第7話 主治医

【エミリア州ソト/医師ピオス邸宅】



 (もう、陛下……ディオスが先帝カルスをその座から引き摺り下ろそうと画策していたことはほぼ間違いないような気がしている)


 マールはそれでも不思議に思うことがある。なんで、自分にその手がかりがわかるような行動をさせるのだろう。隠匿したいなら、いくらでもあるだろう。それに、もしなんらかの謀があって陛下がいまの地位に就いたのだとしても、自分が知る限り、それを責める人物は一部の貴族、既得権益者、大虐殺されたユスティア教徒くらいだろう。それ以外の、民衆やその他の多くは新皇帝を支持している。


 そして、次にマールが派遣されたのは、先帝の主治医である。彼もまた、新皇帝の即位によってお役御免となった。その慰労金をマールが預かっている。


(これも口止め料な気がするんだけど……)


 主治医は金子をうやうやしく受け取り、レムシアの礼儀にのっとり、客人にワインをふるまった。奴隷がグラスを運んでくる。ガラス製品は身分の高い者の象徴だ。

 主治医とは先代のときに宮廷に出入りしていた時から何度も顔を合わせている。お互い皇帝に直接かかわる身分だった。


「じつは、いまの皇帝陛下の業績を讃える歌をつくっていましてね。陛下のことで、なにかお話できることはありますか?」


「いえ。私は先帝の主治医ですから、ディオス陛下につきましては、騎士隊長として陛下のお側にいる姿を時折、見る程度でした」


「だよね。ところで先帝陛下が亡くなった時、なんでふたりきりだったの?」


「陛下の所望です。人払いでのお話があるようでした。しかし、小屋の周囲には蟻の入る隙もないよう近衛騎士が配置されていました。ディオス様の指示で」

 主治医は勘がいいのか、マールが聞きたいことを先んじて話してくれた。

「マール殿が知りたがりなのは、うかがっておりましたからな」


「そっか。じゃあ、ついでにズケズケと聞いちゃうけど、本当に外傷も毒も確認できなかったの?」


「はい。間違いありません。大神に誓って」


「聞いた通りの話ばかりだね」


「そうです。民衆がいうような物語はありません」


「お金もらったからじゃないよね?」


 そう言うと、老人と呼ぶにふさわしいこの男はにわかに形相を変えた。


「失礼にも程がありますぞ。そこまで仰せになるのであれば、この慰労金はお返し申し上げる。陛下にもそのようにお伝えください!」


「えー、ごめんごめん。そんなつもりじゃないんだ」

 意外な反応にマールはたじろいだ。


「では、どういうおつもりか。私はこう見えましても医師として専従するまでは帝国軍人として数々の戦場で多くの命を奪いながら自らの命を賭し、エラシアの奴隷より医術を学んでからは別の形でひとすじに人の命に関わってまいりました。命を扱うものに嘘があってはならないのです!!」


「ごめんなさい! 嘘だとは思っていません! でも、不思議に思っただけなんです」


「人が突然、死ぬことはあります」

 主治医は落ち着きを取り戻してくれた。

「とくに高齢になると浴場から外に出た瞬間に倒れたり、転倒して打ちどころが悪かったり、いくらでも例はあります」


「そう。陛下はとくに持病が多かったらしいから、そうだよね」


「……」


(あれ?)

 なんで、目を逸らすのさ。嘘は言わないと宣言した人間が、それはないだろう。


「持病のせいではなかったの?」


「陛下はありとあらゆる持病がありました。かつて戦場で名声を上げられて武勲比類なしと言われたのも大昔のこと、即位なされてからは、暴飲暴食による肥満、たびたびなされる臣下への強い叱責も体にはよくありませんでした。年々体力も衰え、晩年は筋骨の可動は最小限でした」


