第10話 返却

【レムシア宮殿】


 皇帝ディオスの治世は2年を過ぎた。

 その間にこれまでにない改革を行なった。


 まず、皇帝としての立場を強化した。

 自らの権力が大神に与えられたものであるとし、これまでの数十年間に勃興した皇帝を暗に否定した。神々の丘で演説し、帝国の内部での騒乱を起こさないことを誓うとともに、皇帝への服従を求めた。これは異例なことだった。皇帝は独裁者だが、元老院の手続きは尊重する姿勢をみせるのがこの国の慣習だ。

 そこへ自分の神性を主張し、服従を誓わせたのだ。

 謁見にはものものしい手続きを必要とし、限られた人間のみが会うことができた。

 市民どころか、貴族、元老院などすべてを遠ざけた。

 この国は皇帝を戴いているとはいえ、皇帝も市民のひとりであるという慣習があった。

 それを覆すことは一千年の歴史を否定することになる。しかし、それは大神官の宣言によって公言され、皇帝は神そのものであるように伝えられた。


 だが、表立って反発は起きていない。

 それには即位後一年間の実績が背景にあった。


 最大のものが軍事境界の安定だろう。

 副帝マクシスは皇帝に匹敵する軍事権限を与えられ、北の蛮族討伐にむかい、輝かしい戦果を上げた。さらに西に向かい、属州での内乱を鎮め、属州軍を再編して皇帝軍を組織すると、西の要衝にあらたに街を建設した。

 皇帝ディオスも東に赴き、侵略者を撃退しながら防衛線を構築していった。

 はじめの一年、皇帝と副皇帝はほぼ戦場にいた。


 いっぽうで軍人と官僚を分けた。

 貴族や裕福な平民が半ば世襲的に担ってきた軍事・行政を切り分け、軍官・文官を創設。そこに市民であれば属州民、異民族の区別なく多くの人材を入れ、場合によっては重職ですら平民を活用した。身分の差はかつての皇帝が発令した法によってなくなっていたが、現実には存在していた。ディオスはこれを名実ともに撤廃したうえに、技能の分散を防ぐために専門職制度を採れ入れた。さらに元老院の肩書きで自動的に就ける各行政の要職も、その分野に実績のある者のみを採用することにした。

 元老院はディオスの発令があるたびに弱体化していていった。そもそも出世システムでしかなかったものだ。それを突然取り上げられて、備えている者などなかった。


 そして皇帝となったディオスがまっさきにやったのは手のひら返し。近衛騎士をほぼ解体し、軍事システムを改定して皇帝の影響力をさらに強めた。これは副皇帝マクシスとの分担があったからこそできたことだろう。皇帝の警護は新たに親衛隊が創設された。皇宮においては最大の権力をもつ組織だ。


 行政においては民会が法案を議論して、それに承認を与える存在である元老院を徹底的に無視して〈皇帝勅令〉を基本にした。皇帝の選出ですら元老院の儀礼的特権だったが、副帝が次期皇帝であると定め、副帝の選出を皇帝独裁とした。これで元老院での手続きは不要になる。あらゆる政策は元老院の上位組織である、皇帝直属の評定衆によって議論、決定がなされた。


 徹底的な独裁だった。

 これまでどんな皇帝もここまでの専横はしなかった。


 だが、産業、行政、軍事の専門化による意思決定の速さが改革の効果としてあらわれ、実際に現場が改善されていく。新しい制度に慣れると市民生活も向上していった。すると反発しているのは元老院をはじめ、既得権益を失った貴族たちだけになった。


 マール自身も特別不満はなく、当初の好奇心はすっかり影を潜めていた。

 マールの役目は多くの属州を視察して報告することになっていた。「監察官」という新たな役職を得て、旅をする。これまで自分が好き勝手やってきたことに給与が出るだけだ。しかも、どの街でも歓待される。

 飲めや歌えはもともと大好きだ。

 立場を忘れて、権力者が悲惨な死を迎える歌をあちこちで歌いまくった。


 何百年も続いた因習を壊し、徹底的に効率を突き詰めたようにみえる。

 奴隷の扱いにしてもそうだ。これまで所有者の自由だったものに制限を加えた。理由のない処罰や過剰な労働によって死なせた場合に課税した。そして子どもの奴隷は完全に禁止した。

