第4話 つわりに苛立つザカライア
「これ以上に嬉しいことはありません。愛するエステルが僕の子を身ごもったんです。ありがとう……エステル!」
タウンハウスに私の両親が着くなり、旦那様が私に感謝しながら子供ができたことを報告した。その声には温かな感情が溢れていた。さっきまでの戸惑ったような表情は、ただ父親になる実感が追いついていなかっただけなのね。
「なんと素晴らしい知らせだ! エステル、よくやったな!」
「まぁ、初孫ですって! こんなに嬉しいことはありませんわ」
両親は心から喜び、祝福の言葉を惜しまなかった。旦那様も何度も私に感謝を伝えてくれて、その度に幸せが胸に満ちていくのを感じた。帰り際には、私の体調を心配しながら、「何かあったらすぐに知らせなさい」と念を押して、両親はマナーハウスへ戻っていった。
その日から悪阻がますますひどくなり、私は食事も喉を通らない日々を送ることになった。
「またそんな格好でいるのか? お化粧もしないで、まるで廃人みたいだよ。妊娠は病気じゃないんだぞ。女性の身だしなみくらいちゃんとしろよ。せめて口紅ぐらい塗れないのかい?」
旦那様——ザカライア様の苛立った声が、早朝から耳に突き刺さる。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だって、彼の言うことは正しいのだ。女性は愛する男性の前で綺麗でいたいもの。だけど、気持ちが悪くて食べられず、食べても吐いてしまう毎日。体力は奪われ、身だしなみに気を遣う余裕なんてどこにもない。
「これからは朝食も夕食も外で取ることにする。君がいちいち吐くから、僕の食欲までなくなる。そんなんじゃぁ、妻としての勤めも果たせないだろうから寝室も別にするからな」
そう言い放った旦那様は、早々に王城に出仕していった。私は寂しさと安堵が入り混じった感情を抱えながら、その背中を見送る。寂しいけれど、吐き気と戦いながら彼の視線を気にする必要がなくなった分だけ、少し気が楽になったのも事実だった。
旦那様との時間が減ったぶん、私はお腹の赤ちゃんに話しかける時間が増えた。まだ小さな命が私の中で動く。その存在が愛おしくてたまらない。
「たくさん話しかけてあげてください。お腹の赤ちゃんはお母さんの感情を敏感に感じ取っていますよ。穏やかな気持ちで過ごすのが一番です」
お医者様のその言葉に背中を押され、私は音楽家を呼んでバイオリンの演奏を聴いたり、美しい絵画を眺めたりして、穏やかな日々を過ごすよう心掛けた。少なくとも、赤ちゃんには美しいものだけを届けたい。その一心だった。
そんな穏やかな日々を過ごしていたある日、気がつけば旦那様をしばらく見ていないことに気付いた。
「旦那様はまだお休みなのかしら?」
朝食を取ろうとした私に、侍女のジェーンが心配そうな顔で答える。
「エステルお嬢様、どうか驚かないでくださいね。いつもお帰りは夜遅くですが、昨夜はお戻りになりませんでした」
「そうなの? わかったわ」
私はスープをひと口飲んだ。温かくて優しい味。お腹の赤ちゃんも喜んでいるような気がした。今日はつわりも感じず、爽やかな気分だった。
「えっ? お嬢様、旦那様が外泊されたのですよ? 泣いたり怒ったりなさらないのですか?」
「そうね、特に何も感じないわ」
ジェーンは驚いた顔をした。
「以前のお嬢様なら、目を腫らすほど泣いて嘆かれたでしょうに……すごい変化ですね」
「そうだったかしら?」
私は微笑みながらスープを飲み続けた。気持ち悪さが落ち着いている今、食事が美味しく感じられることのほうが大切だった。
その時、旦那様が食堂に姿を現した。久しぶりに見る旦那様の顔に、にっこりと微笑みかける。
「あら、お帰りなさいませ」
「うわっ、なんだその大きな腹! 妊娠しているとはいえ、エステルは明らかに太ったよな?」
旦那様の軽蔑した視線が私を刺したのだった。
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