【第二幕】 The Wizard
第11話 森の狂人
【帝国東の属州スプリア/パトロス家領ソロン】
森道を歩いていると、木漏れ日がまるで光の道標のようにを案内しているようだ。風はあるが穏やかで暖かい。夏の昼下がりだ。
あまりに心地よい陽気に僕は駆け出した。
「ちょっとまってよ、レリクス!」
うしろから少女の声が聞こえる。フィアナだ。白銀の長い髪をなびかせている。
僕は振り向いて手を振るがまた駆け出す。
しばらくかけて息が上がったので、地面にしゃがみ、フィアナを待つことにした。
ソロンの海辺に近い学校から、人の住む集落、その先の吊り橋を過ぎると往来は少なくなり、山に向かって進むといっそう木々の闇が深くなる。
川のせせらぎの音に沿って歩くと、「蝶の谷」と呼ばれる場所に出る。
空のような色を模様にもつ「妖精の羽」という蝶が群生しているからだ。「妖精の羽」がこの場所に集まって木々にとまると、森一面が空色になる。この地の観光名所として夏になると多くの人が訪れるほどだ。
僕たちはその蝶の谷を獣道のような場所を通ってさらに奥に進む。
そこはとても太い幹の大木が聳えていて、周囲に木がなく、大木を囲むように陽光が差し込んでいる。
大木はほかには見ない種類の木で、湾曲した枝をいくつももち、幹には蔦が絡まっている。
そしてなによりその庵は自然にできたツリーハウスであった。人工物ではなく、まるで家として生えてきたかのような姿だった。
ここには、村人から「狂人」と呼ばれた男がいる。
いつの頃から住み着いているのかもわからない。少なくとも地元の人間じゃない。
「狂人」と呼ばれるのは、非常に気性が荒く、口にする話はすべてでたらめのホラ吹き、夜には獣のような声で鳴き、時折、迷う子供を攫って食べるのだとかいう噂があるからだ。そうして、小さい子にはとくに近寄らないよう言われる。
それが、森に入らないために利用されている噂であることを僕は知っている。ただし人嫌いの偏屈というあたりは真実で、住民とはほとんど交流がなく、時折、商人連中が訪ねてくるだけだそうだ。
僕たちが庵についた時、ちょうど「狂人」は軒先で食事をつくっていたところだった。
「やあ、アンブロシウス! 来たよ」
村人が噂する狂人、アンブロシウスと呼ばれた男は、小汚いローブをまとい、とんがり帽子をかぶっている。長い白髪、長い白髭の老人である。
「招いたおぼえはないぞ」
皮肉めいた口調でアンブロシウスは答える。
「あらでも、そのシチューは三人分はありそう!」
フィアナがはじけるような笑顔で言った。
「わしは魔術師じゃ。招かざる客が来るのはわかっておった。そして飯をせびられるのもな」
「その予知ははずれだね。ご飯を食べにきたんじゃないよ」
「いいだろう。食べないのだな」
「うそうそ、いただきます」
「そうだろう。予知がはずれることはない」
僕たちは丸太に腰掛けて、木の椀に注がれた野菜のシチューに口をつける。
「おいしい! あたたかい!」
フィアナの声にアンブロシウスはにっと右の口角を大きくあげた。
※ ※ ※
この狂人と出会ったのは、2ヶ月ほど前だった。
僕がフィアナを連れ出し、森を歩いていた時のこと。急な激しい雨と雷に見舞われた。
フィアナはそれ以前も体調が悪そうだったが、雨がやむのを待っている間に、体を冷やし、ついには熱を出してしまい、動けなくなってしまった。
僕はフィアナの肩をもち、雨の当たらない場所を見つけて、そこでフィアナを休ませた。彼女は目を閉じたまま時折咳き込んでいる。
たいへんなことをしてしまったと責任を感じつつも、対処方法がわからず、自分の上着をフィアナにかけ、寄り添うようにしていた。
そこへ、魔獣のような唸り声が聞こえた。
野犬だ。僕たちを低い唸りで威嚇する。窮地に生きた心地がしなかった。
野犬によって大怪我をした人、喉を噛みちぎられて死んでしまった人、これまで何人もいるのを知っていた。だから、天気の悪い日に子どもたちだけで森に入るのは禁じられていた。
なのに、僕は……。
自分が襲われることより、自分の間違いでフィアナを危険にさらしたことがショックだった。
野犬は距離を保ちながら、威嚇を続ける。隙ができるのを待つかのように左右に移動する。
しかし、その時、遅れて姿を現したのがアンブロシウスだった。
アンブロシウスは「コンスタンティヌス」という飼い犬を連れていた。
コンスタンティヌスは野犬にも劣らぬ唸り声をあげ、しばらく睨み合いが続くと、野犬は後ずさった後、逃亡した。
アンブロシウスは僕たちを自宅に連れ、何もいわずにフィアナに薬を飲ませ、看病をしてくれた。僕は村の評判から恐怖を感じていたが、だまってそれを見ていた。勇気がなかっただけだ。もし、村の評判通りの男だったら、さらにフィアナを危険に晒したことになるのかもしれないのに。
幸いフィアナはすぐに快方に向かい、僕たちは遅い時間にならないよう家路についた。
帰りはコンスタンティヌスが送ってくれた。
大人たちにはひどく叱られたが、心ここにあらずだった。
自分を最も傷つけるのはいつも自分だった。
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