第8話 目撃
【レムシア宮殿/マールの自室】
(なぜだろう、皇帝の名代として人と会うたびに、陛下の先帝排除の疑惑は明確になるのに、おかしな謎が深まっていく)
元近衛騎士副長メッテルスの縁者であり、先帝の薬の仕入れ先である薬屋はマールの進言により摘発された。取引として主治医のからの情報源であることは伏せられた。
「皇帝暗殺」には直接言及されず、同じ薬を服用した高級官僚の何人かが事故などで亡くなったことに対して疑義がかけられたという次第だ。マールの進言があってからの対応は素早かった。
まるで、その事実をあらかじめ知っていたかのように。
(結局、僕は利用されているのだろうか)
そう思いながらも、マールは理解し難い事実に直面している。
まず、例の薬の効能についてはこれからの検証が必要であるが、同じ薬が原因で亡くなったとみられる有力貴族が、そろいもそろって反ディオス派だったからだ。
それなのに、肝心の「皇帝暗殺」に例の薬は関係ないという。主治医が皇帝の健康回復を確認して以降、皇帝は例の薬の服用をやめているという。だとしたら、薬が皇帝の命を奪った可能性は低いのではないか、と主治医は語っていた。
それから、主治医はもうひとつ気になることを言っていた。
「カルス先帝陛下には体にいくつか戦場での向う傷がありました。目立たない傷でしたが、三箇所。それが、あるとき、消えていたのです」
ますます、わからない。
いったい何が起きていたと言うのか。
(僕はこの謎を追うべきなんだろうか。知りたい根性はあるが、誰も望まない真実だったとしたら無意味なのではないか)
マールは真実を追うべきか迷っていた。
カルス帝はわずか在位三年で戦死した先帝の息子だった。軍人として有能だった一時期は国民から支持されていた。しかし、帝位につくと、出征することはあまりなくなり、観光地をめぐることが多くなった。そして、軍事境界線は危ういものになり、戦費が嵩んで臨時徴収が何度も行われている。宮廷内部でも頻繁に処刑が行われ、徐々に恐怖政治の様相を見せはじめた。
カルスが暴君、愚帝と呼ばれるのに時間はかからなかった。
それに比べればディオスは平民の出自というのもあっていまは歓迎ムードだ。
この交代劇にどんな裏があったとして、誰が知りたがるのか。
僕は独裁者はどんな人物であっても嫌いだ。貴族などの権力者も同様に嫌いだ。
人は生まれたからには自由と平等を獲得すべきだ。
はじまりがどんなものであっても、生まれてきた時点で人生が決まるような社会の風潮、自分は、それを否定するためだけに生きてきたと言っていい。
だから、吟遊詩人になった。
価値観の普遍性を否定するために、あらゆる国の伝承、物語、歴史を集めた。多くは悲劇だった。とりわけ、為政者の最期を語り、平民や奴隷のささいな日常における崇高な喜びの瞬間を切り取った。それは意図的に捻じ曲げられたものだが、必要なバランスだと思った。
(僕は意図的にほら吹きなんだ)
そんな自分が迷っている。皇帝というこの世で最大の権力者の疑惑が深まっている。
ここまで手に入れた話を歌にすれば、真相は別にしても民衆に受けて、もしかすると失脚のきっかけをつくれるかもしれない。数少ないが、皇帝反抗勢力は厳然と存在している。そうなれば帝国はまた混乱するだろうが。
そもそも世論にまったく影響がなかったとしても、歌うことが自分の使命だと思っている。
でも、いま自分がそれをしたいのかはわからない。
皇帝に雇われているかどうかはそもそも関係ないはず。
だが、心にひっかかるものがある。
(僕はまだ陛下のことをよく知らない)
人を見抜く力こそが自分の能力と思っていたが、いまやその自信は牙城を崩されていた。
(それに、最大のもやもやは、あの日見た光景だ)
マールは先帝カルスが襲われた現場を見ていた。
唯一の目撃者だろう。
現皇帝ディオスが立ち会った皇帝カルスが死んだあの日のことではない。
側近であり、元執政官のユリアヌスが死んだ日だ。
※ ※ ※
