第5話 皇妃

【帝都レムシア・後宮】



 マールは宮廷内はほとんど自由に出入りが許された。

 それこそ、警護が厳しい、皇妃の生活区域であってもだ。

 皇妃ソニアは皇帝の即位とともに婚姻が手続きされ、公表されていた。

 このことは大衆をひどく驚かせた。

 なぜなら、ソニア皇妃は貴族とはいえ、没落貴族もいいところで、ソニア以外に兄弟はなく、ソニアの父である当主が亡くなれば、帝国の掟にしたがって、財産は没収されるような状況だったからだ。


 宮殿内の庭園。

 ガゼボには軽食とワインが置かれていた。

 警護は視界に入る程度に距離をとっていた。

 マールはソニア皇妃に招かれている。

「こんなところで君に会うなんてね」

「え、ええ……」

 皇妃は苦笑いしていた。

 頭部を覆っているベールから笑顔がのぞく。

 この国では珍しいシルクのベール。金属の飾りも施されている。

 東方でしか見ないものだ。

 東の異国にまでひろがる帝国の交易。

 より貴重で物珍しい装飾をするのは皇妃の権勢の象徴でもある。


「あんな辺鄙な場所で出会った知り合いが、皇妃殿下になられるとは。これだから世の中は面白い」

 マールはうやうやしく、いやわざとらしく一礼する。


 マールはこの女性を知っていた。

 秘密の過去も含めて。


 不思議な縁だ。

「大丈夫。誰にも言いやしないよ」

 マールはいつになくまじめに言った。冗談になるならまだしも、人をゆするのなんて趣味じゃない。

「そうね。できたら黙っていてほしいわ」

「陛下は知らないんだよね」

「ええ。でもいまは重要なことではないわ」

「でもなんで君が皇妃に?ディオス殿とはどんな出会いが?」

 マールは矢継ぎ早に尋ねる。こればかりは庶民だって知りたいだろう。

「意味がわかんないんですよね。貴族の血統がご入り用なら、ほかにいくらでもいたろうに。わざわざ消滅寸前の貴族令嬢を選ぶなんて」

「あいかわらず口が悪いのですね」

 ソニア皇妃は美しい。

 立場が変わったからだろうか、以前会った時の美しさに加えて、はっと息を呑むような神々しさがある。

 それは認める。だけど、愛人なら別にして、貴族の結婚は第一に政略だ。

「陛下には隊長時代、たくさんの愛人がいたともいうし、だいたい婚約破棄してまで、あなたが選ばれた理由が知りたいですね」

「陛下に直接お聞きになればいいでしょう?」

「近衛騎士隊長、いや皇帝陛下との付き合いはどれくらいで?」

「3年になりましょうかね……」

(なら、僕と知り合った同じ頃か、その後くらいか。あれ? すごく嘘をついている顔に見えるぞ)


 マールにはわかる、嘘だ。


「どんな恋物語なのかな、聞かせてよ」

「……断るわ」

 少し怖い目つきになった。この僕でもたじろぐような鋭い一瞥。


「ごめん、ごめん。で、でも陛下の栄光の軌跡を歌にしろと言われているんだ」

「そう、それで。でも、わたしのことはいいわ」

「皇妃を讃えるフレーズを入れないと盛り上がらないよ?」

「陛下を讃えるのでしょう? 私はいいわ」

「あれ? 陛下のこと、もしかしてお好きではない?」

 政略以外で仕組まれた婚姻。

(陰謀の類かな?)


「……」


 マールは言った後、しっかりと観察する。

 ソニア皇妃の表情を。

 諦観、悲哀……そんなものを強く感じる。

 だけれど、ほんの少し温かいものも混じっている。

 複雑だ。これは一筋縄ではいかない。


 そもそも彼女は、「お姫様」になるような人ではない。


「陰謀を感じるなあ」

 マールはからかうようにわらったが、この女が欲のために嘘をつくような人間ではないと思っている。嘘はつきなれていないと、ボロが出やすい。

 自分でも心得ているのだろう。嘘をつかなければいけない状況ではしっかりと黙秘だ。


 だからこれはうまくかわしたつもりたけど状況を的確に表現している。

 つまり、〈かくしごと〉は間違いなくある。


 皇帝の愛人のひとりだったというのは嘘だろう。

 だとしたら、この政治的にも意味のない結婚はなんなのだろう?

「陛下には婚約者がいたのはご存知で?」

「……はじめは知らなかった。なに? 街で噂にでもなってる?」

「はい。そりゃもう」

「そう」

「別に責めているわけじゃないよ。権力者というものは政治的理由で結婚するものだし、世継ぎの問題もあるし。ふつうのことだよ。〈平民〉の恋人が捨てられてもね」

「……」


「でもその代わりがあんたなのがわからないんだよなー」


「ちょっと、いくらなんでも失礼でしょ」

「やっばり、そうだよねー」


 ふたりは笑った。

 宮殿とは思えないような下品な笑い声が響いた。

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