第9話 追跡

【ロベニア州】


 マールは道すがら考えていた。

 ユリアヌスの遺族はもう残っていなかった。

 すべてが近衛騎士隊、すなわちディオスによって処断されていた。

 警察権をもち、緊急時には裁判を経ずに処刑が可能な近衛騎士は特権をもっていた。


 ユリアヌスは一族含め、ことごとく処断された。

 当然だろう。政敵だらけであるし、その怨恨は相当なものだ。


 だが、すでに十分な権力をもっていたユリアヌスが、皇帝の座を狙う必要があっただろうか?

 理由がなさすぎる。たとえうまく事をなしたところで、その座を手にいれることができただろうか。

 いや、無理だろう。内乱が起き、ディオス一派の軍事力で結局のところユリアヌスは排除されていただろう。だから、ありえない。


 ユリアヌスは皇帝カルスを襲う1年ほど前、ロベニア州にある大農園を手に入れている。

 新興貴族に寄贈されたものだという。

 権力者への賄賂は頻繁にあっただろう。

 それにしても規模が大きい。

 寄贈者はデキムス。解放奴隷の子だが、一代で海運業で財を築いた。

 皇帝総代官ユリアヌスは新興貴族を中心に、見返りを要求するかわりに、中央政界や行政において、さまざまな便宜をはかっていた。

 デキムスはその最大の顧客だっといわれる。


 しかし、デキムスはユリアヌスへ大農園を寄贈した直後に溺死体で発見されている。


 この死にも疑惑がある。ユリアヌスにとって都合が良すぎるからだ。

 大農園の寄贈の見返りがなんだったかはわからないが、その密約を果たす必要がなくなったからだ。


 マールが大農場を歩いていると、歌が聞こえてきた。


 農場の農奴たちはみな歌いながら雑草取りをしている。

 一列に並んだ農奴たちはリズムにあわせて作業をしている。

 思わず見惚れてしまう風景だった。


(ウワサとだいぶ違うじゃないか)


 デキムスは平民出身で公共事業や剣闘への出資で市民にはそれなりに支持されていた。

 ただ不正や汚職の疑惑があからさまで、一部の学者や弁論家が攻撃の対象としていた。

 また、デキムスに買われた奴隷は早死にすることも有名だった。デキムス自身、両親が解放奴隷であったにもかかわらず、奴隷の扱いのひどさは近隣に知られている。そのことも一部の貴族たちからは批判の対象になっていた。


(主人が変わったせいだろうか)


 ユリアヌスの死後、裁判によってその財産はすべて皇帝の財産とされた。皇帝領となってからは経営者として皇帝の代官が派遣されている。その時、待遇が改善されたのだろうか。


(いや、あのカルス帝じゃ、それはないよな)


 マールがこの土地に興味をもったのは、所有者が次々と死に、最終的に現皇帝ディオスの元にわたったことだ。デキムス、ユリアヌス、先帝、そして現在の皇帝ディオス。帝国本国に近い大農場とはいっても、いま現在、帝国の食糧の多くを供給しているのは、属州のホルスであり、ここはすでに伝統的に皇帝領だ。しかも、デキムスの本業は海運業。


 マールはひとりの奴隷に話しかける。

「やあ、ちょっといい?」

 そう言うと、ひとり青年が振り返り、布で汗をぬぐった。

 兵士のような体つきだった。地方では平民でも食料不足で痩せているが、食生活がよいのだろうか。

「はい、なんでしょう?」

 爽やかな笑顔を返事をする。

「ここってデキムス殿の農園だったよね。その時からいる人は誰?」

「私がそうです」

「皇帝領になってからなにか変わったことはある?」

「いえ、ありません。先帝カルス様のときも、ユリアヌス様が領主だったときも変わりません」

「そうなの? でもひどい評判だったよ」

「ああ、ここが変わったのはデキムス様が亡くなる数ヶ月前のことです。それ以前はひどいものでした。ここにきた農奴はいずれも長生きができませんでした」

「やっぱりそうだったんだ。でも、じゃあ、急に変わった?」

「はい。突然、方針が変わりました。われわれ奴隷がいきいきと働くのが第一だと」

「へぇ」

「はい、でもそれが生産性を高める方法だと。実際、あれから過労で死んだものもいません。体調不良になればすぐに休ませるので、復帰は早く、結果的に人手不足でほかの者にかかる負担もほぼなくなり、新しい農地をつくる余裕もできて、生産高は上がっております。これが認められたのか、このやり方は持ち主が変わってからも引き継がれています」

