第8話 エステルの回想

 私が初めて王城を訪れたのは、五歳の夏だった。眩しいほどの陽射しの中、父に連れられて馬車で向かった王城は、夢の中の世界みたいに広くて美しかった。


 その日、父は王宮で開かれる会議に呼ばれていた。公爵として王家の信頼を受けている父は、財務に詳しく、重要な話し合いにはよく呼ばれると聞いていたけれど、私にとってはただの「特別なお出かけ」だった。父が褒めてくれたクリーム色のドレスを着て、小さな日傘をくるくると回しながら、私はすっかり浮かれていた。


「おとーしゃま、王しゃまにも会えるの?」

 王城の門をくぐったとき、私は思わず訊ねてしまった。

「今日は難しいな。だが、代わりに素晴らしい庭園を見せてやれる。ここに咲く花々は、どこにも負けない美しさだ。会議が終わったら、お父様と一緒にお散歩だ。だから、おとなしく待っていなさい」

 父はそう言って微笑んだ。私はお庭をお散歩するのが楽しみだった。


 会議が始まると、父は私を侍女に預けて会議室へと消えていく。言われた通り、しばらくは会議室に隣接する広い応接スペースでおとなしくしていたものの、美しい庭園が気になって仕方がなくなった私は、ついに侍女の目を盗んで外に出てしまった。


 王宮の庭園は、見たこともない花々が咲き乱れていて、風に乗って甘い香りが漂っていた。私はその魅力にすっかり夢中になって、気がつけばどこにいるのかわからなくなっていた。


 「……どーしよー。ここ、どこー?  おとーしゃまのいる会ぎちゅには、どうやってもどればいいの?」

 胸がぎゅっと縮こまってきて、もう泣きそうだった。そのときだった。


 「迷子?」


 優しい声に振り向くと、そこには私より少しだけ背の高い男の子が立っていた。水色の髪が陽射しを浴びてきらきらと輝いていて、吸い込まれそうな水色の瞳が私をじっと見ている。


 ――きれー……


 「……うん。おとーしゃまとはぐれちゃったの。おとーしゃまは会ぎちゅにいるわ。おとーしゃまは、マグェガーこうしゃくなの……」

 泣きそうな声で答えると、その男の子はしゃがんで私と目線を合わせ、にっこり微笑んだ。


 「大丈夫、僕が案内するよ。手をつないで」


 差し出された手はあたたかくて、すぐに不安が消えていった。彼に手を引かれながら歩いていると、まるでおとぎ話の中に迷い込んだみたいで、心臓がどきどきと音を立てていた。


 ――きれーなだけじゃなくて、とってもやしゃしーの。まるで、おーじしゃまみたい……すてきー。


 やがて彼は、私をお父様のいる会議室の近くまで連れてきてくれた。侍女は私を見つけて安心したように涙ぐんでいたけれど、私は男の子のことばかり気になっていた。


 「ありがと――!」

 何度もお礼を言ったけれど、彼はふっと微笑むだけで、庭園の奥へと歩いていってしまった。その小さな背中を、私はずっと見送っていた。


 会議室からでてきた父に王子様と庭園で会ったと報告した。

 「とってもきれーなこだったの。やしゃしくて、たよりになるのよ。みじゅいろのかみとおめめで……(とっても綺麗な子だったの。優しくて、頼りになるのよ。水色の髪と瞳で)」

 「スペンサー王国の王子殿下は一人しかいないよ。金髪碧眼のエステルより10歳以上年上だ。それは王子様じゃなくて、エステルと同じように父親についてきた貴族の子息だろうな。同じ年齢ぐらいだったのなら、きっと王立貴族学園で再会できるかもしれないぞ」

 お父様の言葉に私はにっこりと微笑んだ。


 ――あえるといーなぁ。もっと、たくしゃんおはなししたいもん。(会えるといいなぁ。もっと、たくさんお話ししたいもん)


 それから、貴族の子弟たちが集まる王家のお茶会などにも参加したけれど、水色の髪と瞳の男の子はいなかった。やがて王立貴族学園に通う年齢になり、私は期待に胸を膨らませた。

 あのときの思い出は、私の中でずっと宝物だったから。だから、王立学園でザカライア様に初めてお会いしたとき、私はすぐに気づいた。


 「……あのときのあなたなのね!」


 水色の髪と瞳。その姿は、私の記憶の中の「王子様」と重なった。でも、彼は覚えていなかったみたい。それでも、私は憧れの君に会えたことを運命だと思いこみ……盲目的な愛を感じてしまった。思い出は綺麗なまま胸の中に収めておけば良かったのに。





 「お嬢様、エステルお嬢様! お医者様がいらっしゃいましたよ。大旦那様と大奥様、そいつの実家ハモンド子爵家にも早馬でこのことを知らせに向かわせております」

 私はジェーンの声で我に返ったのだった。

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