 いっぽうで、辺境地に投資して植民地に築く際には奴隷の提供をおこなった。これは期限付きで、開拓をした土地に応じた割合の農地を与えて解放する義務をもたせた。


 次々と発せられる改革に、帝都のレムシア人は驚いた。帝国がかつての栄光なく、凋落に向かっていたのはたしかだが、本国に近い多くの市民には危機感がない。軍事的成果と市民の支持を裏付けにしていたとはいえ、あまりにも大きな改革だ。


「しかし、陛下はなぜ伝統をここまで変えようとなさるのです?」


「帝国の繁栄のためだ」


「そうなんでしょうけど、それにしても大胆な決断はどこからくるのでしょうか。それをうかがいたいんです。僕、あなたの歌をつくらないといけませんからね」


 急激な改革は反発をうむ。保身を考えるならば、ある意味危険水域だ。


 政策の多くはゼノンという男が策定しているのは知っている。皇帝は元老院を骨抜きにするために、評定という上位組織をつくった。皇帝の直属諮問機関だ。そのトップがゼノン。

 マールと同じような側近的立場だが、彼はより実務の助言をしている。異民族の出自であるのも珍しいが、東方パルチアの政治、軍事に詳しく、ここ何十年もレムシアがパルチアに対して劣勢な理由を彼の国と比較して述べ、よきところを取り込むよう改革を促していた。そのたびにマールは意見を求められるが、あまりにも正論というか、対策としては百点のように感じられたので、いつもはっきりと反対はしなかった。

(そもそも、経済とか、興味ないよ僕)

 それにすべては効率重視のように思えた。

(人間が人間である限り、すべてが効率的になるなんてありえない)

 マールはそう思っている。

(人間は自由だ。国家の都合で生きているんじゃない)

 だが、それを抜きにしたらゼノンの献策はもっともだろう。


 皇帝もすべてを受け入れてはない。ひとつずつ優先順位を定めて、決断する際には躊躇しなかった。


「少し急いているのはわかっている。しかし、時間がないのだ。まだまだなのだ。これは手はじめにしか過ぎぬ」


「そうでしょう。人生は短いですからね」


「そうだな。――ああ、そうだ。貴殿に頼みたいことがあった」


「なんでしょう?」

 久しぶりのおつかいだろうか。


「遠い昔、とある人物に借り受けたものを、返却したいのだ」


「ただのお使いてはないようですね。その人物は陛下の道程に欠くことのない重要なピース――じゃないんだったら行きませんよ」


「想像の通りだ。その人はスプリアという街にいる老人だ」


「承りますが、陛下は西の出身では? スプリアは東の港町です」


「そうだな。だからこそ尋ねてもらいたいのだ。そこは余を語る上で不可欠の場所だ。いまそこがどうなっているか。海の色、空の色、森の闇の深さ、人々の生活、戻ったら詳しく聞かせてほしい」


「……いいでしょう。承ります」



 ※  ※  ※


 数ヶ月後、マールは任務を終えると、宮廷に戻り、皇帝に報告する。


「戻りました」


「うむ」


「お預かりした品は、きちんと返してまいりました」


「そうか。スプリアはどうだった?」


「美しい街でした。どこでも見られないような美しい青色をしたアドリアネの海。柔らかい潮風がずっと離れたソロンの街にも届いてきました」


 皇帝は目を細めている。

「いつかスプリアに居を移うと思う」


「いいですね。ソロンの街にある〈蝶の谷〉は観光地ですよ」


「ああ……」


「それで、ようやく陛下の歌がつくれそうです」


「そうか」


「これはぜひ仕上げなければなりません」


「ぜひ頼む。なるべく急ぐよう」


「まるで、明日にでも死ぬような」


「誰にでも死は訪れる。明日やも知れず、20年先やも知れず」


「人生はあらかじめ定められている。しかし、それを知ることはできない」


「……」


「ようやくわかりました。あなたは、やっばり、皇帝を暗殺したんですね?」

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