第4話 即位
【レムシア宮殿/軍議室】
世襲ではないのにこれほど政権が穏便に交代したことはかつて記憶にない。
先帝カルスの実子は多くは女子で、元老院に名を連ねる家系と婚姻している。そして末子が唯一の男子であった。たいそうなボンクラで、先帝からも一旦は後継を意味する〈皇帝の剣〉の称号を与えられたものの、剥奪され、修行の名目で辺境の属州総督の下に追いやられた愚息である。かつてこれは皇帝の子息に武勲を立てさせるために必須の人事だったが、内乱期にはこの慣習はなくなっていた。いまは帝国内の名誉職につけるのが一般的だ。伝統として皇帝は最高の軍人であり、その後継者もそれなりの武勲を見せる必要があったからだ。それが逆にいまは懲罰的な意味合いになっている。
こういうところからも現在の帝国は民衆の支持を得られていない。王朝が数代も続かない理由のひとつともいわれる。それどころか、ほとんどが一代で終わる。逆に言えば皇帝になるチャンスは多くの人間にあるという認識が生まれてしまった。
そのためにいま国内は疲弊している。新皇帝の座が争われるたびに内乱が起き、敗北者が大量に処分される。
いずれにしろ、愚息が火種になることは誰にも予想ができた。
戦争になる。
辺境の属州は比較的政情が安定していない地域が多い。そのため、それなりの軍団が配備されている。
一方、皇帝も本国以外に外国直轄地をもつが、大別すると産業的に重要な拠点、比較的安全な地域が多いため、軍備は手薄というのが伝統的である。
つまり、政権交代に納得しない属州が反乱を起こす、これもまた歴史的にはない話ではなかった。
そして、いままさに、愚息である属州副提督が、自らの皇位継承の正当性を訴え、立ち上がったのである。
しかし、その報告にはオマケがついていた。
「前近衛騎士隊、副長のメッテルスさまが加担されている模様」
(そりゃ、そうなるわな)
マールは報告を聞きながら心中つぶやいた。
なぜなら、皇帝の初仕事はその近衛騎士の権限を奪うことだった。
人員を減らし、帝都の警備のみに専従し、皇帝の身辺警護には新たに親衛隊を設立。公務の取次や一部の代行行為も親衛隊に移った。
そして新皇帝はこの親衛隊の者以外については手続きをしない限り面会をしないようになった。それまでの宮殿は、高位高官の貴族や兵士であれば誰でも出入りし、挨拶を交わす習慣があったが、それを禁止した。
謁見については非常に形式ばった形を取り、礼をとるように強要している。
(要するに、歴史的に近衛騎士が皇帝最大の危険要素だから排除したってことだよね)
マールにはそう思えた。
メッテルスはディオスが事実上の皇帝となり、騎士隊長に繰り上がったものの、一気に権力を奪われたのである。面白いわけがないだろう。
(だけど、メッテルスと新皇帝は近衛騎士のなかでは強い結束があったはずだ。それこそふたりでクーデターを狙っていたくらいには……)
唯一の身内ともいえる近衛騎士隊を遠ざけて、かえって政権が不安定になるとは考えなかったのか。
いまは民衆の支持が大きいものの、武力をもつ野心家にとっては、「とってください」といわんばかりの配置に王冠の駒がポツンとある。
それほどまでに疑心暗鬼なのだろうか。
いまこの反乱の対応策を話し合うために、ふたりは軍議室に向かっている。本来、そこで皇帝を待つのは近衛騎士隊長のはずだが。そして、マールは本来、軍議に参加するわけではないが、
「もし気になることがあれば、勝手に発言せよ」
と言われて、同行している。
「こうなるのはわかっていましたか? メッテルス殿にとっては許しがたい裏切りですよ」
マールは天下御免の軽口を皇帝に投げかけた。
「無論だ」
皇帝は事もなげにいう。
「メッテルス殿は百戦錬磨。近衛騎士隊に入る前は辺境で異民族との戦争にも参加していた。軍人としては有能。いかに先帝のご子息がお飾りであっても、手強い相手となりますよ。――というのは僕よりずっとご存じですよねー」
「無論、わかっている」
「そうですか。皇帝陛下直属がすぐに動かせる軍は近衛騎士隊のみ。しかし、大幅に人員削減したうえに帝都防衛の役以外の職権を剥奪してしまったため、反乱軍の討伐には向かえなくなってしまいましたが。どうなさるおつもりで? 助言を求められたら困りますので先に言いますが、いまのところお手上げです」
「宮殿に入って昨日今日の貴殿に、なにを求めようか。この件はすでに手を打っている」
軍議室に到着すると、武装した軍人たちが出迎えた。
遠征に参加できない近衛騎士隊長の姿はない。主力は帝都の貴族から編成されるのだろうか。長老といってさしつかえない年齢の指揮官たちがいる。
