第6話 婚約破棄
【レムシア帝都/ディアナ・ソティス宅】
その元婚約者の元へ赴くように言われたのは、新皇帝即位後、ソニアとの婚姻を発表する少し前だった。
手紙と手切れ金をもたされたマールは「お別れ」の使者となった。
「陛下、ここはご自分で行くべきでは?」
「やらねばならぬことが多いのだ」
「薄情ですね」
「情で政治は行えない。当然だろう」
「時と場合によりますよ」
まるで贖罪の使者だ。
元婚約者ディアナは、皇帝と同郷で幼い頃からの知り合いだそうだ。年は15も離れていて、皇帝は妹のように愛でていたという。
ディオスには妻がいた。女子をもうけたが、夭折した。その後、妻とも死別した。それからは複数の愛人をもっていたが、昨年、この故郷の〈妹〉を両親とともに帝都に呼び寄せ、婚約したという。
これは帝都でも話題になった。飛ぶ鳥を落とす勢いのディオスが、なんの後ろ盾もない平民と婚約した。政治家として栄達するならば有力貴族とつながりをもつというのが通例だからだ。しかして、いま有力貴族はまさに皇帝候補の血縁をつくるということに躍起になってこのシステムに乗っかる存在だ。とくに元老院貴族や予備軍はそのもっともたるもの。
だから、民衆はこれを美談のようにとらえ、ディオスの支持率はますますあがった。
(で、婚約破棄? 元々婚約は人気取りのために利用した?)
マールにはわからない。結局娶った貴族の娘が有力どころか没落寸前だからだ。
これでは、せっかくの平民からの支持率を失う。
そう、ディアナの家は平民。裕福であれば民会での発言力もあるだろうが、抗議もできず泣き寝入りするしかないだろう。皇帝から預かった金はすでに両親に渡してある。もちろん、残念そうな様子だったが、とりたてて怒りや恨みの感情はみえなかった。
マールは次にディアナ本人に接見した。
「元気だしなよ」
マールは場違いな励ましをする。もちろん、あえてだ。こんなところで言葉を尽くしても、よけい傷つけるだけだろう。自分のような道化がきたほうが、都合が良い、と思われたのかもしれない。
ディアナは沈鬱な表情をしているが、それほどではないように見えた。
「わかりました。おに……陛下によろしくお伝えください」
〈おにいちゃん〉そう言いかけたようだ。ふたりの関係性がわかる。
この言葉は〈父に次ぐ〉という意味で、女性が使う男性への尊称だ。
そして、やはり、こうなることもわかっているかのようだった。
「僕さ、吟遊詩人という生業でね。陛下からは、陛下の人生を歌にしろと言われているんだ。よかったら、昔のこと、聞かせてくれない?」
相手がそうなら、と、マールは調子のいい感じで続けた。
「ええ……」
ディアナはか細い声で続けた。
「小さい頃の陛下は、同世代のなかでもずば抜けて努力家で、人望があり、すでにリーダーのような存在だったと思います。私はまだ幼くて、はっきりとは覚えていませんが……」
ディアナはゆっくりと語り出した。
兄弟のいないディオスは隣人の娘であるディアナの面倒を、それこそようやく歩けるようになった頃からよくみていた。彼が街を離れるまで日常的に一緒にいた。
「いつだったかは、忘れました。私はおにいちゃんに、結婚を申し込みました。もちろん、幼かったので、大人がどうやって結婚に至るのかは知りませんでしたから、ただ、そう思って、そう伝えただけです」
「かわいかったんだね。それで、返事は?」
「自分が帝国軍人として名をあげたら、必ず、と」
ディアナは口元は思い出にすこし綻んだが、すぐに影を落とす。
それからディオスはやがて領主の小姓となり、適応年齢に達すると軍隊にはいった。そこからは、軍功を重ねて有言実行、近衛騎士となったという。
しかし、ディオスはとある貴族の女性と結婚してしまう。
「まあ、私はまだまだ幼かったですし。その頃には結婚というのはそういうものではないと理解できていました」
「でも、奥さんが亡くなってまた独身になって、しばらくしたら君も結婚適齢期になった」
「はい」
「で、帝都に呼ばれた、と。いやぁ、理想的なプロポーズだね!」
マールは言ったが、さすがに慎みが足りないと思った。
実際にはディオスはそのあとも女遊びが絶えなかったとも聞く。
「プロポーズというのはなんですか?」
「あ? ああ、結婚の申し込みのことさ。この国では女性にはしないんだったね、忘れてた」
「よその国では結婚相手に言うのですか?」
「そうなんだよ。ここでは父親に言うんだったね」
「はい」
「でも、どっちにしろすごくロマンチックだよね」
