第12話 魔術師

【ソロンの森、アンブロシウスの庵】


 数日後、天気のいい日にひとりでアンブロシウスの元を訪れた。

 はじめて会った時はほとんど話をしていない。

 お礼すら、まともにしていなかった。

「この間のこぞうだな」

 あらためて対峙するとやはり恐ろしい。不気味な威圧感がある。

「これ、お礼」

 手にしていた魚の干物を差し出す。

 アンブロシウスはじっと見ていたが、やがてそろりと近づいてきて、ひったくるようにして干物を奪った。

 そして手でちぎってコンスタンティヌスに与える。だがその間もじっと僕を睨みつけているようだった。

「まだなにかあるのか?」

 睨まれたカエルのようにうごけないだけだったが、力を振り絞って声を出してみる。

「ぼく、レリクス。あの、な、名前は……?」

「アンブロシウス。魔法使いじゃ」

「え、あ、魔法使い?」

 なんの冗談か、意表をつかれてさらに焦りが募った。

 するととつぜん、アンブロシウスは大きな声で笑い出した。

 すると、アンブロシウスは手招きのような合図をして、自宅のほうへ歩き出した。

 家に招かれたらしい。


 そこに入るのは二度目だ。

 木の中とは思えない広さ。窓があって明るさはじゅうぶん、暖炉や本棚があり、机には字の書かれた紙のようなものがある。それから、ベッド。たくさんの木箱がところ狭しと置かれている。

 アンブロシウスは自分は椅子に腰掛け、ベッドを指差す。掛けろという意味だろう。

「お前は、わしがあの娘を助けたとき、ひどく辛そうにしていたな」

 唐突な問いかけだった。

 たしかに、複雑な感情だった。

「あなたに、悪い噂がありました」

「子どもをさらって、犬に食べさせると? ああ、たわけた話じゃ!」

 アンブロシウスは大仰な手振りをして声を張る。しかし、怒りは感じなかった。

「でも確かめる術はありません」

「そうじゃな。人間にはわかるまい」

「あなたは人間ではないのですか?」

「すくなくともここの人間ではない。それに魔法使いは特別な存在じゃ」

 魔法使い。

 おとぎ話でしか聞かない名前。アウラの力で精霊をあやつったり、火をおこしたり、不思議な力で人を拐かす。子どもですら子供騙しと思っている存在だ。

 こういうところが村人の言うホラ話だろうか。


「いずれにしろ、わしには先が見通せる。お前が今日ここに来ることも。己の闇モヤモヤを祓う目的でな!」

 アンブロシウスは言いながら両手を広げて大袈裟に言ってからニヤリと笑う。

 モヤモヤという言葉は知らなかったが、 なにかを祓うという表現がなんとなくしっくりいった。

「自分が正しかったのか。それを知りたいのじゃろう」

 ほんとうにお見通しのようだった。フィアナは1歳しか違わないが年下で、妹のような存在だ。いや、兄を気取っているにもかかわらず自分は二度も彼女を危険にさらした。自分はいつも判断を誤っているような気がする。とりわけ、フィアナの前で。

「教ていただけますか」

「何を言うておる。答えはお主しかもっておらぬ。おぬしが後悔したのなら、間違いに決まっておろう」

「で、では、どうすればよかったのでしょう」

「どうすればよかったではない、これからどうするかだ。過去をやり直すことは不可能じゃ。魔術をもってしてもな」

「……」

 目から涙があふれてくるのがわかった。

 堪えようとするとよけいに思いが逆流して、止まらなくなってしまった。

 そうだ。やり直すことなんてできない。でも、このままでは〈これから〉なんて考えられない。自分の情けなさを思うと、反芻したぶんだけ涙が出た。


 アンブロシウスは落ち着くまで、部屋の中で手作業などをしていた。

「闇が消えたようだな。闇は自らの中に留めておくとますます大きなくっていく」

 また芝居のようなセリフを唱える。

「あなたは賢者のようだ」

「わしは魔法使いじゃ、といっておる」

「おとぎ話には聞くけど」

「そう、おとぎ話じゃ。この世界ではな」


 そこからはまたホラ話のようだった。

 いわく、まったく別の世界では王に仕える魔術師だった。ドラゴンという魔獣や巨人と戦ったり、神の秘宝をもとめて冒険にも出かけた。ところが、王国は危機を迎え、王は死んでしまった。世界は未曾有の危機にさらされ、自分は妖精の国に避難した。しかし、ますます世界が混沌とするなかで、居場所がなくなり、魔法をつかって、この世界にきた、という。

 荒唐無稽すぎて相槌すら打つこともできない。

「もう何十年も前になる」

 話を信じるなら百年は生きていそうだ。

 だが、正直なところ、真偽はどうでもよく、もっと聞いてみたいと思う。

 まったくこの世ではない物語、冒険の数々。

 魔術師は、うってかわって身振り手振りをまじえ、得意げに、大袈裟に語って見せる。

 耳を傾けていると自然と笑いがこぼれる。

「この木箱にあるのは、魔道具と呼ばれるものじゃ。妖精の楽園から避難するときにもってきたものじゃ」

 アンブロシウスはいいながら、ひとつを見せてくれる。小さな小瓶。それを振って栓を抜くと光の粒のようなものがふわっと舞い上がる。

「火を使わずとも夜の灯りとなる」

 僕は目を丸くする。

「本物なの?」

「はじめからウソは言っておらぬ」

 しかしアンブロシウスによると、この世界には魔力がとても少ないのだという。そのため、アンブロシウスは魔法で元の世界に戻ることができなくなった。魔道具には込められた魔力がそのままのこっているので、効果が切れるまではその力を発揮できるのだという。

「じゃあ、いまは魔法は使えないの?」

「少々なら可能じゃし、魔力を込めた魔石を使えばそのぶんの魔法をこさえるのは可能じゃ」

 手のひらを広げると、そこにはときときどき鮮やかな青色を放つ石があった。

「これが魔石?」

「そう。呪文を詠唱し、手で砕くと、魔力が解き放たれる」

 それがどのようなことかは想像もできなかったが、ともかく心が躍った。


 それからは、すっかり遠慮の気持ちがなくなり、質問攻めにしてしまった。

 このわくわくする感情をフィアナと分かち合いたい、彼女を連れてきてもいいかと話すと、

「わしが人嫌いなのは本当じゃ。だが、縁のあるお前たちは特別にしよう。それ以外の者にはわしのことは話すな。とくに大人はだめじゃ。それから、来るときには必ず食い物をもってきてくれ。できるなら肉が良い」

 アンブロシウスは薬草をとり、薬にして商人に売り、生計を立てているのだという。その製法はこの世界では知られておらず、最初に売った商人が口コミで広めたため、定期的に買い付けに来るのだという。

 体を癒すものだけではない、精神を高揚させるもの、かどわかすもの、いわゆる毒となるもの、さまざまなものがつくれるという。

 それらは高く売れるという。

「ついでに、わしは果実を買うがな、肉は高くてな」

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