 青年はなにか誇らしいような感じで言った。

「すごいね。デキムス氏はなんでそんなに変わってしまったんだろう?」

「わかりません。ある時、街にいってらして、暴漢に襲われたそうです。危ういところだったようです。そのあと、こちらに戻られた時から、農園の経営の仕方は変わりました」

(命びろいをして考え方がかわった? ない話じゃないけど……)

 心変わりをしたのだとしたら、皮肉なことにデキムスはその後すぐに死ぬ。わずか1年だ。改革に成功した大農園を時の権力者に寄贈してなにを手に入れたかったのだろう?


 わからない。

 デキムスがユリアヌスに要求したものが。


 ※  ※  ※


 デキムスの水死体があがったのは、大農園から馬車で半日の距離にある宿場町にある川だった。この川は近郊にある最大の都市であるミラの街へと南北に流れる一等河川だ。渡るには大きな橋か船が必要だ。

 遺体を見つけたのはマス釣りの漁師だったという。

 宿場から離れたところにあるおんぼろの長屋を訪ねる。


「もちろん、溺れ死んでたよ。すぐに衛士に知らせたね。そしたらすぐに近衛騎士が帝都から来たよ。褒美をもらったよ。そんなことはじめてだったね。やっぱりえらい人だったからかね?」

 これまた薄汚れた老人が出てきたが、なんとも気さくな人物だった。

「そうかもね。ほかに何か聞かれた?」

「川渡しのメレスはどこにいるか知っているかって聞かれたよ。あいつとは飲み仲間だから、当然知っていたよ」

「誰?」

「渡しの漕ぎ手をやっているやつさ。まれに貴族やら元老院の金持ちが人に聞かれたくない話をするときに船を使っていてね。メレスはそれをやっていたから、羽振りがよくてね、よく大きな金が入ったらおごってくれたよ。わしがデキムス殿を見つけた前の日も、臨時収入があったらしくてな、大盤振る舞いじゃった」

「えっ。それじゃあ、船遊びだか、その密会の時にデキムスは殺されたのかもしれないじゃないか! その話、近衛騎士にはしたの!?」

「いやいや、友だちを売るようなことはせんよ」

「じゃ、なんでいま話すの?」

「もうみんな死んじまったからな。おそらくいっしょに船に乗っていたのはユリアヌスじゃろ。デキムスとふたりはよく使っていたとメレスが言っておったからな。ちょうどその頃バロマの街にいたというしな。いまとなってはどうでもいいわい」

 老人は話したいことだけ話尽くしたのか、釣り糸をまさぐりはじめた。


(その場にいた者は誰も生きてはいないけど、ユリアヌスが船から突き落とすなどして殺した、というのはすぐに疑えそうなものだ。だけど確実な目撃者、あるいは協力者である漕ぎ手がすぐに死んでいる)


 デキムスの死の真相は隠蔽されたようなものだ。

 得をするのはユリアヌスのみ。

 だが、警察権をもつ近衛騎士がこのようなことを見逃すだろうか。


 陛下――近衛騎士隊長だったディオスと、前皇帝総代官ユリアヌスがグルだったとしたら。結局、あの大農園は皇帝領となって、ディオスの手に入ったわけだ。そこにこだわる理由はわからない。単なる偶然かもしれない。


 結局、「皇帝暗殺」の真相に辿り着くどころか、ますます理解不能になった。

 動機ははっきりしている。ディオスは帝位を狙っていた。隠しているようすもなく、婚約者にも知られていたし、近衛騎士にいたっては協力者だろう。彼が帝位につけた最大の理由は近衛騎士はじめ兵士の推薦があったからだ。へたをするとユリアヌスですら協力者だったかもしれない。結果的にはユリアヌスはもっとも都合のいいタイミングで退場した。


 都合がいいようでなんとも無計画でちぐはぐな感じだ。

 まるで、関係者全員が、ある時から急におかしな行動を起こしている。

 別人に操られでもしたんだろうか、というくらいに。


(これは、もうお手上げかな)

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