「私も夢がかなったと、どれだけ幸せだったかわかりません。両親もです。でも、帝都に来て、おに……、陛下に会うと、もう別人のようでした」
「別人?」
意外な答えにマールは驚く。
「はい。いえ、もちろん、長年ぶりの再会でしたから、お互い昔のイメージとは違うでしょう。それでも、なんというか、違ったんです」
「具体的にいうと?」
「なんていうのでしょう。幼い頃、陛下の夢は騎士隊長になることでした」
「ふんふん。そうじゃなくなっていたと?」
「はい。はっきりと、その、皇帝になると」
少し、戸惑いながら打ち明ける。
騎士隊長が皇帝を目指すとなれば、世襲をさせないという決意表明だ。
それは、もうクーデターの宣言と同じだ。
そして、ここ数代はそうして皇帝が入れ替わっている。
「大丈夫、大丈夫。もうなっちゃったから平気。へー、野望が頂点に向かっちゃったんだよね。でもそれはいまのご時世じゃ、そんなに責められることでもないと思うよ、たぶん」
「そうですか。私も彼はよい国にしたいという理想に突き動かされていたのだと信じたいです。でも」
「いいよ。口外しない。僕は皇帝の臣下だ。陛下に悪いことは絶対に言わないし、君のことも頼まれている。ここだけの話にしよう」
「そんなに恐れ多い話ではありません。つまり、以前と違って怒りというか、その、野心を身に纏っていたというか、騎士隊の方々とお話しされているときも、声を荒げて前皇帝陛下を批判して、自分こそが皇帝であるべきと話されているのを聞いてしまいました。それに、付き合う人が街でも評判のよくない方ばかりで、いつも誰と誰は排除すべきなどと、私が知っているあの人とは思えない恐ろしい言葉ばかりが聞こえていました」
きっとずっとひっかかっていたことをはじめて打ち明けたのだろう。
そういう密談にディアナと家族の住む家は使われていたという。
ディアナはそこまで言って涙を流した。
やはり、ディオスは皇帝を排除しようと画策していたようだ。
どんな計画だったのだろう。
「それは、ショックだったんだろうね……」
「はい」
ディアナは鼻をすすり、涙をぬぐうと、これまで見せていなかったしっかりとした面構えになった。マールの目をしっかりと見据えて言った。
「私は皇妃になりたいと思ったことはありません! ただ、あの人が私の知っているあの人でなくなったことにずっと心を痛めていました」
その気丈な宣言に、マールは拍手を送りたくなった。
だから、〈別の意味で〉納得していたんだ。きっと両親も少なからずそうだったのだろう。
そして、マール自身も、ここに来るまでもっていた〈余計なお節介〉はどこかにいった。
「あ、そうだ。陛下から手紙預かってんだけど、もういいかな。すっきりしたみたいだし」
懐から手紙を出す。皇帝印が押された蝋で封印してある書簡。
しかし、ディアナはそれをひったくる。
「えっ?」
ディアナは紙筒さっと展開して、読み始めた。
「読めるの?」
代読する予定だったが。まあ女性とはいえ都会に住む平民なら読めてもおかしくはない。
ディアナは読み終わるとふたたび泣き始めた。
さっきよりもずっとはげしい嗚咽からはじまり、やがて号泣した。
「ぼくも読んでいい?」
マールはこんな時でもそんなことを言う。
ディアナは手紙をそっと差し出す。
〈ディアナ、君には申し訳なく思う。婚約破棄は意図せずに起きたものだ。帝国はいま危機にある。これまでの悪しき慣習を改めなくてはならない。それにはいま一度、皇帝権力を強化して、改革を行う必要がある。抵抗する勢力とのきわどい戦いになるだろう。そこに君を巻き込みたくない。いつまでも君が大事なのには変わらないからだ。あのとき、幼い君に結婚を申し込まれたのはこの上ない喜びだった。あらためて感謝を申し上げる。願わくばあの頃のような兄妹のような関係に戻りたいが、自分は帝国一千万人の命を預かる身になってしまった。君にしてあげられるのは生活の保護と財産の供与だけだ。ご両親といっしょに故郷に帰ってもいい。その時は護衛もつけよう。君には結婚して大勢の家族に囲まれて、自分の治世がどうであったか見届けてほしい。大神のご加護を〉
「あれ? えーー、陛下……情で政治はできないとかなんとかとか言ってたのに。なんなの、このちょっといい人ぶりたいの。なんかぶれている気がする。うーん。つかめないなぁー」
マールは思わず口に出してしまった。
泣いていたディアナが、ぷっと吹き出した。
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