「あれだけ太っていたもんね。健康とは思わなかったよ」


「ですが……」

 なにか言い淀むことがあるんだろうか。というより、言いたそうにしているように見える。


「なに?」


「いえ。もはやこの治世では無関係のことでございます」


「え、知りたいな」


「いや、無用のことです」


「それを決めるのは君じゃないでしよ。ぼくは陛下の名代だけど、一介の吟遊詩人でもあるよ。個人的には知りたいな。他言はしないよ。もし信じられないなら、今回の金貨を二人で分けようか。ぼくへの口止め料。それで共犯。お金の問題じゃないと言ってたけど、いい使い道でしょう?」


 案の定、この老人は食いついてきた。全額返すというのに、半額でそのもやもやを話せと言われたのだ。むしろ屈辱感はましただろう。


「そうですか。話しましょう。それをどうするかは何も意味がありません。もはや新皇帝の治世が始まっておりますし、いまのところ政局は安定しています。もしあなたが私の話を、混乱に用いるというなら、さして役には立ちませんよ」


「僕は皇帝陛下に仕えてるんだってば。それにこんな〈大人モドキ〉がなんかすると思う?」

 マールの言い方はとても卑怯ではあったが、すべてが道具になるというのは幼い時から染みついた処世術だ。


 主治医はしばらく考えてから話し出した。

「皇帝陛下が亡くなった理由は私にもいまでもわかりません」


「え? さっき突然死はありえるっていったばかりじゃん」


「ありえますが、あのときの陛下にかぎってはその可能性は低いでしょう」


「どうゆうこと?」


「陛下は健康だったのです」


「は?」


「はっきり申し上げれば、少し前の陛下であれば、死因が不明とはいえなかったでしょう」


「少し前?」


「はい。半年ほど前だったでしょうか。定期的な問診をさせていただいたとき、陛下は肥満体であることをのぞき、見違えるように不調な箇所がありませんでした」


 自分以外から怪しげな薬剤を仕入れて服用している、という話は聞いていた。使用を控えるよう主治医は進言していたが、受け入れられたことはなかったし、何をどれくらい摂取しているのかは主治医である自分も知らなかった、という。


「その薬が効いたってこと?」


「そうかもしれません。ですが、そうなると、死因がわからないのです」


「なるほど。でも結局はその薬のせいかもしれないよ。薬が毒になることはよくあるからね」


「おっしゃる通り。そもそも、あれは霊薬だったのではないかと思っています」


「霊薬? ああ、あれか」

 東方から交易で一部伝わってくる材料でつくられる向精神薬。依存度が強く、古くは軍隊に使われていたが、常用すると自制がきかなくなり、死亡事故も多発したため、時の皇帝がただちに禁止令を出している。しかし、裏社会では高値で取引されており、購入できるのは裕福な貴族だけだという。


「いまとなってはそれが何かはわかりません。しかし、私は死因について毒物の摂取の可能性はないと判断しました。日頃に何かを見落としていたのかもしれません。自分でもこのような体たらくで、死罪をたまわっても仕方がないのかと思いましたが、ディオス様はこれまでの不摂生がたたって突然死されたと発表なされました」


「なるほど。ちゃんと君に聞いたうえで、君が死因がわからず困っているのを理解してから、あの発表がなされたんだね」


「そうです。ですからこれは口止め料の類ではないと理解しています」


「そうだよ。これは本当に慰労金さ。全額受け取りなよ。話してくれてありがとう」


「……わかりました。今後の医術のために役立たせていただきます」


「うん。そうしてもらえると助かるよ」


「ちなみに、その先帝が摂取していた薬の出所は知らない?」


 本当に隠し事ができない人物のようだ。

「陛下が快癒されていたので、無用とは思いましたが、調べたことはあります」

 マールは主治医からその仕入れ先を記した紙を受け取った。


 後日、その薬の提供元が、先日この世を去った元近衛騎士隊の副隊長メッテルスの縁者であることが判明した。メッテルスはディオスの腹心だった男であり、先日始末された男だ。

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