第2話 お祝い
【帝都レムシア】
マールは市場にいた。
レムシア帝国の皇帝カルスの死去から二週間がたち、喪に服していた帝都も日常に戻っていた。
元老院は大方の予想通り、軍属からの強い推薦のあった元近衛騎士隊長のディオスを新皇帝に選ぶことを了承し、すでに宮廷は機能しはじめている。
「おっちゃん、もうかってるかい?」
マールは果物屋のおやじに話しかける。ここの果物は運河から運ばれてくる地元では手に入らないものが多い。帝国最大の都市ならではの贅沢だ。
「マールの旦那、いつもごひいきに」
旦那と呼ばれたマールだが、陽気で人懐っこい言動から年齢よりもだいぶ若く見える。少年といっても差し支えないかもしれない。いわゆる童顔だ。
しかし、それ以上に特筆すべきは身体が異様に小さいことだ。まったく子どものようにしか見えない。
はじめて目にする者、ただ通り過ぎる者は気味の悪い表情を浮かべ、バケモノのように接するものもいた。子どもの皮を被った大人。常識の埒外の存在は、排他の対象である。
だが、付き合いの長い者は、彼を決してそんな扱いをしない。それどころか、その口の悪さすらを楽しんでいる。
マールは東方の出身で、幼い頃から歌と楽器で20年近く諸国をまわってきた経歴をもつ。
いわゆる吟遊詩人といわれる生業だ。
「カルス帝の物語は結局どうなったんですか?」
「いやいや、無理だよ。結局クビになったしね」
この街に来たのは1年前、レムシア軍の駐屯地で異国の物語を歌っていたら、皇帝から声がかかった。
はじめはレパートリーから歌をきかせていたが、そのうち自分の歌もつくれという。
「喜劇でも、悲劇でもないよ。死に方も含めてね」
暴君の人生、それなりに価値があるとしても、生前に依頼されたからには、追従まみれの偽英雄譚を求められていただろう。軍人として名を挙げ、権力の座についたとたん、贅沢、放蕩、統治は側近まかせ。
マールは努力するフリはしてみたものの、下駄を履かせすぎるにも程があるだろう。結局はお気に召さずに解雇になった。
「どっちにしろ僕のせいじゃないね」
「皇帝のご機嫌をそこねて生きて帰るなんて、旦那は運がいいですよ」
まったくだ。
非があればただちに処刑、非がなければ毒殺といわれた暴君だ。
運がよかったとも思う。
「まあ、場数が違うよ」
マールはうそぶく。
商売柄、貴族、王族、武人、成金、ともかく権力者とは縁が多い。彼らの共通点はプライドと自己保身だ。看板に泥を塗らない程度にへりくだり、立場を脅かすような存在とならなければ、案外、怖くはないものだ。
「新しい皇帝はどうですか?」
「評判はいいみたいだねぇ」
「それはそうでしょう。貴族や平民のわけへだてなく、武勇、誠実さ、弁舌にすぐれている。あの隊長ほど皇帝にふさわしい人はいない、と誰もが言っています。昔はよく市場の見回りに来てましたが、あんなに市民の側に立った方はいらっしゃいませんよ」
「へえ」
陽気なマールだが、いたってそっけない返事だった。
(権力者のいい評判ってのは、悪い評判よりもタチが悪いことが多いんだよね)
マールは妖精の実と呼ばれる真っ赤なフルーツを3つ買い、ひとつをかじりながら市場を抜けて大広場へと足を運んだ。
広場には楽隊がいて、演奏をしている。彼らも異国の出身だ。広大な版図をもつレムシア帝国だが、こと芸術に関しては後進国だ。
広場の様子は喪があけたおかげ、というより、待ち望んでいた演奏を、演者も聴衆も楽しんでいるようだった。
マールは肩に担いでいた弦楽器のリウトをおろした。この国では珍しい東方の楽器。はじめは弦をはじくまねをしながら、楽隊の音楽に体を揺らしていた。
そして演奏が終わると、今度は自分が弾き始める。とびっきり陽気なやつだ。
楽隊のメンバーが注目してくる。しばらくすると、打楽器が重なり、笛の音が重なり、音が層を重ねていく。
とても幸せな気分だった。
暴君が世を去ったお祝いに。
演奏が終わるや否や、投げ銭とともに物々しい甲冑を着込んだ連中がマールのもとに足を運んできた。
「マール殿、おひさしぶりでございます」
見たことのある役人だったが、マールはあえて首をかしげてみせる。
「そうだね。前世以来だったかな?」
「前世?」
「人は何度も生まれ変わるんだって。極東のほうの言い伝えだよ」
「そうですか。極東には死者の国はないようですね」
帝国の宗教的死生観では、死後は死者の国にゆく。そこは生をまっとうした人物だけが行ける場所であり、現世の苦しみや悲しみはいっさいない。だから、そこへ旅立つことはよきこととされた。
「あちらにも死者の国はあるよ。でも生きているうちに良きことをするか、そうでないかで行くところが違うんだ。良いことをしたと認められるまで何度もやり直すのさ。たぶんだけど」
「なるほど。マール殿のお話は相変わらず興味深い」
(ぜんぜんっ、そんなこと思ってないって顔に書いてあるよ)
マールは、自分ほど人物を見てきた者はいないと自負している。
会話から、あるいは表情、しぐさ、そういったものには本音があらわれる。民族の風習や文化によって違うものの、ある程度はあてはまってしまうのが人間の面白いところだ。
「それで、なんの用?」
それもなんとなくわかっていたが、水を向ける。
「宮殿にお招きにあがりました」
「やっぱりね。僕、クビになっているんだけど」
「それは先帝のお話」
「新皇帝も僕をお望みとはね」
「まだ即位はされておりませぬ」
「僕は形式って苦手なんだ。本質にしか興味がないよ」
「私のような無学には違いがわかりませぬ」
「そこまで馬鹿じゃないだろう?」
失礼なものいいだが、マールはすでにこれで通っている。それに愛嬌ある笑顔と口調が、侮辱でないのが一目瞭然であった。
「ディオス元近衛騎士隊長には興味があるよ。お目にかかりたい、とはあまり思っていないけど」
「意外ですな。あの方ならば歌にもなりやすいでしょうし」
「〈あの方ならば〉って、先帝への不敬ですよ!」
マールはイタズラが成功したように指を指して快活に笑う。
ともかく宮殿へには向かわざるを得ないだろう。
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