その中でひとり、鎧には数々の勲章メダル。真紅のマント。たっぷりとした髭をたくわえたコワモテ、威圧感の漂う雰囲気をまとっている壮年の人物がいた。皇帝とほぼ同年のように見える。
「マクシス将軍だ。彼が討伐軍の指揮をとる。属州から兵を率い、本土境界に駐留待機している」
「えっ!?」
マールは驚きを隠せない。マクシス将軍といえば、帝国の最も危険な北東の軍事境界を担っている武人だ。それでいて、先帝時代は功績の割に恩賞が少なく、いずれここからクーデターが起きるのではと、マールが個人的に予想していた人物だ。
なにしろ、ディオスと同様、軍人からの信望が篤い。北東の辺境地は常に戦闘があったが、軍隊が腐敗しすぎて長年、異民族を制圧できず、繰り返し侵入を許していた。この地は最悪なことに元老院直轄地だった。属州総督は元老院の政治力によって派遣される。単なるキャリアアップのための人事だから、戦略ももたず、数年で戻ってくる。その状況を先帝含め、誰もが放置していた。
マクシスは武功をあげながらも、総督や軍司令官が賄賂を要求していたため昇格しなかった。だが、とある戦で、賄賂で昇格していた連中が逃亡し、マクシスだけが奮迅の働きをみせてなんとか防衛に成功したと言う事件があった。兵士たちが腐敗した上層部に対して、武器を持った抗議デモを行い、マクシスの司令官任命を要求した。そのことがあって以来、総督すらもマクシスに口をだせなくなった。
〈辺境の皇帝〉、彼はそう呼ばれている。
「辺境の戦線はどうなるんで」
マールは皇帝に問うたが、かわりにマクシスが答えた。
「いま異民族のほうでも王が倒れたために、混乱状態だ。それに、反乱軍には明らかに大義がない。兵はそれほど集まらないだろう。時間はかからない」
帝国軍は常備軍においては職業軍人だ。それに加えて属州は現地の異民族を動員している。それは年々、質、量ともに弱体化してきているが、もっとも深刻なのは士気である。この場合、大義は直接的には無関係だが、勝ち戦かどうかに関わるという点においてよっぽど重要だった。
それにしてもマールが驚いたのは、皇帝がマクシスと手を結んだことだ。
辺境の武人はマクシスのほかにも実績があるものがいる。しかし、マクシスほど大義、公儀、そういった名分にこだわる人物はいない。だからこそ、将軍連中でずば抜けた実績を出しつつも、反乱にまで至らなかった理由でもある。
日常が戦場という場所で過ごしたマクシス将軍の「道義に背かない」というのは彼独自の強さの源泉であり、もはや信仰であった。
だが、それは腐敗した中央には知られていないことだ。
そして、なにより「皇帝暗殺」が隠れぬ噂になっている新帝は、将軍の信念にはそぐわないはずだ。
(これは、あらかじめ仕組まれていたことだろうか)
マールの心中には疑念がいっそう濃くなった。
「マクシス将軍なら、問題なく反乱を鎮められるでしょう」
マールはあれこれ考えをめぐらせつつも、答える。
「無論、余もそう思っている。そして、マクシス将軍には、この討伐が成功した暁には副帝に任命する予定だ」
広間がいっせいに騒然となった。
密約人事を発表する皇帝など聞いたことがない。元老院を無視する行為だ。
それだけ自信があるということか、いや、マクシスの退路をたつためであろうか。いずれにしろ、副皇帝の身分で釣ったのは間違い無いだろう。
それほどまでに皇宮とは疎遠の武人だったはずである。
「必ずや、ご期待に応えてみせましょう」
マクシスは皇帝とその場にいた指揮官、すなわち門閥貴族にそれぞれ一礼をした。
※ ※ ※
後日、マクシス将軍の勝利が王宮に伝えられた。
到着後、わずか一日での完全制圧だった。
この時、マクシスは周囲の属州司令官にも皇帝の名で参集を要請した。
実際には援軍は不要だったが、新皇帝への支持を確認するためだった。
以降の人事、軍備配置はこのときの報告が参考にされた。
元副隊長メッテルスは自害した。先帝の愚息は早々に逃亡したが捕獲され、帝都の牢獄に収監された。
この報をもって、新皇帝は即位の儀式の日程を定めた。
式典は伝統に則り、新皇帝が元老院から「最高司令官」という軍事トップの称号と「第一の市民」という行政トップの称号、そして「輝ける尊厳者」という神格化された称号を授けられるかたちで行われた。
その後、新皇帝がマクシスを「副帝」として任命する宣言が行われた。
「副帝」にはかつて前例があったものの、世襲の王朝において、皇帝が幼少であったために創設された一例にとどまる。その前例も副帝が皇帝を暗殺するという結末だったが。
いずれにしろ、あたらしい独裁者の誕生である。
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