あの日、マールは新曲が皇帝カルスに不興をかって、宴会場を追い出され、城壁の高いところに登り、ひとり楽器を携え、散歩をしていた。
こういう扱いは慣れていた。
酒宴で客を楽しませるのが仕事ではあるが、マールはときおり、自分本位に歌をつくってしまう。皮肉と、嫌味がたっぶりつまった内容だ。
それがとりわけ権力者を批評するものであるので、庶民には喜んでもらえても、王宮でウケないのは経験上よく知っているが、興がのってくると、ついやってしまう。
世の中の真実、言いたいことが言えない毎日、どれも歌にするならぴったりだろう。
歌にしかできないことはいっぱいある。
理想の恋愛、理想の戦士、理想の生き方、出自の違いはあっても求められるのは、結局そこだ。
それは誰もが経験できるものではないにも関わらず、実際、多くの人間にとって経験したことがないはずなにのにもかかわらず、絶大な共感が得られる。
人は実体験をなぞって共感するわけではない。
そのことをマールは学んでいた。
美しいことと、醜いことを経験することによって、自分の人生にはあらわれていない〈未知の理想〉を紡いでいるのだ。
理想は人が生きる糧になる。
でもみんなが見ようとして見ない事実にも同じだけ価値がある、とマールは思う。
そんなことを思いながら歩いていると、視線の下にあるバルコニーに二人の人物が見えた。暗くてはっきりとは見えなかったが、一人は体格と着物からして明らかにカルス皇帝陛下だった。ふたりは明らか口論している。その口調が激しくなると、衛兵が扉を強引に叩き開けるような激しい、音が聞こえた。
その間にユリアヌスは皇帝との間合いを詰めようとしていた。
「殺せ!」
皇帝は叫んだが、次の瞬間、ユリアヌスが皇帝の懐に飛び込んだ。
しかし、力尽きて膝をついたのはユリアヌスのようだった。
ほぼ同時に衛兵はユリアヌスの背を切りつけた。
ユリアヌスは皇帝に身を預けながら倒れ込んだ。一撃で仕留めたようだ。ユリアヌスは皇帝に覆い被さったまま、動かない。事切れているようだった。
衛兵はユリアヌスを蹴り上げてどかした。
その時、月明かりが出て、光景が変わった。
衛兵が近衛隊長のディオスだとわかる。
そして下敷きになっていた皇帝は気を失っているのか、動かない。
ユリアヌスに刺されたのだろうか。
しかし、それよりも、驚くべき光景を目の当たりにしてしまう。
ディオスが剣を握り直し、皇帝に狙いをさだめているのだ。
「あっ!」
マールは思わず口にした。
その時、ディオスは手を止めた。そして間違いなくマールと目を合わせた。
その横で皇帝の手にいつの間にか短剣のようなものが握られているのが見えた。やはり、ディオスよりも先に皇帝が仕留めていたのか。皇帝は短剣を素早く懐にしまった。
そのふたつを見たのは一瞬だった。
月は再び隠れ、わずかに部屋灯りが漏れる状況に戻っていた。
他の衛兵も駆けつけ、皇帝も起きあがろうと手をついていた。
マールはそっと身を隠した。
後日、ユリアヌスの死が発表された。
皇帝暗殺を仕掛け、返り討ちにあったということだ。
皇帝と同等かそれ以上に庶民に憎まれていた側近ユリアヌス。
皇帝が政治を放棄し、その委任を受けて宮廷をほしいままにしているといわれた悪人。
これを打ち倒したことでディオスの評判はさらに高まった。
実際、ユリアヌスの死により、名実ともにディオスが帝国ナンバー2となったのだ。
すべては現皇帝ディオスの栄達に繋がっている。しかし、解せないのは、あれがユリアヌスであったとしたら、あの時、すでに事切れていたのではないだろうか。なぜディオスの手柄ということにされたのか。
事件後、ユリアヌスの親族である一族が違法行為によって糾弾され、処刑された。
なにかしらの裏がある。
いや、かならず真実がある。
マールは、それを知りたいという好奇心を抑えられなかった。
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