄のような存在、フィアナは妹のような存在。

 まだそこまでだ。フィアナが解放奴隷になるのも、自分が大人になるのも、ルキウス様がどんな結婚をして、どんな領主になるかも、遠い未来で、イメージがわかない。


 領主様の授業でこんなことを聞いたことがある。


 〈人生はあらかじめ定められている、だが、それを知ることはできない〉


 というものだった。すべてが決まっているなら、今日何かすることで明日が変わることはないということなんだろうか。でも明日はたしかにわからないから、変わったかどうかもわからない。

 結局それはどういうことなのだろう。

 領主様は「それを考え続けるのが使命だ」とも言っていた。


 フィアナとはもう長い付き合いだが、ユスティア教というものを僕はよく知らない。

「領主様があまり人に言うなって」

 女神ユスティアはもともと多くの神々のひとりだった。人間社会が戦争をやめず、愚かな行為を繰り返すので、すべての神が人から距離をおくために地上から去ったあとも、ただひとり残った。女神ユスティアは、剣と天秤をもつ〈正義〉の女神。最後まで人間を信じ、良き人間とだけ契約を結び、庇護下におき、死後神の国に連れて行くという。

 その話はユスティア教を信じる者だけのストーリーで、ほとんどの子どもたちは全ての神が天に帰ったと教わる。

 ユスティア教の言い伝えでは、ただひとりのこった女神ユスティアは人間を捨てたほかの神々を許さず、ユスティア教徒には、他の神を信仰することを禁じた。禁欲な日常生活をおくり、正義に反したものは罰せられるという厳しい戒律があった。

 いまレムシア帝国では他の神を否定するユスティア教は禁止されることはなかったが、その教義と帝国の政治が相いれず、時の皇帝によっては弾圧されることがあった。

 僕が知っているのはその程度だ。領主様の言葉の受け売りだが、実感が伴わない。

「そうだな。黙っていたほうがいいかもな」

 スプリアの街でも神々にまつわる年中行事があるが、フィアナが参加したことは一度もない。

「私はお屋敷で『約束の書』を毎日読んで、お祈りをするだけ。領主様も許してくださってる」

「知らなかった」

 レリクスは胸に一抹の不安がよぎる。だいぶ昔のことだそうだが、皇帝自らがユスティア教の一斉迫害をおこなったことがあるという。信じる神が違うことは帝国で許されているが、ユスティア教徒に限っては命の危険さえある。

「やめる気はないの?」

 レリクスはおもいきって口にする。

「なんでそんなこと言うの? お父さんとお母さんを捨てろと言っているようなものよ。領主様は一度だってそんなことを言わないわ!」

 予想以上の反応に驚いた。

 フィアナは養父母と数年しか暮らしていなかったが、実の両親として忘れていない。

「ごめん。その、心配だったから」

「……」

 返事はない。立ち止まったまま、

「そうよね。ありがとう」

 フィアナは微笑んでくれたが、気を使わせているのがひしひしと伝わる。

 なぜ、自分はこんなにも情けないことしか言えないのか。

 守るどころか、不安にさせているだけだ。

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